〔日本人は、ドライウェットか?〕

(C)1999.7 -2006.4  大塚 いわお


以下では、日本人の対人関係における特徴(国民性)を、ウェットドライの次元から説明する。

〔目次〕

1.既存日本人論との照合
伝統的な日本人論とウェットさとの関連:まとめの表

1-2.「日本的=ウェット」のアンケート調査(2000.10)による確認

2.心理テスト回答結果(1999.7)の分析
回答結果まとめ表

3.心理テスト回答結果(2006.3)の分析
回答結果まとめ表


1.既存日本人論との照合

対人感覚のドライウェットさのうち、特にウェットさに関しては、従来から、日本人の性格・態度の特徴を表す、とされてきた。例えば、〔芳賀綏1979〕においては、日本人像のアウトラインとして、「おだやかで、きめ細かく、『ウェットで』(強調筆者)、女性的で、内気な」といったように、その中にウェットさを含めて考えている。あるいは、〔吉井博明1997〕においては、日本人のコミュニケーションのあり方の特質について、直接対面によるコミュニケーションの重視の現れを示すものとして、「ウェット」という言葉を用いている。

そこで、こうした見方が果たして正しいかどうか、当調査において抽出した対人関係パターンを、従来提唱されてきた、日本人の伝統的な国民性を現すとされる、主要な学説と照合した(学説抽出に当たっては、〔南1994〕〔青木1990〕などを参考にした)。

その結果、以下の表が示すように、従来の学説で取り上げられてきた日本人の対人関係における特徴は、ほとんど「ウェットさ」を示している。したがって、日本人の 伝統的な対人関係は、基本的にはウェットである、と捉えることができそうことが分かった。言い換えれば、「日本人の伝統的な行動様式は、(分子間力の大きい)液体分子運動パターンに似ている」ということになる。

また、以下の、日本人の国民性として列挙した文献データベース表は、内容的に十分網羅的である(日本人の対人関係上の特徴の大半をカヴァーしている)ことが考えられ、したがって、従来の日本人の国民性とされているものの大半を、「ウェット」というひとことで要約することができることになる。

