心理的近接について

(c)1999.9-2005.10 大塚いわお


1.心理的距離空間とは何か?

元来、互いに同じ考えを持つもの同士は、「同志」などと互いに呼び合うなどして、互いの間の距離(mental distance)が小さい・近いと考えられる。一方、互いに異なる、ないし、反対の考えを持つもの同士は、互いの間の距離が大きい・遠いと考えられる。

こうした、対人関係における距離感の大きさは、従来、例えば、山根一郎(1987)などにおいて、(対人的)心理的距離という概念で捉えられてきた。

この個人間(対人的)心理的距離を説明するために、以下では、「心理的距離空間(mental space)」という概念を、

「人間の関心・興味の領域を、n次元空間の広がりにおいて捉え、かつその中のどの位置に、各人が存在するかを明示可能としたもの(各人の存在位置は、各人の興味分野の相違によって異なる)」

ないし、

「個人同士が、心理的に互いに近い位置にいるか、遠い位置にいるかを表すための多次元空間」

として、導入する。


 2.心理的距離空間内の分布位置について

心理的距離空間内における、複数の人間の分布位置(mental position)について考える。人間が心理的距離空間内においてどこにいるかを知るということは、その人が何に興味を持っているか、どのような思想に賛成しているかを知るのと同じである。

例えば、AさんとBさんとが同じ鉄道という趣味を共有しているとき、2人の心理的距離空間内における分布位置は、鉄道という概念の近くに存在し、ほとんど同じである(近接している)。

Cさんが、鉄道に近いバス(両者とも、公共交通機関ということでひとまとめにできる)という趣味を持っているとき、Cさんの心理的距離空間内における分布位置は、AさんBさんのそれより少しずれている(離れている)が大分近い。Dさんがクラシック音楽という、鉄道・バスとは全く異なる趣味のみを持っているとき、Dさんの分布位置は、A,B,Cさんのそれとは大きく離れている。


 
 

あるいは、消費税率引き上げ賛成・反対に関して、心理的距離空間の概念を導入したとする。AさんとBさんとが、共に消費税率引き上げを支持しているとき、AさんとBさんとの心理的距離空間内における分布位置は互いに近い。この場合、位置が近接しているAさんBさんは互いに親近感をもって引き付け合い、一体化・集団化する可能性が高い。CさんとDさんが共に消費税率引き上げに反対しているとき、CさんとDさん同士の分布位置は近いが、賛成しているAさんBさんとはかけ離れた位置にいる(遠い)。この場合、互いに近い者同士の間で引きつけ合う力が、CさんとDさんの間に働く可能性がある。

ここでCさんが消費税率引き上げ反対をやめ賛成に近づいたとすると、Cさんは心理的距離空間内を移動して(消費税率引き上げ賛成の)AさんB さんのいるところに近づくことになる。
 


3.心理的距離空間内の距離について

心理的距離空間内における距離の出し方は、以下の通りである。

(1)ある概念に属する者があったとして、その概念に近い者は、近くに、その概念に遠い者は、遠くにあるものとして、計算する。
(2)同一概念について、互いに同意見の者同士は、近くに、互いに反対の意見の者同士は、遠くにあるものとして、計算する。
(3)結びつきの強い者ないし結びつきの個数の多い者同士は、近くに、弱い(少ない)者同士は、遠くにあるものとして、計算する。

こうした、心理的距離空間内における距離は、脳神経系内において各概念を代表する細胞(群)同士の距離(刺激伝達時間で計る)と関係があるものと考えられる。
 


4. 物理的空間との関連について

人間同士、物理的に互いに近くても、心理的距離空間内では互いに離れている(ないしその逆)、ということが起こる。例えば、消費税率引き上げ支持者と反対者とが、同じマンションに同時に住んでいるような場合である。
 
 


