機能交換 Function Exchange

1998-2005 大塚いわお


[要旨]

分業状態にある人間は、自分の欲する機能を必ずしも自身の手で生成していないことがほとんどである。従って、自分の手で生成している機能を、(それが不足している)他者に渡して、その代わり、他者が生成している自分の手元に足りない機能を手に入れる必要がある。そこで、相互に必要な機能(生成の担い手)を、社会のすみずみから探し出して、互いに不足している機能同士を交換しあい、自己充足することになる。

すなわち、人間は、自分の生成する機能を他者に差し出し、その見返りとして他者の生成する異なる機能をもらう。この場合、代わりに他機能への引換券、貨幣をもらうこともある。また、自分の生成する機能との交換で入手した、他者の生成する機能への引換券、貨幣を他者に差し出し、それと引き換えに他者の生成する機能をもらう。これが「機能交換」である。


1.社会的分業



当節では、以下で述べる、「機能交換」の概念を説明する上で必要な、社会的分業と人間の環境適応との関連について、述べる。


なお、以下の文章における「機能」とは、人間の環境適応に役立つ働き一般のことを差している。より詳しくは、環境適応的機能主義のページを参照されたい。

また、以下の文章は、その視点が、互いに分離・独立・自立して自由に動く個人ベースから出発するドライな見方からなっている。詳しくは、ドライな機能主義のページを参照されたい。

人間一人一人は環境適応(生存し続けること)を指向する。その際、人間は、一人だけでできることは限られており、生存に十分な環境適応水準を得ることができない。そこで、環境適応水準を、生存に十分な程度にまで、向上させるために、互いに協力しあおう=集団~社会を作ろうとする。

人間が作る、集団~社会の種類としては、次の2種類が考えられる。

1.各人が別々の種類の機能の生成を互いに関連しあう形で行う(分業)。各人が別々の機能生成をそれぞれ担い、互いにそれらの機能同士をリンクさせて、より高度なひとまとまりの機能として実現させる=各人が別々の機能生成に専門化することで一つ一つの機能生成のために投入される作業の質を高めることで環境適応の水準を高める。

2.同じ仕事を多人数で行う(地引き網引きのように)一つの機能の実現を、全員が一丸となって行う=皆が同時に一斉に同じことをやることで、一つの機能に投入される人数を増やすことで環境適応をはかる。

1の分業(社会的分業)とは、個人の立場から見るならば、個人毎に異なる機能を互いに他者に対して提供すること、あるいは、(分業している)各人が、他者が環境適応を行うのに役立つための働きを行うこと、を指すといえる。

機械的連帯から有機的連帯へ(E.Durkheim)の命題は、人と人との連帯のありかたが、共同作業(皆が同じ作業を同時に行う。機能の総量が環境適応水準を超すことが目的)から分業(機能交換。機能分化させた方が各機能の質・量が環境適応水準を超えやすい)へと進んでいくことを示している。上記の分類では、1が、有機的連帯に当たり、2が、機械的連帯に当たる。

分業が始まる原因は、個人が社会(共同)生活を始める原因と共通している。

一人一人の生活水準(=環境適応水準)を上げようとする心理がもともとの原因である。分業は、人間が皆で手分けして別々の作業を行うことにより、かえって互いに環境適応しやすくすることを目的とする。分業の進展による、社会の機能的分化は、人間個人に内在する、環境適応水準向上圧力(EALIP)が、原動力となって、起こる。

人間が必要とする機能は、衣食住の広範囲にわたるものである。これらの広範囲の機能生成を一人だけでカバーしようとすると、生成される機能に、不十分な、ないし欠陥の存在する部分がどうしても出てくる。その結果、環境適応水準が十分なレベルまで上がらず、結果として、生き残れないという事態が生じる。そこで、分業による専門化=機能分化を行って、生成する機能の内容の純度を上げることにより、環境適応水準の上昇が達成される。

結局、分業は、そうする方がより各人の環境適応能力が高くなるため起こる、といえる。
 

分業の原因は、A.人間の側にあるものと、B.人間を取り巻く環境の側にあるものとの2種類が考えられる。
 
人間の側にあるもの
A-1. 個人の能力差
A-1-a. バラエティにより起こる(知力・体力の相違など) 各人が自分の能力を最も発揮できる種類の作業に従事するようにして、社会的分業の最適化(社会を構成する各人の環境適応によりつながりやすくする)をはかる。