〔伝統的な日本人論とウェットさとの関連:まとめの表〕

 各論が発表された年代順にまとめてあります。
 項目の赤色は、ウェットさを表しています。
  項目欄のリンクをクリックすると、その項目に関する文献情報に飛びます。
 
番号 項目 研究者名 要旨 抽出した次元
(ウェット)
対応する欧米文化 抽出した次元・欧米
(ドライ)
(1) 恥の文化 R.Benedict (1946) 自己の行動に対する世評に気を配る。他人の判断を基準にして自己の行動の指針を定める。 反プライバシー、他律指向(他者の目を気にする) 自分の行動の指針を定めるのに、自分自身の判断を基準にする。(罪の文化) プライバシー、自律指向
(2) 家族的構成 川島武宣(1948) 権威による支配。個人的行動の欠如。自主的な批判・反省を許さない社会規範。親分子分的結合の家族的雰囲気と、対外的な敵対意識。 権威主義、集団主義、規制主義、同調指向、縁故指向、閉鎖指向 権威への反逆。個人的行動の重視。自主的批判、反省の許可。家族的一体感の欠如と、対外的な開放意識。 反権威主義、個人主義、自由主義、反同調指向、非縁故指向、開放指向
(3) 終身雇用、年功序列
(日本的経営)
J.C.Abegglen (1958) 会社と従業員との間に終身的な関係がある。 定着指向(組織内定住)、前例指向 会社と従業員の関係が、契約的、一時的である。 移動指向、独創指向
(4) タテ社会 中根千枝(1967) 「場」と「集団の一体感」によって生れた日本の社会集団は、その組織の性格を、親子関係に擬せられる「タテ」性に求める。 閉鎖指向、縁故指向、集団主義、非合理指向 組織が水平方向、フラットである。 開放指向、非縁故指向、個人主義、合理指向
(5) 静的育児 Caudill,W., Weinstein, H.(1969) 日本の母親は、子供と身体的接触を多くし、子供があまり身体を動かさず、環境に対して受動的であるように、子供を静かにさせる。 静的指向、相互依存指向、密集指向 母親は、子供と身体的接触を少なくし、子供が身体を動かし、環境に対して能動的であるように、子供を動的にさせる(動的育児)。 動的指向、自立指向、広域分散指向
(6) 中央集権 辻清明(1969) 中央集権的官僚制の強い拘束の前に、近代的な地方自治が完全に窒息せしめられていた歴史を持つ。 密集指向(中央への権限の一極集中) 地方分権的である。権限が地方に移譲されている(地方分権)。 広域分散指向(権限の地方分散)
(7) 同調競争 石田雄(1970) 所属集団に支配的な価値指向と行動様式に従う。他人と同じ行動を取る。 同調主義(大勢順応)、画一主義(横並び) 他人とは別行動を取る(非同調)。 非同調指向、多様性の尊重
(8) 甘え 土居健郎(1971) 日本人は、成人した後も、「母子」間での気持ちの上での緊密な結びつきと同じような情緒的安定を求め続けて行く。 相互依存指向、集団主義(一体感) 母子間の結びつきが薄い。母親に対して情緒的安定を求めない(甘えの欠如)。 自立指向、個人主義
(9) 間人主義 木村敏(1972)・濱口恵俊(1977) 対人面での相互依存、相互信頼、対人関係の本質視、という特徴を持つ。 人間指向(人間関係そのものを重視) 対人面で、相互自立を重んじ、対人関係を単なる手段として見る(個人主義)。 非人間指向(物質指向)
(10) 他律的 荒木博之(1973) ムラ的構造の中にあって、個人がその個性を喪失し、集団の意志によってその行動が決定されて行く。 他律指向 個人が個性を維持し、集団の中においても、個人の意志によって行動を決定する(自律的)。 自律指向
(11) 集団主義 間宏(1973) 個人と集団の関係で、集団の利害を個人のそれに優先させる。個人と集団が対立する関係ではなくて、一体の関係になるのが望ましい。 集団主義 個人の利害を、集団のそれに優先させる(個人主義)。 個人主義
(12) 母性原理 河合隼雄(1976) 「包含する」機能で示され、すべてのものを絶対的な平等性をもって包み込む、母子一体という原理を基礎に持つ。 人間指向(ふれあい)、集団主義(一体感) 母子の一体感が薄い。開放的な父性原理で動く(父性原理)。 非人間指向、個人主義
(13) 大部屋オフィス 林周二(1984) 日本のオフィス空間では、大部屋に多数の社員が机を向かい合わせに並べてがやがやと働いているのに比べて、欧米では社員は個室で働いている。 密集指向、反プライバシー(相互監視) 社員が大部屋ではなく、個室で働く(個室オフィス)。 広域分散指向、プライバシー尊重
(14) 権威主義、独創性の欠如 西澤潤一(1986) 欧米の権威者の説をあたかも自分の体験のように思い込み、批判したりすると過剰に反応する。欧米の独創技術を自らは危ない橋を渡らずに拾い上げて集中的に実用化する。 権威主義(欧米学説に追随したがる)、前例指向(自分からは未知の領域には進もうとしない) 既存の権威秩序に反抗し、破壊し、新たな独創的知見を生み出そうとする。危ない橋を進んで渡る。 反権威主義、独創指向
(15) 相互協調的自己 Markus,H,R,&北山忍(1991) 自己を相互に協調し、依存した存在とする。 相互依存指向、人間指向 自己を相互に独立し、自立した存在とする。(相互独立的自己) 自立指向、非人間指向
(16) 直接対面 吉井博明(1997) 対面コミュニケーションに過重に依存する文化を持ち、集中が集中を呼ぶ体質を内在させている。 密集指向(物理的に至近距離)、人間指向(親密さ)、反プライバシー(視線) 対面コミュニケーションを偏重しない。 広域分散指向、非人間指向
(その他)
根回し   交渉などをうまく成立させるために、関係方面に予め話し合いをしておく。 縁故指向、規制主義 交渉時、予め関係方面に話をせず、直接交渉を行う。 非縁故指向、自由主義
談合   互いに相手の動きを、相手が自由な行動(安い入札価格の提示競争)を取らないように、牽制し合って、相互の取る動き(入札価格)を事前の話し合いで決めてしまう。 規制主義(自由競争を抑制)、同調指向(相談仲間を作る) 互いに事前の話し合いをせずに、自分の取る行動を自由に決める。 自由主義、非同調指向
政府による規制   政府が、行政指導などで、業界の動きを牽制・拘束する。 規制主義 政府が、業界の動きをあまり牽制、拘束しない。 自由主義
NOと言えない 互いに相手に配慮して、相手の言うことを拒絶することができない。 人間指向(気に入られようとする)、集団主義(相互批判を許容しない) 相手の言うことを、きっぱり拒絶する。 非人間指向、個人主義

文献調査結果の詳細についてのページへのリンクです。
 

こうした、従来、日本的とされる対人関係の上での特徴は、決して、日本だけに特殊なものではなく、より一般的には、農耕、とくに高温多湿な東アジアに広く分布する稲作社会(集約的農業型社会)での対人関係上の特徴へと拡張して捉えることができそうに思われる。この点の根拠については、環境のドライ・ウェットさとの照合についての記述を参考にしていただきたい。

現状では、研究者の関心が、日本対欧米という視点にしばられて、日本以外の東アジアの社会のあり方に対して向いていないため、日本の対人関係上の特徴を、(本当は東アジア稲作社会に共通であるのに)日本に特殊的と思い込みやすいのではあるまいか?