5.心理的存在位置
 
心理的距離空間内で、各人が占める位置は、「心理的存在位置(mental position)」として捉えられる。

心理的存在位置は、
1)領域・分野・次元(興味・関心、好み・趣味・イデオロギーなど)、
2)属性・所属(人種、性別、居住地域など)、
3)水準(知識・知能・学習・能力など)、階級・地位(組織内の職階など社会的なもの)、
4)パターン(思考、行動、習慣)
といった、各人がどこにいるか、属するかを指示する概念・用語で説明することが可能である。自分と相手との間で、それぞれの概念において、共通性が高いほど、互いの心理的存在位置が近く、心理的距離が近いと言える。例えば、同一の趣味を持つ者同士は、そうでない者同士に比べて、心理的に互いに近い位置を占める。逆に、互いの価値観が異なるようになる、興味・関心を共有しなくなる、能力水準や成績が離れると、心理的に遠くなる。

心理的存在位置の遠近は、遺伝的に決まっているもの(男女の性差)と、後天的・文化的な所産(日本に住んでいる場合と、アメリカに住んでいる場合の生活習慣の差)に基づくものとがある。
 
心理的存在位置が、互いに相違すると、互いにバラバラに分離しているとしてドライに感じられ、共通だと互いにひとまとまりに一体化・融合しているとしてウェットに感じられる。

心理的存在位置が互いに近い、心理的距離の近い者同士は、当初は見知らぬ赤の他人でも、いざ付き合い始めるとほどなく「おお同士よ」ということで、親密に仲良くなれる。また、友人、恋人として長続きする。一方、心理的存在位置が互いに離れた、心理的距離の遠い者同士は、知り合った当初は親密でも、付き合いが進むに従って、互いの考えの相違が次第に気詰まりに思うようになり、だんだん付き合いが薄れると考えられる。


6.心理的近接指向(mental closeness orientation)

人間が取る態度において、互いの心理的存在位置を同じないし近くしようとする指向は、「心理的近接指向」といった言葉で表すことができる。

この場合、接近ではなく近接という言葉を使う理由は、接近が単に相手に近づくのみなのに対して、近接は、接近の結果相手とベタベタくっついた状態をそのまま維持する(相手のもとに留まる)ことも含むからである。

(心理的に)相互に引き合うということは、互いの(心理面での)存在位置を次第に近づけていき、最終的には抱き合って一つになる(一体化する、融合する)ということである。相手への心理的な距離を縮小していき、最終的にはゼロにしようとする指向が強いと、それが互いの間であたかも引力のように感じられ、対人感覚においてウェットな感じをもたらす、といえる。

このように、相手と互いに(心理的・物理的に)近づこうとする、ないし近くにいつづけようとする心理的近接指向が、相手にウェットな感覚を与える心理的引力の実体である。人間が取る態度において、この心理的近接指向が強く、相手にくっついて離れようとしないとウェットに、そうした指向が弱く、相手からサラッと離れて構わないとするとドライとなる。


例えば、母親になつく子供とそれを喜んで抱きしめる母親や、恩師を慕う学生とそれを受け入れる恩師、恋愛関係にある男女など、互いにベタベタくっつく感じの人間関係においては、彼らの間に、この引力に相当する心理的近接指向が働いており、ウェットな人間関係であるといえる。
 

相手と心理的に接近する、すなわち心理的距離を縮小するには、
1)「攻め」相手のもとに、自分から動いて心理的に近づこうとする。
2)「引き」相手を自分のもとへと心理的に引き寄せようとする。自分から離れて行こうとする相手を自分のいる心理的位置に止めておこうとする。
の2つの方略が考えられる。両方とも、当該行為を行っている最中に、相手との間にあたかも心理的に引力が働いているように感じられることから、共に相手に対してウェットな対人感覚をもたらす。

「攻め」方略の例としては、例えば、共感・同意やなつき・慕いなどがあげられる。

共感・同意・同情は、相手に対して、「自分もあなたと同じことを感じました、考えました」と伝達することであり、相手と心理的に共通な面を持ち、心理的に近いことを示す態度である。これは、相手への心理的な距離を、自分から相手に近づくことで小さくしようとする心理的な指向である。