個人毎に能力にばらつきがあり、得手不得手が存在する。各人にとって、最も得意な作業に従事することが、自分だけでなく、自分が生成する機能の消費者となる、他の人々の、環境適応水準をも、同時に高めることになる。

A-2. 個人の何でもこなす能力の限界
A-2-a. 個人は、同時に多数のことをやるより、少数のことに集中した方が習熟が速く、アウトプットがより精緻・正確・合理的になりやすい。したがって少数のことに集中した方が、より環境適応能力が上がると考えられる。
A-2-b. 一人の人間にとって、環境との相互作用において、生命維持のためにしなければならないことの種類がたくさんあり過ぎる。 一人で全部やろうとする(自給自足)と、各々の種類について低い水準の機能のアウトプットしか得られず、環境適応するには能力不足となる。

能力不足の状態を解消して個人の環境適応水準を上げようとするためには、作業の種類毎に手分けして行う必要がある。手分けを可能にするには、機能を交換しあうために、(互いに異なる種類の機能生成を分担する)大勢の他者と出会わなければならない(これは、社会的分業が起きる原因についてのE.Durkheimの説明=社会的密度の増大とのつながりを説明すると言えよう)。

環境の側にあるもの
B-1. 個人を取り巻く環境差。環境差(例 海沿いの環境 vs 内陸の環境)に伴い、最適な生産物(生成すべき機能)の種類に違いが生じる。異なる環境下で生活している者同士が出会うことにより、互いに相手にはないもの(機能)を生成していることに気づいて、交易(機能交換)関係に入る(干し魚 vs 山菜の交換)ことで、分業が成立する。 

が考えられる

分業の種類としては、以下の2種類が考えられる。

A.システム的分業 機能同士が、相補的・相互依存的関係にある。分業している一方が環境不適応で駄目になると、環境に適応しているはずの他方も駄目になる(例 水力発電オンリーの社会で水力発電ストップ→電力に依存するオフィス機能の停止)。

B.並行的分業 アウトプット内容が同一・類似(だがその生成方法が互いに異なる)機能を複数用意した場合がこれに当たる。機能上、いくつか互いに並行する選択肢を用意(例 火力、水力、原子力発電)して、一つが不適応となっても他が代替できるようにする(緊急時の代替性を確保する)。


●(参考)E.Durkheimが指摘した、分業(有機的連帯)の原因(「社会分業論」)

(1)社会的容積の増大

(2)諸個人が置かれた環境の変化

(3)社会的密度=人と人との接近機会の増大


●分業状態にある者同士の関係

分業状態にある人間同士の関係は、A)システム関係にある場合、B)並行関係にある場合、とに分けられる。
 
A. 互いにシステム的・相互依存関係にある場合
A-1 互いに異質である。異質な者同士の相互依存は、有機的連帯(E.Durkheim)に当たる。
A-2 互いのインタフェース(接合)部分のみを理解し、他の部分はブラックボックスとなって互いに理解不能である。その意味で、相互疎外感(同士意識の欠如)・コミュニケーションの不能性を生み出す。
A-3 互いに利益計上関係にある。互いに相手にないものを持っている。需要と供給関係にあり、互いが儲けの源泉となる。
B. 互いに並行(同類・共通的)関係にある場合
B-1 競争的関係にある。互いに同じことを先んじてやろうとする。
B-2 共同主観的関係にある。お互いの言っていることの基本部分が共通に理解できる。相互のコミュニケーションが可能である。就職などで一方から他方へと転身可能である。

(Aの例→電力を供給する会社と、コンピュータを製作する会社があるとして、電力会社では、コンピュータの細かいことは知らず、表面的な仕様のみを理解している。コンピュータ会社では、電力がどうやったらできるのかなど細かいことは知らず、コンピュータが動作するに足るだけの電力が供給されるかどうかのみに関心を持っている。

こうした場合、電力会社の技術者と、コンピュータ会社の技術者の知識や考え方は、互いに異質(全く別物)であり、互いに相手の言うことを理解しにくい。したがって、電力会社の技術者と、コンピュータ会社の技術者との間の会話は、双方が同時に理解できるだけの、ごく表面的なコミュニケーションしか取れないものになる。

