日本のフェミニズムを批判する


目次

1.現在の日本のフェミニズムが抱える問題点
2.今後の日本のフェミニズムが取るべき途



 

〔1.現在の日本のフェミニズムが抱える問題点〕

現代の日本のフェミニストの主張は、以下のような問題点を抱えていると考えられる。

1)女性が、男性より、必ず恒常的に弱い、とする偏見がある。19世紀に欧米で出た説である「女性の世界史的敗北(母権→父権への全世界的移行)を、新しい資料と照合せず、無検証のまま、定説として信じ込んでいる。東アジアの稲作農耕社会の社会心理的な実態(集団主義などウェット=女性的である)を、提唱者のEngelsらが熟知していたとは考えにくい。

2)男女の心理的性差についての研究成果を、考慮に入れていない。社会のあり方(ドライ/ウェットなど)と、心理的性差のあり方との照合を行わないまま、女性が優位の社会は存在しないと断定している。日本社会については、「日本的=ウェット=女性的」という相関が成立する。日本では、女性が男性よりも勢力が強いからこそ、「日本的=女性的」となるのである。日本社会は、事実上、女性優位の社会という見方が成り立つのであって、このことは、日本のフェミニズムの主張とは相いれない。

3a)再生産過程についている専業主婦を、生産過程についている職業人より劣ったものとみなす偏見がある。

3b)「男は仕事、女は家庭」といった性別分業を、一方的な男性優位=家父長制と見なして、性差別と批判する、過ちを犯している。性別分業は、男女間で、生物学的貴重性が異なる以上、女性が強い社会でも、起こりうる(男性は危険な外回りの仕事に従事し、女性は安全な内回りの家庭を主な暮らしの場とする、など)。男女どちらが優勢かは、性別分業が存在するということだけでは決まらない。男女どちらが、社会において、管理者的な重要な役割を果たしているかにより決まる。日本では、女性が男性の生活管理者として、家計管理権限などを全面的に掌握しているので、女性の方が優勢と考えられる(たとえ男性が首相だったとしても、その妻は、「首相の生活管理者」として、首相よりもさらに1ランク上の存在として君臨している)。

3c)日本では、男性が稼いだ給与の実質的な管理権限を持つのは女性なのに、その事実を無視して、名目的な所有名義のみにこだわっている。

4a)母性の優越(母子癒着)を、女性による社会支配と捉える視点に欠けている。

4b)女性主導による育児を、本来なら社会の女性化=女性優位を実現するものとして喜ぶべきなのに、「社会(職場)進出のじゃま」としてnegativeに捉えている(男性の育児への介入機会が増加する可能性が増えるので、男性をむしろ利することになる)。

5)日本のフェミニズム・女性学自体が、「女性が弱い、差別されている」と大合唱することで、日本の男性を故意に強く見せようとする日本女性の作為(作戦、策略)の現れである。
男性を強く見せるのは、男性を自分たちを守る強い盾として使おうとする意識の現れであり、日本男性の強さは、そうした女性の意識に支えられて初めて成り立つ、「虚像(虚勢に基づくもの)」である。日本社会の見かけ上の主人(公)である男性は、本当(真)の主人には、現状のウェット=女性的な日本社会の体制の下では、永久になれない。ウェットな日本社会の本当(実際)の主人(公)は女性である。

6)女性の社会進出を阻む男性を攻撃する際に、男性側の心理を考慮していない。今まで男性が主に占めてきた職場に、自分とは生理的・心理的に異質な者(女性)が、新たに自分の周囲に進出してくるのを、男性側が、不愉快に思い、阻もうとするのは、人間の心理として妥当である。
 
 

〔2.今後の日本のフェミニズムが取るべき途〕

従来、「日本の」フェミニズムで主張されてきたことは、間違っているのではないか?

欧米で主張されているフェミニズムには正当な根拠が認められる(正しい)が、それをそのまま社会のあり方が異なる日本に直輸入して、機械的に当てはめようとするのは、正しくない。

伝統的な日本社会は、むしろ、女性向きにできており、その中で不利益をこうむっているのは、男性の方である可能性が高い(日本人の国民性はウェット=女性的な方向に偏っている、日本の家庭の財務を管理するのは女性である、...といったように、女性が実質的に社会を支配している)。

同じ男女差別でも、欧米と日本とでは、その性質が異なる。欧米では女性の立場が本当に弱いのに対して、日本のそれは、(女性向き社会に不適合を起こす)男性に生活面で依存されることによる負担を、女性が一方的に担わされる、というものである。日本の男女差別は、むしろ女性の立場が強い(男性を上回る)ために起きている。

「日本」のフェミニストは、こうした現実の(女性が強い)日本社会のあり方を、新たな枠組みで捉え直す試みを行うことで、自らが犯した、欧米理論の日本社会への強制的当てはめによる誤り(日本における、男女の力関係について、男性が強いという、誤った説を流したこと)を認めるべきである。

現在の、欧米(遊牧系社会)生まれの理論を、機械的に日本社会(農耕社会)に当てはめるだけの、日本のフェミニズムは、以下のような視点を取り入れて、新たな段階に脱皮を図るべきである。

(1)女性が弱いと見なす、欧米直輸入の部分を全て取り外し(削除し)、女性が強いことを前提とした理論構成に組み換えるべきである。例えば、女性が強い社会において、「強者の負担」が不合理なほど重いので、男性の、自分たちのところへ寄り掛かってくる度合いを、もう少し減らしてもらうには、男性にどのような形で協力を求めていけばよいかを、議論するなどである。

(2)強いのは見かけだけで、本当は、女性よりも立場が弱い、男性への配慮をもっと示すべきである。単純に、(欧米フェミニストのように)男性を強者と見なして攻撃するだけでは、日本の男性は、違和感を感じて心を閉ざしたままであろう。

(3)男女平等を説くのなら、女性に対して、家計管理権限の男性との共有(今までみたいに男性が稼いだ収入の全額を男性から取り上げて、小遣いだけを渡すやり方の廃止)の他、男性も育児に積極的に参加させて、女性向けに大きく偏った国民性をより男性向きの形に変化させること、などを、女性の側も受け入れるよう説得するべきであろう。
 



(c)1999.12-2000.8 大塚いわお


ホームページへ戻る