「なつく」ことは、心理的に離れている相手に対して積極的に近づこうとし、あるいは、近づいた状態をそのまま維持しようとして相手にべたべたまとわりつく行動である。親に対して愛着しくっつきたがる子供が、この例に当たる。「慕う」ことは、主に目上の人に対して、そばにいたい、行きたいと思うことである。教師に対して畏敬の念を持って近づこうとする生徒が、この例に当たる。このように「なつく」「慕う」ことで、その時々の相手との心理的位置を、自分が相手のいるところへと進んで動くことで、近づけようとするか、近い状態を保持しつづける行動は、傍目から見ると、当人と相手とが心理的に引き合って近づく、「心理的引力」が働いているように見える。



「攻め」方略の中には、水準面で、さらに
1)「上り」 自分より上位のレベルにいる相手に追いつこうとする。
2)「下り」 自分より下位のレベルにいる相手と同じレベルにまで落ちようとする。
との2種類が考えられ、「上り」の例としては、(もともと学習成績のよくない者が)勉学に励んで、既存の成績優秀者の仲間に入ろうとすること、「下り」の例としては、グループでの登山で一番体力の弱い者のペースに合わせて登ること、があげられる。
 
一方、「引き」方略の例としては、勧誘・誘惑、化粧・服飾や、やきもち、嫉妬、援助などがあげられる。

勧誘・誘惑は、「あなたも、私と同じように○○しない?」といったように、相手を自分と共通の状態になるように、誘導しようとする行動である。これは、相手が自分との心理的距離を縮める方向に相手の動きを持っていこうとする指向に基づくものであり、相手にウェットな感覚を与える。

化粧・服飾は、外見を目立たせることで、そのまま放っておくと、自分とは無関係な方向に離れていく相手(特に異性)を、自分のいる方へと振り向かせよう、注意を向けさせよう(自分へと引きつけよう)とする行動である。そのままでは自分に関心のない相手を、自分のいる方向へと心理的に引きつけよう、近づけようとするために取る行動である。そこに、相手の「気を引く」力、すなわち心理的な引力が働いていることは明白である。これは、相手への心理的距離を、相手が自分に近づくように仕向けることで小さくしようとする心理的な指向であり、相手にウェットな感覚を与える。

やきもちjealousyは、自分から離れて、誰か他の人と接近しようとする相手(特に異性)に対して、他人への接近をじゃまして、自分のもとち引き戻そうとする行動であり、相手が自分のもとへと心理的に戻ってくるように引き寄せる点で、相手に対して心理的な引力を働かせていると見ることができる。

「引き」方略の中には、水準面で、さらに
1)「上げ」 自分より下位のレベルにいる相手を、自分と同じレベルにまで引き上げようとする。
2)「下げ」 自分より上位のレベルにいる相手の足を引っ張って、自分と同じレベルにまで引き下げようとする。
との2種類が考えられ、「上げ」の例としては、他者に対する援助・救い、「下げ」の例としては、嫉妬心により他者の足を引っ張ること、があげられる。

嫉妬は、もともと自分と同じレベルにいて、互いに心理的に近かった相手が、何らかの理由で、自分よりもよりよい、より上位のレベルまで向上しようとした(例えば、相手が職場での上位職階への昇進を実現しようとした)ため、自分が(相手から)離れて取り残された状態になったとき、相手を、今自分がとどまっている下位のレベルへと、相手の足を引っ張る(例えば、相手のスキャンダルを暴く)ことで再び引き戻して(引きずり下ろして)、もう一度相手と自分とで同じ心理的なレベルを共有させよう(例えば、相手の職階を自分と同じにしようとする)、自分と相手との心理的な距離を縮めようとする心の働きである。こうした心理的位置の共有化への指向が強いと、ウェットな感覚が生じる。

援助は、自分よりも(例えば教科の学習水準などが)下のレベルに甘んじている相手に対して、何らかのレベル向上に役立つ用具や機能の提供を行う(例えば、教科の内容を分かりやすく教えてあげる)ことで、自分に近いレベルまで相手を向上させることにより、自分と相手との心理的共通性(例えば、当該教科で互いに高得点をマークする)の度合いを高めて、相手を、より心理的に自分のもとへと近づけようとする(例えば、当該教科に関して共通のレベルの話題を持てる)ものである。