ここで、電力を生み出す技術は、コンピュータ会社にとって、コンピュータを動作させる上でなくてはならない、必須のものであり、コンピュータ会社が電力会社に電力代金を支払うことで、電力会社を儲けさせる。一方、コンピュータ会社の技術は、電力会社にとって、生産電力量をコントロールするなどのために、やはり必須のものであり、電力会社がコンピュータ会社からパソコンなどを購入することで、コンピュータ会社を儲けさせることになる。

以上のように、電力会社とコンピュータ会社とは、互いに相手の需要に応えて供給を行い合う関係にあり、互いに儲け合う関係にあると言える。)

(Bの例→電力会社とガス会社とは、互いにエネルギー供給を行うという点で同類・共通の関係にある。この場合、例えば風呂への給湯機能サービスで、電力会社は深夜電力を活用した電気温水器を販売しようとし、ガス会社は、ガス湯沸器を販売しようとする。このように、両社の販売戦略はエネルギー供給という点で互いに競争関係にあることが分かる。ここで、両社の営業マンは、互いに相手の会社に転職しても、風呂給湯設備の販売という点で、同じ経験を積んでおり、ほとんど同一の仕事につくことが可能である。)

J.Habermasによる、生活世界とシステムとの二元的な把握との関連で言えば、Aはシステムであり、Bは生活世界に対応する、と考えられる。
 


●専門家の出現

分業が進展すると、専門家(高度な分業により分化した各領域の機能生成を司る者)が、広い社会の中に、各専門領域毎に少なくとも必ず一人いるようになる。

専門知識が必要な困ったこと(機能不全状態に陥ること)が起きると、口コミなどで探索されて呼び出され、社会全体に向けて、環境適応に有効な知識を一挙に広める。

ただし、専門化が進展すると、異なる専門に属する人間同士では、お互いに話が通じなくなるため、各々の専門の殻の中に閉じこもり、結果として、既存の社会の枠組みを打ち破る新しい考え方が出にくくなり、社会変動と、それに伴う環境適応水準の劇的向上が起きにくくなる。

そこで、異なる、今まで互いに交流のない専門分野同士を組み合わせて、掛け持ちする人々の数を増加させることで、今までにない組み合わせに基づく発想が生まれやすくなって、科学・技術上の新たな発見・発明につなげることができ、環境適応水準の向上につながる。
 


2.機能交換


人間の環境適応に必要な多くの機能は一人だけでは賄い切れない、また、各機能の生成者が特定の機能を生成することに専門化することで、生成される各機能の有効性・性能をより向上させる必要がある。従って、他者との機能交換が必要になってくる。

分業が進んだ状態において、各人にとっては、機能の自給分(自分自身だけでまかなえる機能)は僅かである。
 

そこで、各人は、互いに分業状態にある場合、(1)多数の他者と、(2)多段階にわたって、機能のやりとりをする必要がある。

言い換えると、分業状態にある人間は、自分の欲する機能を必ずしも自身の手で生成していないことがほとんどである。従って、自分の手で生成している機能を、(それが不足している)他者に渡して、その代わり、他者が生成している自分の手元に足りない機能を手に入れる必要がある。そこで、相互に必要な機能(生成の担い手)を、社会のすみずみから探し出して、互いに不足している機能同士を交換しあい、自己充足することになる。

すなわち、人間は、自分の生成する機能を他者に差し出し、その見返りとして他者の生成する異なる機能をもらう。この場合、代わりに他機能への引換券、貨幣をもらうこともある。また、自分の生成する機能との交換で入手した、他者の生成する機能への引換券、貨幣を他者に差し出し、それと引き換えに他者の生成する機能をもらう。これが「機能交換」である。

機能交換の説明図

機能交換が必要な理由としては、以下の2つが考えられる。

1.分業により自分が社会の他部分の環境適応に対して貢献した価値の分を受け取るため

2.社会の他の部分(他者)が生み出す機能(生命維持に必要だが、自分では作れない、他者に作ってもらう必要がある)を自分が享受するため



●機能交換と社会システム理論

機能交換は、機能を巡っての、社会を構成する各人同士の相互依存を生み出し、結果として、社会の統合をもたらす。それと同時に、各人が生み出す機能の分化を生み出す。機能分化は、各人の能力にとって最適な内容の機能を生み出すように分化する。こうした点で、機能交換は、社会のシステム化をもたらす、と言える。こうした考え方は、機能主義と、社会システム理論をつなげるものであると言える。
 


