■宗教と機能-宗教不要論-(宗教分野への応用)


環境適応的機能主義は、従来の宗教に頼らずに、人間の良心を導き出したり、依頼心を満足させる方法の解明を目指している。

●宗教の果たしてきた機能

迷信や占いなどは、死後の世界など、情報のないことがら(空白領域)について、根拠無しに、それを勝手に想像した人工の情報(死後の世界には、天国と地獄とがあり、こうなっている....など)で埋めることである。

宗教は、こうした迷信において、空白領域のことがらを人工情報で埋める際に、自分を上から見守る、救う(依存できる)、上位者としての絶対者(神仏)の存在を仮定・想定する(前提とする)。自分の行為のよしあしを、いると勝手に仮定した絶対者が絶えず監視し、判定する、とする。

宗教の果たしてきた機能は、

(1)空白領域(死後の世界など)に関する、欠如した情報の補完
(2)自然法則の説明・根拠付け(神の摂理による...とする)
(3)同じ宗派の人同士の助け合い(相互援助、社会福祉)
(4)良心(善行をしたいと思う心)の発生
(5)依頼心の満足(頼りになる絶対者がいて、自分のことを見守ってくれている...とする)
(6)死後の世界で、よりよい条件で生き延びる(死後の世界における機能を得る。死後の環境適応水準の向上を図る。)権利の獲得

付近と考えられる。

死後の世界における環境適応水準は、例えばキリスト教では、

高い    天国

          煉獄

低い    地獄

である。
 

●未知のことがらへの態度

今後は、根拠のある科学による、根拠のない宗教状態からの脱却が必要である。

現代の科学的知見からは、人間の「霊魂」は、人間の脳神経系の活動そのものと考えられる。脳神経系の活動停止を人間の死と見なす、「脳死」の概念が受け入れられつつあることからも分かるように、人間の「魂」は、死んだ後はただ消え去るのみであり、死後の世界は存在しないことが、ほぼ確定的である。

世界で多数派を占める宗教(キリスト教など)の教義は、基本的には、1000年以前から全く進歩が見られない。その内容を、最新科学で変更する必要がある。宗教の教義を、科学的方法で発見された自然法則によって代替する。例えば、天国・地獄など死後の世界を否定する(全てが現世で決着がつくと考える)と共に、それでなおかつ良心が発生するように、「宗教の科学化」のための理論構築を行う必要がある。

科学は、空白領域を埋める情報に根拠があることが必要である。科学的態度を保つ(宗教に飲み込まれない)には、分からないことは全て白紙状態にとどめておき、自分の勝手な想像や仮定の結果(絶対者がいる...など)を付け加えない勇気を持つことが、欠かせない。

●良心の発生と依頼心の満足

死後の世界や絶対者の存在を仮定せずに、いかに良心を生み出すか?依存心を満たすか?

従来の人間の良心は、死後天国に行くために必要であるとされてきた。しかし、死後の世界が成立しないと分かった以上、天国・地獄の存在なしで、いかに人間の良心を生み出すか、保つかが問題となる。

また、従来の人間の依頼心は、自分を絶えず見守ってくれている絶対者の存在によって満足されてきた。しかし、絶対者の存在を仮定することが難しくなった以上、いかに人間の持つ依頼心を満足させるか、が問題となる。

この場合、人間は一人では生きられない(生きるのに必要な機能の全てをまかないきれない)、という点が、発想の原点となる。

人間は、何かしら機能を他者に提供しないと、見返りに他者が提供する機能をもらえず、生きていけない。あるいは、(他者がよりよい状態で、自分のために働いてくれるように)他者を助けないと、自分も生きられない(環境適応できない)。したがって、他者の福利厚生をよくすること、他者のことを思いやること、人のためになろう(人の役にたとう)とすること、が必要となってくる。自ら実践して、人助けをしないと(人助けの思想を広めないと)、いざというとき自分も助からない(助けてもらえない)。