こうした心理的接近には、プラスの面とマイナスの面がある。プラスの面としては、友情・愛情のように、温かさ、「人間らしさ」をもたらす点があげられる。自分に対してなついたり、自分のことを慕ったりする相手からは、かわいい、親しみが持てるといったような、プラスの印象を受けるものである。一方、マイナスの面としては、相手にベタベタまとわりつかれたり、甘えられたりすることによって起きる束縛・じゃまな感じ・煩わしさがあげられる。こうしたプラス・マイナスの面は、そのまま、ウェットな性格・態度を持つ人の長所・短所に読み替えることができる。

相手にベタベタまとわりつかれたり、やきもちを焼かれたりすることで感じる束縛やじゃまな感じは、相手からの心理的引力が働いた結果であり、心理的しがらみ感が生まれて自由に動けなくなる(心理的な自由が奪われる)ことにより生まれる。こうした束縛・拘束感の強さをアンケート調査や面接で計測することで、目に見えない力である、ウェットさのもとになる心理的引力を実際に測定することができる。あるいは、相手にしつこくつきまとったり、べたべたくっついたり、一度話し始めるとペラペラしゃべりつづけて話を切らない、というように相手と近接状態が続く(関係が切れない)ように維持しようとする行動を取る時間の長さ、頻度が、そのまま心理的引力の強さとして測定できる。
 


7.心理的近接への原動力

相手と心理的な近さを確保・保持しようとするエネルギーは、相手との心理的距離を短く保つ働きを持つ。こうした対人関係上の相互近接化指向こそが、物理的な分子間力相当の心理的引力に当たる。

人間は、心理的に近い相手(友人、恋人、家族...)を互いに求める傾向がある。あるいは、会った相手に対して自分と共通の部分を多くしようとする(心理的接近)。また、相手と自分とで共有するものが多い状態を保とうとする(心理的近接性の維持)。互いに心理的に引力が働いているような状態を求める点で、人間は根源的にウェットな存在といえる。

人間は、相手に受け入れられると快感が得られ、相手に拒絶されると不快感が得られる。人間は、自分と共通の意見を持つ相手に出会うのを好み、自分とは異なる、反対の意見を持つ相手と一緒にいるのを好まない。相手に受け入れられることは、相手が自分と心理的位置が同じことを示すことであり、相手が拒絶することは、相手が自分と心理的位置が違うことを示すことである。

自分と同じ意見の人ないし自分と意見の合う人は、自分に近く感じるものである。自分と意見が同じ人は、心理的距離空間上で存在位置が近い(心理的距離が小さい)。ないし、自分と存在位置を共有している。

人間は、自分と似た考えの人、すなわち心理的に近い人と一緒にいるのを好み、結果として自分と同類だけでまとまる傾向を生み出す(同類指向)。それは、自分に近い考えの人が自分のことを肯定して受け入れてくれることが、心理的に快感として感じられるからである。この快感を追求するため、人間は、周囲の他者と心理的に近接しようとする。すなわち、周囲の他者と互いに考えを共通化しようとして、考えを周囲に合わせようとする。自分に似ていたり、好意をもってくれる人、味方になる人に接近し、喜んで協力したり、好意の交換を行おうとする親和欲求や、同調・流行への追従といった人間の社会行動は、周囲の他者との心理的近接がもたらす快感が原動力となって引き起こされる。

一方、自分と違った考えの人、すなわち、自分の興味のあることに対して無関心で冷淡だったり、自分の持つ意見を否定する人と一緒にいると不快感(違和感があって楽しくないなど)を感じ、これ以上相手と一緒にいたくないと思う傾向が人間にはある。自分と心理的な距離が遠い人と付き合っても面白くないのは、人間の心の中に、相手との心理的距離に比例する形で、相手のことを不快に思う機構がビルトインされている証拠である。