●社会システム統合

互いに異なる機能生成を担当する社会の部分同士(例えば、農村と漁村)の統合は、異なる機能同士が出会い、交換が起きることで起こる。機能同士の出会い(漁村で作られるミネラル分の多い昆布と、農村で作られる炭水化物の多い稲)は、最初は、それぞれの機能物質を持った人同士が互いに同じところを通り掛かるなどして、偶然に起こり、その結果生じた機能交換(漁村は稲を手に入れ、農村は昆布を手に入れる)がもたらす利便性が、いったん生まれた交換関係を持続させる。交換関係の持続が、社会システムの各部分同士の結びつき、統合をもたらす。N.Luhmannの言う、「システム統合」は、機能交換の試行錯誤的な発生と、その持続によって、説明されるといえる。


●機能交換・売買と市場

機能は、普通、何段階もの(いくつもの)交換を重ねて、機能生成者から消費者へとわたる。

市場(町)は、互いに分業関係にある人と人との間で、機能交換・売買が行われる場である。

市場では、各自が提供したいと思う/手に入れたいと欲する機能の質や量をその場で計算し比較することにより、最適な交換・売買の関係が樹立されることを目標とする。

すなわち、自由競争が入ることにより、分業下での各機能の需要と供給関係が最適調整されることを目指す。

組織を明示的に組まなくても、全体社会の統合があり得る。市場における機能交換・売買関係による、交換によるつながりのある者同士の相互統合がそれである。

小さな局所的機能交換関係がもたらす相互結合の積み重ねが、全世界レベルへの分業へとつながっていく。相互結合は、市場において、偶然に基づいてもたらされる。



●機能交換と自由

異なる機能同士が出会う機会や、機能同士の組み合わせの自由を、できるだけ大きくすることが、より適切な機能交換を生み出し、人々の環境適応水準を高める。このことは、例えば社会主義で見られたような、機能同士の出会いや組み合わせを人為的に統制するやり方が、あまりよい成果を生み出さなかったことにより、明らかになりつつある。


●機能交換に交通・通信が果たす役割

交通・通信は、人と人との間の機能交換を媒介する(ある機能と他の機能とを同一場所に出会わせる)、すなわち機能を生成する者から欲する者へと、機能のバケツリレーを行う役割を担う。その意味ては、機能の流通を担う(各人の生産する機能が各人が参加する社会のすみずみまで流通し行き渡るのを助ける)、といえる。

流通(ある人が生成した機能を、それを必要とする人のところに届けること)自体が、機能の媒介・運送を必要とする人の生存に役立つという点で、機能的である。



●機能流通の過程での機能の加算(積み上げ)と価格付け

機能流通の過程において、様々な付加的機能が必要となる。それらは、順に生成され、そこにやってきた機能に対して、次々と付け加えられ、積み上げられていく。

例えば、食糧生産においては、

 機能(栄養)を内蔵した物質である食糧(果物)の生産(農家による)
→(食糧が次の段階で必要とされる場所への)保冷しながらの運送(運輸業者による)
→集荷・加工・包装(加工業者による)
→(次の段階で必要とされる場所への)運送(運輸業者)
→市場での競り(市場関係者)
→(消費地への)運送・保冷(運輸業者)
→陳列・小売り(小売り業者)
→(交通機関などを利用してやってくる)機能消費者(果物を食べたい需要がある人)

といった過程をたどって、各業者(機能生成担当者)が、そこに運ばれてきた機能物質に対して、その場で必要となる機能を新たに生成しては、新たに付け加えて行き、最終的に機能消費者のもとに、積み上げられた機能の合計が渡される、ということになる。

消費者は、その手に渡るまでに積み上げられた各機能の合計を、最終的に一度に使う(消費する)。その瞬間、彼は、各機能(食糧生産、運送、陳列...)の恩恵に一気に浴する。
 

必要な機能が、順に生成され、加えられる過程で、各機能に価格が付く。
価格は、(1)機能生成にかかったコスト(費用)、(2)他者の役に立つ度合いに応じて、他者から支払われるべき対価、として付けられる。
価格は、機能物質が、次の機能提供者に渡る都度、加算されていく。そしてその総計を、最終消費者が支払う。


