ドライ・ウェットさと都市・農村

都市と農村とで社会のあり方を比較すると、「ドライ=都市、ウェット=農村」という図式が成立する。その理由を以下に列挙する。

1)農村は、住民の職業が、自給自足的な農業という点で共通しており、互いに同質である。少ない人数で様々な異なる作業をこなさなければならず、分業(機能分化)が不活発であり、その点、各人の職業が互いに異質な都市に比べて、各人の心理的位置関係が互いに近接しており、ウェットな感じを与える(同質指向)。

2)農村は、住民が何世代にもわたって同じ一カ所に定住し続けるため、定着性が極めて高い(定着指向)。その点、住民がどんどん入れ替わり定着性が低い都市に比べて、ウェットな感じを与える。

3)農村は、同一の組み合わせの人付き合いが、何世代にもわたって続き、住民間に地縁・血縁の縁故関係が累積しやすい(縁故指向)。その点、人付き合いが一時的ですぐに切れやすい都市の人間関係に比べて、ウェットな感じを与える。

4)農村の居住形態は、物理的には都市よりも世帯同士が互いに分散している点、一見ドライに見える。都市の方が、物理的には一見過密であり(密集指向)、ウェットに見える。しかし実際には、都市では、オフィスや住居毎に、丈夫で分厚い壁や持ち主当人にしか開かない鍵が存在し、個人同士を大きく隔てる効果を持っており、心理的には農村よりも各人は互いに隔離され分散している(広域分散指向)。従って、実際には、都市の方がよりドライである、と言える。

5)農村は、人間同士が長年付き合っているので、相手の物の考え方が、たとえ隠しているつもりでもすぐに露見してしまう。周囲の相手が、いろいろな場面で具体的にどう反応するか(どう出るか)についてたくさん場数を踏んでいるため、周囲の相手のいろいろな面が多面的~全面的に分かって(見えて)しまう。互いに何をしているか隠しようがなく、匿名性が成立しない(あくまで実名の世界である)。そういう点でプライバシーが欠如しており、ウェットである。一方都市では、住民は互いのプライバシーを守るため、互いに深入りしない皮相的・匿名的な人間関係を形成する。その点、ドライであると言える。

6)都市の方が、外部からやってくる様々な人々を受け入れる開放性に富んでおり、ドライである。農村では「部落根性」という言葉があるように、よそ者を排除し、自分たちの間だけで強固な結束を誇りがちであり、その点閉鎖的であり、ウェットである。


しかし、最近では農村でも、交通手段の発達により、例えば自家用車が高い普及率を誇るようになり、自動車に乗って舗装整備された道路を使ってあちこち出かけるようになっている。その点、住民の定着性が薄れ、遊牧民化しつつある。また通信手段(インターネットなど)の普及により、人間関係の村落内限定の度合いが薄れ、他地域の様々な人々との間で交流が進みつつある。

現代の農村では、こうした交通・通信の発達により、各自が多様な価値観に個別に出会うようになって、心理的に違いに別々の世界に属することで、個人間の心理的距離が増大し、人間関係のドライ化が進んでいると言える。


(c)2001.9 大塚いわお

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