このように、人間は互いに心理的に近接しようとする原動力を心の基幹部分に持っており、そういう点で本質的にはウェットな存在である。この原動力が、複数の人間同士を互いに心理的に近接させようとし、ひいては心理的に近い者同士がまとまってできる、集団・社会を作り出すと考えられる。

人間が自分と心理的な位置が同じか近い相手と出会うのを好み、自分と心理的位置が遠い相手と一緒になるのを嫌がることは、相手との心理的近接が「快く感じる」ことの証拠である。相手と心理的に接近すると快く感じる心理的な仕組みは、人間に共通にビルドインされたものであり、後天的な学習によるものではなく、遺伝的に予め決まっている、と考えられる。

相手との心理的近接は、心理的に「温かく」感じるものである。この温かさは、物理的に近接した場合、相手の体温によって「温かく感じる」メカニズムと同じであり、人間にとって最も自然で快いものである。

進化心理学的視点からは、互いに近接していた方が、互いにいざというときに助け合いの行動を起こしやすいため、危険から身を守りやすく生き延びやすい。人間が心理的に互いに近接していると安心するのは、互いに近接することを好む者が、好まない者よりも苛酷な環境の中で生き延びやすかったため、そうした性質が受け継がれた者のみが生き残った結果と考えられる。

周囲の他者と心理的に一緒でないと寂しい、孤独だという、不快な感じがもたらされる。心理的に近い人がいると安心・頼りになる、といった感覚が生まれるのも、そうした感覚が生まれる方が、生物としての生存しやすさが確保できるからであり、そういう心理的近接を快いと感じる感覚を持つ個体が、心理的に一緒の相手と互いに援助が受けやすく、より生き延びやすかったからと考えられる。

また、生物学的視点からは、以下のような説明も可能である。
相手と心理的に近接している場合、相手は、自分と共通な物の感じ方・考え方があることになる。そこで、相手のことを自分と同類であり、相手の存在を、自分の身体の延長・拡張が起きているかのように捉える。

生物には、自分自身の複製をできるだけ広い範囲へと、長い間持続するように、広めようとする根源的な衝動がある。遺伝子の振る舞いはまさにその通りである。

しかし、遺伝とは直接関係のない後天的・文化的な側面でも、自分の考え方や感じ方を長期にわたって広く伝えようとする衝動がある。遺伝的だけでなく、文化的にも、相手に自分と共通な部分があると、自分自身の複製を相手の中に見て、安心する。これは、遺伝的に近い親子関係だけでなく、遺伝的には関係のない友人・同好者関係にも見られる傾向である。

遺伝的に互いに共通な者同士(親子)には、心理的な物の考え方においても、共通の遺伝的背景が考えられることから、心理的に相手を自分自身の延長と見やすい。こうした心理的に近い相手を互いに自己拡張の対象と見なす傾向は、遺伝的に血のつながった者同士に限定されるものではなく、互いに共通の話題や価値観を共有し合う者同士、例えば共通の趣味を持つ者同士の間に広く分布すると言える。

例えば同じ鉄道という趣味を持つ人同士は、居住地域、年齢を超えて、鉄道については話が互いに通じる、ということで、相手と連帯感を持ちやすいと考えられる。話が互いに通じるというのは、互いに心理的に共通な面を持っているからであり、そうした相手との心理的共通性を感じることは、相手の中に自分の延長・複製を見ることになり、自己との同一性・自他の区別の不要さを確認できて、自己と相手との心理的距離を小さくすることにつながる。

相手と心理的に近づくことは、相手と共感できる部分を増やすことにつながる。相手との心理的に共通な部分をより増やすことで、相手の中に見いだすことできる自分自身の分身も増え、したがって自分自身の複製が相手の中に増える計算になる。互いに相手との心理的距離を小さくすることへの心理的欲求、すなわち、心理的近接化への欲求は、生物の自己複製への動機に広く基づいたものなのである。

こうした人間が本来持つ自己複製・拡張への指向が、心理的に互いに相手と同一化しよう、相手のもとに近づこうとする指向を生み出す。これが、相手と互いに引き合って一緒になろうとする「相互間引力」の心理的根拠なのである。そういう点で、こうした人間が本来持っている自己複製・拡張への指向が、ウェットな「相互間引力」を働かせる原動力となっている、といえる。