●機能提供とフィードバック

機能生成者は、機能提供先(顧客)が自分の提供した機能に満足することを指向する。満足されるとうれしい(快感を呼び起こす)。自分の機能生成能力(有能さ、提供する機能が有する環境適応水準の高さ)が認められ、より広い提供先(顧客)を獲得することを指向し、そのことが機能提供のあり方の改良につながる。そのためにも、自分の提供した機能がどのような評価をもって提供先に迎えられたかについての情報(フィードバック)を、絶えず知りたがるということになる。フィードバックの存在が、社会に流通する機能の質を高めることに貢献する。


●社会学の既存の交換理論との類似・相違点は何か?

G.C.Homans、P.M.Brauらによって提唱されている既存の交換理論は、人間の行動を他者との報酬の交換関係と見る考え方であるが、そこには、「機能」の交換という概念に欠けている。あるいは、環境についての認識(環境との相互作用、環境への適応、交換の目的が相互の環境適応のためにある、など)に欠ける。

機能主義の機能交換に関する命題を、既存の交換理論の命題(G.C.Homansによる)に倣って書くと、以下のようになる。

「人間は、他者の環境適応により貢献する機能の生成・交換を行うと、他者からより多くの報酬(自分が持っていない機能の提供、ないし貨幣の提供など)を受ける。彼はより他者の環境適応に役立つこと(機能の生成~交換条件の整備)をしようとする。」


●貨幣と機能交換・売買

貨幣は、自分の生成する機能を、他者に、対価と交換で売り(引き取ってもらい)、自分が持たない他機能を、他者から対価と交換で手に入れる(買いつける)際に、対価の質量を計るmeasureとして使用する、自分と他者との間で共通の価値を持つ任意の物品、情報etc...である。

他者との機能交換・売買には、貨幣が必要となる。貨幣が必要な理由は、分業関係にある(生成された)各機能の価値の間に互換性を持たせるためであり、機能の円滑な流通に不可欠だから、と考えられる。

貨幣の出現は、機能交換や分業の発生と不可分である。

貨幣のやりとりがあるということは、分業(システム化)が起きている証拠である。

貨幣を機能交換のメディアとして用いることにより、貨幣が流通している人々の間で、分業をベースとした社会システムが自動構築される。これは、貨幣の交換関係による分業連鎖が起きることにより貨幣が社会を一つのシステムにまとめる力を持っていることを示す。

貨幣を得る、ということは、通常は、分業システムに参加している(ことによって他者を助けている)、他者の環境適応のための機能生成を果たしている証拠である。

知らないだれか(不特定、何人かも分からない)他者の環境適応に貢献した対価として、貨幣(賃金)=他者による何らかの(内容は不特定の)機能提供が得られることを保証するクーポン、を受け取る権利が生ずる。この権利を放棄するのが、ボランティアである。

貨幣は、それを利用する個人の、環境適応の幅を大きくする。貨幣の利用により、いつでもどのような望みの機能とも交換できるようになり、機能選択・消費の時間的・種類的制約をなくす。

機能の価値の見積もりは、原価計算によって行う。

重要機能(他者が取って代われない)を遂行するほど、貨幣など価値あるものがが手に入りやすい。機能の重要性×供給量の少なさと、価格とは比例する。

価格が付くものは、本来、みな何かしら機能を持つ、環境適応に役立つといえる。そうでない場合は、詐欺に相当し、機能交換が正しく行われなくなる(ひいては、機能が欲しい人々の環境適応を阻害する)事態をもたらす犯罪として処理されることになる。例外としては、麻薬取引のように、環境適応にとって有害なのに、高い価格が付く場合がある。

価格変動は、機能の上昇/低下×機能についての需給収支、によって決まる。

各人が担う機能は、環境の変化によって有効になったり無効になったり、競争力があったりなかったりする。機能に付く価格は、機能の現在持つ有効性に比例するといえる。いつ有効性が変化するかは予測しにくい。

