仮説:環境のドライ・ウェットさと、対人関係のドライ・ウェットさとの関連


農業は、食糧の確保という、人間の生活を支える上で最も基本的と考えられる産業である。
農業は、全世界的観点から見ると、遊牧と農耕に2分される。

遊牧は、砂漠、ステップ地帯のような、雨の比較的少ない、ドライな自然環境で行われる。 
農耕は、モンスーン地帯のように、(植物が育つのに必要な)雨が沢山降る、水の豊かなウェットな自然環境で行われる。

1997.11~1998.9にかけて行った(1997.4~5のもそうであるが)WWWを用いて行ったアンケート調査結果においては、態度のドライ・ウェットさについては、遊牧=ドライ、農耕=ウェットという回答結果が出た。
 
 
番号 質問項目(仮説=ドライ) 回答=ドライ どちらでもない 回答=ドライ 質問項目(仮説=ウェット)
B10 遊牧生活を好む 75.000 16.000 9.000 農耕生活を好む

農耕社会における対人関係がウェットで、遊牧社会における対人関係がドライである、と言えることが分かった。

なぜ、農耕社会の対人関係がウェットとなり、遊牧社会における対人関係がドライと感じられるか?についての考えられる説明は以下の通りである。

〔非定着指向-定着指向(14)〕
農耕は、一カ所に定住する定着指向の農業であり、したがってウェットである。
遊牧は、一カ所に定住せずあちこち動き回る非定着指向の農業であり、したがってドライである。

〔規制主義-自由主義(7)〕
農耕は、稲作における農業水利のように、携わる人間同士の相互監視・牽制が不可欠である。その意味で規制主義的であり、したがってウェットである。
遊牧は、広大な草原を、他者に束縛されずに、自由に動き回る。その意味で自由主義的であり、したがってドライである。

〔相互依存指向-自立指向(2)〕
農耕は、稲作における農業水利のように、携わる人間同士が互いに依存し合う(一方が沢山水を取ると、他方の取る水が少なくなる)。その意味で、相互依存指向といえ、対人関係としてはウェットである。
遊牧は、携わる人間同士が、互いに一人で自立して動かなければならない(広い草原をただ独りで馬に乗って走り回る)。その意味で自立指向といえ、対人関係としてはドライである。
 

〔過密指向-広域分散指向(3)〕
農耕は、集約的農業であり、少ない面積の土地に集中的に人的・物的資源を投入する。それに携わる人間が住む地域は、人口密度が高い。したがって、過密指向といえ、対人関係としてはウェットである。
遊牧は、粗放的農業であり、広い面積の土地に、分布する人はわずかである。それに携わる人間が住む地域は、人口密度が低い。したがって、広域分散指向といえ、対人関係としてはドライである。

以上の説明は、以下の表のようにまとめられる。 
 
農業方式 自然環境 対人関係
農耕 ウェット(モンスーン) ウェット(定着、規制、相互依存、過密)
遊牧 ドライ(砂漠、草原) ドライ(非定着、自由、自立、広域分散) 

したがって、自然環境のドライ・ウェットさと、対人関係のドライ・ウェットさは、正の相関関係にある、と言えそうである。

本当に以上のように言えるかどうか、を確認するには、世界各地(乾燥・湿潤両方)の社会を回って、対人関係が乾燥地帯でドライ、湿潤地帯でウェットであることを、フィールドワークで確認する必要があることは、言うまでもない。