このように、変転する環境下を生き延びる上での、他者との協力の必要性が、人間の良心を生み出す源泉となる、と考える。
他人の環境適応に役立つことを進んでしようとすることが、心の温かい、良心的である、とされる、と考える。

人間にとって、基本的に、よい(好ましい)状況とは、
(1)自分自身が生き延びること、
(2)自分自身(遺伝的・文化的コピーを含む)が増える、広まること、
(3)自分自身を取り巻く生存条件がよくなること、
付近である。

こうした、人間にとって好ましい状況が、自分以外の周りの他者にとっても促進される方向で行動することが、良心的とされる。そして、そのことは、単に他者を救うだけでなく、周り回って自分自身を助けることになる。「情けは人のためならず(自分のためでもある)」ということわざは、この辺りの事情を示していると考えられるが、このことわざこそが、人間が、宗教に依存せずに(天国/地獄の概念に頼らずに)、良心を発生させるきっかけとなる、とも言える。
 

死後天国に入るためでなく、自分が現在生存している世界において、自分自身や、その分身(子孫、思想)=コピーを広める、生き延びさせるために、善行を行う。自分を取り巻く周囲の人々がよい状態にいないと、自分自身の分身を含めて、周囲の人々の間に広められない(生き延びられない、増やせない)。例えば、周囲の人々の生活水準(環境適応水準)が低いと、せっかくオリジナルな新しい思想を考えついても、余裕がなくて受け入れられない、といった事態が起こりうる。

こうした現在生存している世界での良心発生については、法規範の助けを借りるとより効果的にすることができる。すなわち、人の環境適応の役に立つことをすると、称賛され、人の役に立つのに反することをすると、罰を受けるようにすればよい。

次に、絶対者を出さずに依頼心を満足させるには、依頼する対象を、自分自身を除く、残りの人々全体の集合体である、全体社会に求めることが、新たに必要となる。すなわち、絶対者への依存(救いを求める、など)を、全世界の人間同士の助け合い、生きる知恵の出し合いに置き換える。

人間は、自分が、どんなに孤独なときも、実はひとりぼっちではなく、自分を除く残りの社会全体(残りの人々全員)によって、生存のために必要な機能を与えられ、支えられている、ということに気づく必要がある。絶対者が存在せず頼れない以上、人間だけの力を、最大限寄せ集めて、苛酷な自然環境に逐次立ち向かって、生きていくしか、道は残っていないのである。地球規模で、今まで互いに無関係だった、ないし、反目していた、人間同士が互いに協力しあい、支え合って、最大限の力を、最も効果的に振り絞って、生きのびるための知恵を、絶えず結集できるシステムを構築することこそが、「ポスト宗教」の時代の、人間の依存心を満たす上で、最も緊急な課題である。

自分を救ってくれるのは、自分自身を除く残りの全体社会の中の誰かであり、そういう助けてくれる人々が、全世界の中に必ずいる(全世界規模の人間同士のネットワークこそが、唯一頼りになる)ことに、全幅の信頼を置くことこそが、必要である。自分がどんなに困っていても、常に世界中の誰かによって、温かく見守られ、絶えず保護の対象となりうることを、確信する必要がある。ただ、この場合、自分が困っている、助けを必要としていることを、誰か親切な他者に伝える必要がある。地球規模のインターネットは、助けを求める他者を、縁故をたどらなくても、直接探し出すのに、役に立つ、と考えられる。

なお、従来の宗教において、天国に入ろうとすることは、死後の世界で、自分自身が、高い環境適応水準を得て、快適な思いをしようとする点、(たとえ、それが他者に対する善行を伴ったとしても)十分自己満足的で、エゴイスティックな行為である。エゴイスティックさでは、自分が今生きている世界で、自分の分身や子孫(生物的、文化的、両方)=自分自身のコピーをよりよく広め、増やし、生き延びさせようとするのと、何ら変わりない。
 



(c)1998-2005 大塚いわお

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