貨幣を蓄える(貯金する)ということは、他者が持つ機能の取得、(自分の持つ引換券と相手の持つ機能との)交換可能性、能力を蓄えることに他ならない。

分業システムの異常を、市場における価格や、貨幣相場の動きによって知ることができる。

通貨量は、果たされている機能(の価値)総量と等価であることが理想的である。機能の価値を計る物差しが、その機能の価格である。

貨幣は、生体における、各細胞の呼吸、生存に必要な酸素と同じ役割を、社会における、各個人に対して持っている。自分のところに貨幣が来ないと、お金が回らないと、社会のその部分の人は生活できなくなり、生きていけなくなる。酸素が生体内をくまなく巡るように、「金は天下の回り物」である。



●人間と他生物との機能交換

機能交換は、人間同士に限らない。他の生物との間で、互いに、相手にとって有効な機能を交換し合う、という現象がよく見られる。例えば、植物の稲と、人間との関係が、これに当たる。稲は、人間に、炭水化物などの、人間の生存に必要な栄養分(機能)を豊富に与える。人間は、その見返りに、土地を開墾して、たくさん稲を植えてあげて、こまめに除草や害虫駆除をするなどして、その生存に協力している。こうした、生物間の(生存に有効な)機能の双方向でのやりとり・融通が、従来の生態学における、「共生」に当たると考えられる。



●コミュニケーション・情報の概念と機能交換・機能回線

コミュニケーションは、2人の間において、一方の持つ情報が、他方にコピーされる過程を示している。言い換えれば、コミュニケーションは、情報のやりとり・交換が起きる過程を表している。

ここで、情報は、こうすれば環境適応に役立つ行動ができるということへの手がかりを教える(示唆する)ものであり、それ自体、環境適応にプラスになる、個体=生命システムを存続させるのに役立つ「機能」を持っている。例えば、地方自治体の防災無線を通じての津波警報という住民向け情報は、住民に対して、津波による生命の危険が迫っていること、死を回避するために、高台へと避難する行動をとるべきこと、を教える。この場合、情報は、1)現在、情報の受け手を取り巻く環境がどうなっているか、状況を示すこと(環境状況の提示)、および、2)情報の受け手が、現状の環境に対して適応するには、どんな行動を取ればよいか、教えること(適応手段の教示)からなり、いずれも、情報の受け手の環境適応に役立つ、「機能的」なものと言える。

したがって、情報のやりとりとしてのコミュニケーションが起きるということは、個人間に、「機能」のやりとり・融通が起きているということであり、すなわち、「機能交換」が起きていることに他ならない。

コミュニケーションには、目標達成の手段を相手に示す、「道具的(instrumental)」なものと、緊張解消などコミュニケーションを行うことそれ自体が目的である、「コンサマトリ(consummatory)」なものとがあるとされる。上記の津波警報のたぐいは、環境適応の手段を、受け手に教える点で、「道具的」と言える。

相手とコミュニケーションを取ること自体が自己目的化している、コンサマトリなコミュニケーションにおいては、コミュニケーションを取ることで、情報の受け手との一体・融合感を高めたい、より親しくなりたいというメッセージ(情報)を、受け手に対して送っていることになる。この場合、互いに親密になることで、より多面的でスムーズな機能の相互融通=機能交換が可能となる(これは、相手との通信回線のつながりが、より太く確かなものになることを示す)。見知らぬ人には、いきなり頼みにくいことでも、親しい友人同士だと頼みやすい、ということはよくあることである。機能の相互融通(交換)の機会の増大は、自分の環境適応に必要な機能を、相手からより手に入れやすくなることであり、それ自体、生態学的に見て、機能的ということになる。

こうしたことから、コンサマトリ・コミュニケーションは、それ自体は、機能のやりとりを行う「機能交換」には当たらないが、相手とより親密になることにより、相手との機能のやりとりを行うための回線を、より太く、確実なものにする点で、個人間の「機能交換」行為自体を促進する働きを持つといえる。

友人、家族関係や、共同体(ゲマインシャフト、コミュニティ)で見られるコミュニケーションは、互いに打ち解け合い、何でも互いに話し合える関係に基づいている。その点、機能のやりとりを行う回線(機能回線)が、太く、恒常的につながっており、切れにくいと考えられる。一方、企業や官庁のようなビジネス・ゲゼルシャフト関係で見られるコミュニケーションでは、機能の通り道となる回線は、細いか、契約が終われば切れてしまう、恒常性に欠けるものである、と考えられる。
 


(c)1998-2005 大塚いわお


トップページに戻る