自然環境のドライ・ウェットさと、社会のドライ・ウェットさとの関連
-農業(遊牧・農耕)の視点から-

1999.1-2005.8 大塚いわお


ここでは、環境のドライ・ウェットさと、社会や対人関係におけるドライ・ウェットさとの関連を、主に、農業のあり方を軸に考察した結果についてまとめる。

なぜ、農業のあり方を考察の軸に選んだかの理由であるが、農業は、
(1)その遂行において、直接自然環境と接する、その意味で、自然環境の影響が大きい産業である。これは、例えば、穀物や野菜、牧草の栽培において、気温の寒暖、降水量、風速などの影響をもろに受ける点に現れている。

(2)食糧の確保という、人間の生活を支える上で最も基本的と考えられる産業である。人間社会の基盤・土台部分を形成し、社会風土の方向性を決定する上で影響力が大きい。これは、例えば、日本社会では、農業と直接関係のない分野(例えば厚生・労働)の官庁・会社組織などにおいても、農業村落の特質である「ムラ社会的」という形容が広く使われる点に現れている。

自然環境のドライ・ウェットさがその社会にもたらす影響を考える上では、自然環境との関わりが大きく、かつ社会全体に対する影響力が大きい産業である農業分野における社会関係のドライ・ウェットさについて、その社会を代表して考察すればよいのではないかと考えられる。



農業は、全世界的観点から見ると、遊牧(牧畜)と農耕に2分される。

遊牧(牧畜)は、馬や牛、羊などの動物(家畜)と共に、動物の食物(牧草)や水などを求めてあちらこちらを移動し、その生産物(乳、肉、皮など)を得て生活する。移動可能な動物と一緒に生活する分、その生活は動的、身軽である。自らが移動できなくなるような物資の蓄積を好まず、物資の流動(フロー)を指向する。

農耕は、穀物(稲、麦など)、野菜、果物など、植物を栽培して、その生産物(実、種など)を得て生活する。一つの場所に生えたまま移動することのできない植物と一緒に生活する分、その生活は静的、身重であり、一カ所に定着して動かず(不動)、物資、財産を蓄積(ストック)すること(物持ち)を指向する。

遊牧(牧畜)は、砂漠、ステップ地帯のような、雨の比較的少ない、ドライな自然環境で行われる。 
農耕は、モンスーン地帯のように、(植物が育つのに必要な)雨が沢山降る、水の豊かなウェットな自然環境で行われる。


農業の分類 自然環境 生活をともにする
生物の種類
生活パターンと
地理の関係
物資の扱い 機動性
遊牧(牧畜) 乾燥(ドライ、気体) 動物 移動(動的) 流動(フロー重視) 大(身軽)
農耕 湿潤(ウェット、液体) 植物 不動・定着(静的) 蓄積(ストック重視) 小(身重)




1999.5~7にかけて行ったWWWを用いて行ったアンケート調査結果においては、態度のドライ・ウェットさについては、遊牧=ドライ、農耕=ウェットという回答結果が出た(回答者数約200名)。
 
 
番号 項目内容
(仮説=ドライ)
-ドライ- どちらで
もない
-ドライ- 項目内容
(仮説=ウェット)
-Z得点- 有意
B10 遊牧生活を好む 62.727 20.909 16.364 農耕生活を好む 7.733 0.01

上記の表から、農耕社会における対人関係がウェットで、遊牧社会における対人関係がドライである、と言えることが分かった。

なぜ、農耕社会の対人関係がウェットとなり、遊牧社会における対人関係がドライと感じられるか?についての考えられる説明は以下の通りである。


〔集団主義・同調指向(農耕)-個人主義・非同調指向(遊牧)〕
農耕は、稲作における田植えや稲刈り作業のように、周囲の皆と同じ作業を団体・集団一斉に行う必要があり、周囲との集団としての一体性、同調性、協調性が求められる。したがってウェットである。
遊牧は、各自が個々にバラバラな違う方向に馬や牛を連れて行って放牧を行う農業であり、単独・独自行動が多く、周囲との同調性は求められない。したがってドライである。

〔定着・縁故指向(農耕)-非定着・非縁故指向(遊牧)〕
農耕は、一カ所に定住する定着指向の農業であり、固定した地縁関係が築かれやすく、したがってウェットである。
遊牧は、一カ所に定住せずあちこち動き回る非定着指向の農業であり、相互の関係は切れやすく、したがってドライである。

