労働と機能


労働は、他者に(十分な環境適応のために必要な)機能を提供するために、時間・手間をかけて行われる、一連の作業のことを指すと考えられる。
人間が労働を行うのは、
(1)他者の役に立った分の報酬(別の機会に他者からの機能提供を受け取るための対価・機能との引き換えトークン)を貰うことが、自己の生命維持のために必要だからである(下位レベル)。
(2)自分の働いた結果生み出された、自己の分身(生産物)、ないし自分自身のコピーを、周囲により多く、確実に広めて、自分自身の存在を、世界中に拡大する(上位レベル)。

労働目的は、下位レベルでは、自分一人の生活の糧を得るためであるが、このレベルが満足されると、自身の分身(子孫)=コピーを世界中に広めるため、というより上位のレベルの充足に向かう。



ドライな機能主義の観点からは、労働は、(1)個人が、周囲の他者に有用な機能を供給する、有用なことをするために働く。(2)個人が周囲の他者から生活に必要な機能を入手するために働く、と捉えられる。要するに、個人が、互いに、生き残りに必要な有効な機能を手に入れて、快適な生活を行えるように働くと考える。

人間は、他人の役に立つことをしないと(機能的貢献をしないと)、生きていけない。それは、対価をもらえないということもあるし、あるいは、自分の生み出した子孫(製品、作品といった、主に文化的な子孫)を他人の間に広めることができないということでもある。

人間にとって、生きることとは、自分自身および自分の子孫(遺伝、生体的な子孫、および、製品、作品、プログラム、ドキュメント、土木建築のような文化的な子孫)を、できるだけたくさん、広範囲に、長期間~永続的に残すということであり、それが、自分の生きた証となり、究極の人生目標となる。

賃金のために働く、お金のために働くという考え方は、本来、各自が生成した機能を他者と交換する際のトークンを集めることが自己目的化したものであり、本末転倒な考え方である。

日本的経営のように、個人が、会社、組織の維持のために犠牲となって働くという考え方は、ウェットな機能主義である。


●機能の搾取

自分の果たした機能にかかった心理的ストレスなど(コスト)に見合う対価を受け取れないと、機能の対価のもらい損になる(機能の搾取)。
果たした機能分についての過不足感覚の学習(心理)が起きて、ただ働きをいやがるようになる。ただし、進んでただ働きを行うボランティアも存在する。

各自が社会(周囲の他者)に向けて送り出す機能が充実するにつれ、送り手の賃金は上がる。



●休暇の必要性

労働をしている最中は、提供する機能の品質を一定以上(消費者の環境適応に役立つ程度)に必ず保つ必要があるので緊張し疲れる。そこで、息抜き・アイドリング(暇な状態でぶらぶらすること)が必要になる。


●転職 

転職とは、今ついている種類の機能生成を止めて、別の種類の機能生成へと移行することである。

転職が起こる原因は、
(1)必要な水準の機能を生成する能力がなくなった。
(2)現在生成している機能の、生成への興味が失せた。
(3)今遂行している機能生成が無効化する(需要がない、水準が低すぎるなど)恐れがある 
である。


●趣味

趣味は、労働と違って、自分の側での機能の生成を必ずしも伴わなくても(音楽鑑賞のように、他者の提供する機能をただ消費するだけでも)構わない。

機能を生成する場合でも、
(1)メインの機能提供ではない(本業でない)。
(2)その機能を受け取る他者に対価を求めない(対価が必要なほど高水準の機能でなくて構わない)
(3)機能の水準は、生成する自分本人にとって十分であればよい。他者の環境適応にとって十分でなくてもよい
 



●遊び

遊びは、機能を果たさないアイドリング状態、ないし、環境適応と無関係な入出力を行っている状態でいることを指す。

遊びは、機能価値の蓄積(貨幣などの蓄え)ができていて、環境に適応しつづける(他人から機能の供与を受けて)余裕がある場合にのみ有効である。そうでなければ、働いて、他者から、機能交換のための引換券(貨幣)をもらう必要がある。

遊びには、アイドリング状態をなくす、という働きも含まれる。例えば、テレビに出てくるタレントについて詳しく知ろうとする(芸能・バラエティ情報)など、環境適応に直接結びつかない情報の摂取がこれに当たる。

一方、失業は、働きたいという意思があるのに働けない状態を指しており、同じ仕事をしないのでも、遊び(アイドリング状態でありたい)とは異なる。



(c)1998-2005 大塚いわお


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