このように、ウェットさは、人間同士が互いに集まり、関係し合おうとする原動力となっている。人間の性格のウェットさが、人間が社会を形成する原動力の根本にある。ウェットな人は、そのままではバラバラ・無関係に動くドライな人同士をくっつけて関連づけようとする「社会の糊」の役目を果たしているのである。
 


8.心理的遠隔化(ドライ化)への原動力


上記に述べたことと矛盾するようではあるが、実は人間には同時に、生得的に互いに離れてドライになりたいという衝動も持っていると考えられる。すなわち、人と違ったことをしたい、とか、互いにベタベタくっつくのは嫌だ、という欲求が存在するのである。

流行を追うなど、他人と同じことをして心理的な近さ・共通性を保とうとすると、そのままでは互いの間に画一化・無個性化が進み、個人は全体の中に埋没してしまう。これは他者とは違う自分自身の存在を目立たせたい、個性的でありたいという、人間が本来社会に自分の名前を広める(社会的名声を得る、後天的な文化面において自分のオリジナルな子孫を社会にできるだけ多く行き渡らせる)ために持つ欲求(この欲求も恐らく生得的なものであろう)と矛盾する。

また、対人面で周囲からあまりにベタベタされると、プライバシーを侵害されるとか、自分独自の領域を持ちたいとか、自分の行きたい方向に一人で進みたいとかいったドライさを指向する欲求が自然に出てくるものである。

この場合、人間は一人では生きてはいけないので、いくらドライな独立独歩の観念を標榜しても、結局は、他者との相互依存関係に入ることになる。その際、ウェットさを指向する者同士が心理的に共通な領域を広げ、距離を短く取ろう、互いにくっつき合おうとする「近接指向」により「相互同一・共通化」の方向へと動くのに対して、ドライさを指向する者同士は、互いに自分にないもの、自分に不足しているものを相手に求めることで、互いに異質なまま「相互補完」の方向へと動こうとする。すなわち、互いに違った、心理的に遠く隔たった者同士が助け合う場合は、社会的分業の形を取るのである。その点、社会的分業は、人間同士のドライな結合の現れと言える。


9.同族嫌悪と心理的葛藤

上記とは少し性質が違うが、自分と同類の者が、自分にとって望ましくない行動を取っている場合、自分がその者と同類であることを否定したくなる心理が生じる。同族嫌悪がそれである。

例えばおとなしいのが好きな鉄道ファンの場合、自分と同類の者たちが駅とかで珍しい車輛の周りで限度を超えてはしゃいでいるのを見ると、何となく不快になって、自分は同類とは思われたくないという気持ちが生じて、その場を無関心な振りをして一人立ち去ろうとすることが起きる。

こうした心理的葛藤は、自分とは一面同類で、心理的距離の近いと思われる者が、他面では、自分が否定したい、心理的に遠ざけたいタイプの価値観を同時に持っていることで起きると考えられる。


二人を取り出したとき、ある一つの関心の側面(鉄道趣味)では同類で、距離が近いが、別の関心の側面(静かなのが好きか、騒ぐのが好きか)では、正反対の意見を持っていて、距離が遠いということが、恋人・友人同士とかでも頻繁に起こり得る。

複数の様々な関心とそれに対する様々な価値観を同時に持つ人間同士は、ある一つの関心では距離が近いが、別の関心では距離が近いとは限らないため、同じ人と付き合う中でも、相手のことを、ある時は、意見が合う距離が近い同士と感じて親密でウェットな気分になり、別の時には、意見が衝突する距離が遠い赤の他人と感じ、疎外感でドライな気分になることになる。こうした心理的距離に関する心理的矛盾、葛藤は、他人と付き合う上では、誰にでも起こり得ることである。


(注記)

この場合、各価値観を、1つ1つのドミノとして表現し、各人を価値観のドミノの配列として捉えることができる。

価値観ドミノ配列についてのページへのリンクです。


10.中心的・周辺的関心事項と、総合的な対人心理的距離の決定プロセス

では、人間は、関心によっていろいろ変わる相手との心理的距離を、どうやって最終的に総合的に決定づけるのであろうか?

