社会生成と機能


なぜ社会が出来るか?ドライな機能主義の視点からは、個人は自分の命をより守りやすくするために、互いに助け合い、協力しあうことを目的として社会を作る、すなわち、個人は、自らの環境適応水準向上のために、他者と互いに自らの生成した機能を交換し合うことを目的として社会を作る、ということになる。社会全体を、個人の機能充足(機能の生成、交換、消費)の連鎖として捉える。社会形成・協働は、個々人の環境適応度を上げるために行われる。その点では、個人に内在する環境適応水準向上圧力(EALIP)が、個人に対して、社会を作るように、促している、と言える。

R.K.Mertonの提唱した、「正機能と逆機能」の概念を、ドライに捉えなおすと、正機能は、各人の生命維持に役立つもの、逆機能は、各人の生命維持を脅かすものであり、全体社会の維持とは直接関係ない。個人は、当人の環境適応に役立つ限りにおいて、社会と付き合う。

個人は、その属する社会が自分の環境適応に資さない(機能不全を起こしている、自分の欲しい機能が手に入らなかったり、手に入れるのに障害がある)場合は、いつでも脱退してその社会との連関を断ち切るか、社会に自ら変革の手を加えることで、より環境適応に適した新たな社会を作り直す(か別の社会に入りなおす)ことができる。

ある社会が自分にとって機能的でない(環境適応に役立たない)とき、個人はその社会から脱退する自由がある。その点、従来の社会学的機能主義(社会システム論)は、成員の脱退を考えていない(いつでも丸抱え的に全体社会として捉える)。

機能は、社会維持のためにあるのではない。社会は、それ自身を維持していくために、存在するものではない。個人の環境適応のためにある。個人にとって、生物として日々変転する環境の中を生き延びることが最も重要である。

環境の変化に対応するためなら、既存の環境適応に役立たなくなった社会システムをいったん中止にして、新たなシステムを作り出してもかまわない。社会システムを中止/再生成するのは個々人の主体性に基づく。

要は、社会は、あくまで各個人が環境適応するために開発した共有ツール、道具に過ぎない。個人が主人であり、社会は従者なのである。



●個人と社会との関係

従来のウェットな社会学的機能主義では、機能は、社会システム・組織の維持に役立つものとして捉えられる。その点、全体社会に焦点が当たり、個人は最初から社会に従属するもの(歯車)として捉えられる。個人は社会の一部であるとする見かたによって、社会を構成する個人個人の姿が、「社会全体」の中に溶解して見えなくなってしまう事態が起きる。

これを避けるため、ドライな機能主義では、社会システムではなく、個人に焦点を当てる(機能主義にミクロな視点を提供する)。個人の環境適応に役立つ限りにおいて、社会・組織が必要というように見る。人間は自分自身の環境適応に必要な限りにおいて、社会・集団参加を行うとする。
 



●ホッブズ問題

従来の社会学においては、T.Parsonsが提起したように、政治国家が生成される以前の自然状態を、Hobbesの説に見られるような、万人の万人に対する戦争状態であるとみなし、どのようにしたら、個人間の闘争を止めさせ、社会システムの安定的秩序を作りだせるか、という問題が、解決すべきものとして、存在した。

T.Parsonsは、上記の問題について、

(1)人々に共通する価値体系を、各人のパーソナリティに内面化させる
(2)その価値体系を、社会システムの中に、制度化させる

ことを、解決の方法と見なした。

ドライな機能主義の見方では、これとは、違う方法を問題の解決方法とみなす。すなわち、

(1)個人の間に存在する差異、特徴、個性の存在を、各人に認識させる
(2)異なる個性に基づき、互いが異なる(自分の特徴・個性をよりよく発揮させる)機能を生成し、交換し合うようにする

この時点で、個人間に機能を巡っての相互依存関係が生まれ、闘争はなくなる、と考えられる。
 


●全体社会と個別社会

各人が、それぞれ独自に遂行している諸機能を、断片として捉え、それぞれの機能同士を、各々互いに相補的に当てはまる部分・箇所毎にくっ付け合わせたパズルの全体・合計が、「全体社会」である。

人々が個別に属するところの社会と、「全体社会と」は、同じではない。互いに切り離されて交流のない2つの社会があったとして、全体社会は、この2つを両方含んで捉えるものである。これに対して、人々が個別に属するところの社会(1人の人間が見渡すことのできる社会像)とは、人々にとって、自分との間に、機能の生成・交換・消費の面で交流のある他者の集まり(集合体)である。一方の社会の構成員にとって、交流(つきあい)のない、他方の社会は、「全体社会」の中には含まれるが、「個別社会」の中には、含まれない。

1人1人の人間には、全体社会を見渡す力がない。人間は、何らかの形で、相互交流のある相手しか、ひとまとまりの社会として認識できない。この場合、各人にとっては、「個別社会」が、「全体社会」と同じ意味合いを持つ。



●組織統合と環境適応

組織の統合を行うことは、以下の理由で、環境適応的である。
1)機能生成上必要な、取るべきコンタクトの数を減らせる
2)機能生成の重複をなくす  同じ機能生成が別々のところでバラバラに遂行されることをなくす  バラバラに遂行するより、一定の統率下で遂行した方がより環境適応的になる

一方、以下の点で、環境への不適応をもたらす。
1)統合した当の組織が壊滅してしまうと、他に代替の機能を果たす組織が存在しなくなってしまう。



●国家と機能制御

国家は、機能の生成・交換・消費のあり方を、人々の環境適応水準がより向上するように、ないし、良好な状態で維持されるように(機能の生成・交換・消費の最適化が行われるように)、監視し、制御する仕組みである。この点、国家は、人々の環境適応水準を高い状態で固定するために必要な、社会規範を管理する役割を担っている、と言える。最適化を行う際の指揮系統を一元化するために、国家は、一つしか存在しない。



●社会崩壊

社会の崩壊とは、今まで有効に働いていた機能の生成・交換・消費のつながりが断たれて、各人が、一人一人バラバラな状態になって、孤立無援の状態に陥ることである。すなわち、各人が、自分一人の力だけで、環境適応に必要な、最低限の機能を生成しなければならない状態のことである。社会の崩壊状態は、後進的な社会ほど起こりやすいが、先進的な社会でも、震災などで、部分的・一時的に見られることがある。

 


(c)1998-2005 大塚いわお


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