〔関係指向(農耕)-非関係指向(遊牧)〕
農耕は、定住した近所同士が毎日顔を突き合わせる関係にあり、対立しても顔を合わせるはめに陥る。そこで、同じ場所に住んでいる者同士、なるべく互いに仲良くしよう、対立しないようにしようとして、良好な人間関係(和合状態)の構築・維持に心を砕く。その点、ウェットである。
遊牧は、今日互いに近い場所にいても、明日はバラバラに離れて別々の場所に行く。意見が対立し仲が悪くなっても、互いに別々の場所に移動して離れてしまえばそれで互いに顔を合わせることなく済んでしまう。したがって、良好な人間関係(和合状態)の維持にはさほど関心がなく、その点ドライである。

〔規制主義(農耕)-自由主義(遊牧)〕
農耕は、稲作における農業水利のように、携わる人間同士の相互監視・牽制が不可欠である(例えば、稲作社会において、各人が用水を勝手に自分の田んぼにたくさん引かないように互いに見張ることなど)。その意味で規制主義的であり、したがってウェットである。
遊牧は、広大な草原を、他者に束縛されずに、自由に動き回る。その意味で自由主義的であり、したがってドライである。

〔相互依存指向(農耕)-自立指向(遊牧)〕
農耕は、稲作における農業水利のように、携わる人間同士が互いに依存し合う。一方が沢山水を取ると、他方の取る水が少なくなる。あるいは、農耕においては、水路、道路の維持や収穫作業のように、独力では作業が不可能で、互いに助け合う形の集団作業が必要となる。その意味で、相互依存指向といえ、対人関係としてはウェットである。
遊牧は、携わる人間同士が、互いに一人で自立して動かなければならない。彼らは、広い草原をただ独りで馬に乗って走り回り、放牧作業を自力でこなすことが求められる。その意味で自立指向といえ、対人関係としてはドライである。
 

〔密集指向(農耕)-広域分散指向(遊牧)〕
農耕は、集約的農業であり、少ない面積の土地に集中的に人的・物的資源を投入する。それに携わる人間が住む地域は、人口密度が高い。したがって、密集(過密)指向といえ、対人関係としてはウェットである。
遊牧は、粗放的農業であり、広い面積の土地に、分布する人はわずかである。それに携わる人間が住む地域は、人口密度が低い。したがって、広域分散指向といえ、対人関係としてはドライである。

以上の説明は、以下の表のようにまとめられる。 
 
農業方式 自然環境 対人関係
農耕 ウェット、液体(モンスーン) ウェット、液体的(定着・縁故、関係、集団・同調、規制、相互依存、密集)
遊牧 ドライ、気体(砂漠、草原) ドライ、気体的(非定着・非縁故、非関係、個人・非同調、自由、自立、広域分散) 

したがって、自然環境のドライ・ウェットさと、対人関係のドライ・ウェットさは、正の相関関係にある、と言えそうである。


要するに、乾いた砂漠、草原の民(ユダヤ、アラブといった遊牧の民)はドライであり、植物の豊かに生える肥沃なオアシスの農耕の民、緑の民(東アジア、東南アジアの稲作農耕民など)はウェットである、ということになる。砂漠ほどは乾いていないが、農耕に全面的に頼れるほど植物が生育しない土地に住んでいて、家畜に頼りながら半分定住、半分移動の生活をしている牧畜・酪農の民(西欧など)は、両者の中間ということになるのかも知れない。

以上の図式からは、日本は、典型的な稲作農耕民族であり、ウェットな類型に入る。一方、欧米は、遊牧系に近い牧畜の民であり、比較的ドライな類型に入る。

この点、世界の各民族の民族性がドライか、ウェットかを判断する上で、その民族が農耕民か、遊牧・牧畜民かをまず知ることが有効であると言える。

本当に以上のように言えるかどうか、を確認するには、世界各地(乾燥・湿潤両方)の社会を回って、対人関係が乾燥地帯でドライ、湿潤地帯でウェットであることを、フィールドワークで確認する必要があることは、言うまでもない。


(c)1999.1-2004.8 大塚いわお

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