この場合、人間には、中心的、主要関心事項と周辺的、副次的関心事項があり、中心的関心の方は、自分が主に関心のある、というか、ふだん大切に思っている関心事項である。一方、周辺的、副次的関心の方は、関心がないというわけではないが、自分にとって中心的ではなく、それほど大事、重要ではない、どうでもよい関心事項である。

同じ中心的関心事項を共有し、その中心的関心事項について、互いに同じ考えだ、距離が近いと感じた者同士は、周辺的関心事項で多少意見が異なって、距離が遠くても、基本的に自分たちは同類だ、距離が近いんだと感じて、(互いの中心的関心に変更がない限り)友人・恋人同士として親しく、仲良く付き合い続けると考えられる。

一方、いくら周辺的関心事項で意見が同じでも、肝心の中心的関心事項が共有できていなかったり、互いの中心的関心事項で意見が合わない、距離が遠い者同士は、所詮自分たちは赤の他人だと認識して、別離して別々の道を歩むことになる可能性が高いと考えられる。

要は、ある人間にとって、相手との、中心的関心事項の共有の有無と、中心的関心事項についての相手との考えの近さ、価値観の近さが、相手との総合的な心理的距離を主に決定付けると考えられる。

相手との総合的な心理的距離の算出方法は、

(1)各自の関心事を5~6個程度あげてもらい、それぞれのあげた2人分の関心事を総ざらいし、互いに、自分と相手の各関心事について、関心の度合い(中心~周辺)と、その関心事項について持っている価値観(好き嫌いなど)を記入してもらう。

(2)2人の間の中心的関心事項内容の合致度を計算する。例えば、二人とも「自動車」に中心的な関心を共通して持っている場合は、合致度が高くなる。

(3a)今回2人のあげた自分と相手の各関心事について、2人の間の意見、価値観の合致度を計算する。例えば、2人が同じ「自動車」について関心を持っていたとしても、一方が「自動車はかっこいいので、自分も早く持ちたい(自動車が好き)」と思い、他方が「自動車の排気ガスが嫌いで、地球温暖化防止のために自動車に乗らないようにする運動を推進したい(自動車が嫌い)」と思っている場合は、意見、価値観の合致度は低い。

(3b)各関心事についての、2人の間の意見、価値観の合致度の値に、各自の関心の度合いを掛け合わせた値を合計したものを、各自の複数関心についての合致度点数とする。

(2)(3)それぞれの合致度点数が高いほど、相手に対して距離が近いと感じる度合いが強い。

なお、(3)の複数関心の合致度点数の合計については、相手との中心的関心事項の相違により、相手と合計点数が異なる場合が生じうる。一方の者は、自分にとって中心的関心事項(だが相手にとっては周辺的関心事項)について合致度点数が高かったため、高い合致度合計点数を持って相手との距離が近いと感じているのに対して、他方の者は、自分にとって中心的関心事項について相手との合致度点数が低く(自分にとって周辺的関心事項について相手との合致度点数が高く)、結果として複数関心の合致度合計点数が低くなり、相手との距離が遠いと感じることが起こりうる。

なので、相手との総合的心理的距離の判定に当たっては、(3)だけでは不足で、(2)を併用することが必要であると考えられる。

ただ、人間の中心的な関心事項は、時と共に、あるいは環境の変転と共に変化していくものである。一時期、中心的関心事項を共有、意見が一致していた仲の良かった友人同士も、時が経つにつれて、互いに別々のことに興味が移って話が合わなくなり、疎遠になることはよくあることである。人間同士の心理的距離も、そうした関心の移り変わりに伴って、刻々と変化していると言える。



引用文献

山根一郎(1987) 心理的距離と面識度水準の効果にもとづく対人経験の分析 心理学研究 57(6) 329-334


(c)1999-2005 大塚いわお

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