 

〔参考文献〕

青木保 「日本文化論」の変容 -戦後日本の文化とアイデンティティー- 中央公論社 1990
芳賀綏 日本人の表現心理  中央公論社 1979
南博 日本人論-明治から今日まで 岩波書店 1994
吉井博明 情報化と現代社会 北樹出版 1996


1-2.「日本的=ウェット」のアンケート調査(2000.10)による確認

上記文献調査結果である、「日本的=ウェット」を確認するため、いくつかアンケート調査を行った。
 

(1)日本とアメリカと、どちらがよりドライウェットかと、1999.5~7に行った、「ドライ・ウェットな性格・態度は何か」を調べるアンケート内で尋ねたところ、「アメリカがよりドライ(日本がよりウェット)である」との回答があった割合が、その逆よりも、やや多かった(ただし、有意水準0.01には届いていない)。
 
 
番号 項目内容 
(仮説=ドライ)
-回答= 
ドライ-
どちらで 
もない
-回答= 
ドライ-
項目内容 
(仮説=ウェット)
-Z得点- 有意
C32 アメリカ的である 44.796 21.719 33.484 考え方が日本的である 1.901 0.05

(2)日本的、東アジア的(=韓国・台湾、フィリピン...的)、および欧米的な性格・態度が、それぞれどの程度ドライウェットと考えられるかについて検証するアンケート調査を2000.10に行った。

アンケートは、より日本的、東アジア的、欧米的な態度が、とてもドライ~とてもウェットの5段階評価でどのレベルに当てはまるかを、回答してもらう形で行った。

その結果、「欧米的=ドライ」、「東アジア的(=韓国、台湾、フィリピン....的)=ウェット」、「日本的=ウェット」という傾向が確認された。 (注)
 

日本的、東アジア的、欧米的な性格・態度と、ドライ・ウェットさとの関連についてのアンケート調査結果(数値、グラフ)ページへのリンクです。

(注)この点、近年の社会心理学における、東アジア的アプローチの興隆[山口(編)2003]は、従来のドライな欧米中心の社会心理学では冷遇されがちであった、対人関係や態度におけるウェットな側面に新たに光を当てることにつながると言える。


2.心理テスト回答結果(1999.7)の分析

上記の日本人論に見られたようなウェットさが、現代日本人にどの程度見られるかを確認するためのアンケート調査を行った。すなわち、1999.7の時点で、日本の人々が、実際に、自分の性格を、ドライ/ウェットどちらであると自己診断するであろうか、という点について、調査した。

[調査方法]「あなたの性格が、ドライウェットか心理テストで診断します」とする、アンケートページを、インターネットのWebページ検索エンジンに登録し、回答者を募った。

心理テストの項目は、1999.5~7に調査して、有意にドライ(ウェット)と感じられたアンケート項目全体から、(原則としてZ得点5.00以上を得た)40程度の項目を、分類毎にまんべんなく抜き出したものを採用した。

回答期間は、1999.7.中旬であった。

[結果]

回答者総数は約200名であった。男女比はほぼ50:50で同等であった。年令は、10~20代だけで、全体のほぼ90%を占め、圧倒的に若いといえる。

回答結果まとめ表のページへのリンクです。

(注)当アンケート項目が、心理テストとして使えるかどうかを知るため、クロンバックα係数を計算したところ、0.822を得た。このことから、尺度としての内的一貫性については、十分水準を満たしており、性格のドライ/ウェットさを測定する心理テストとして、使えそうであることが分かった。

回答結果を、数値解析したところ、伝統的日本人論(日本人=ウェット)の説とは、反対の結果が出た。「ドライ」な方を選んだ人の割合が、「ウェット」な方を選んだ人の割合よりも、有意(1%)に多い場合がほとんどであった。

この結果をどう見ればよいかについては、2通りの見方(日本社会は依然としてウェットである vs 日本社会はドライ化している)に分かれると考えられる。それぞれの見方について、考えられる理由を以下にまとめた。

(1)日本全体では、本当は、ウェットな人の方が多い。

ドライな回答が多いのは、心理テストやアンケート調査の主催者や同席被験者が心を許しにくい見知らぬ赤の他人なためである。

日本のようなウェットな社会の個人は、一般に、気心の知れた同じ集団内の相手に対してはウェットで親密な態度を取る(集団主義、縁故指向、プライバシーの欠如...)が、所属集団外の見知らぬ赤の他人に対してはよそよそしいドライな態度(個人主義、非関係指向...)を取る、というように、相手に応じて態度のドライウェットさを変えているということが考えられる。

これは、ウェットな社会において、人間関係が身内とよそ者を区別し、よそ者に冷淡な態度を取るといったように、集団に表面張力のような外部からの侵入者を拒絶する力が大きく働いている(閉鎖指向が強い)ことが根本的な原因と言える。

ウェットな個人においては、相手によって取る態度のドライウェットさをカメレオンのように変える態度上の二重基準double standardが成立していると予想される。一方、ドライな社会では、個人は、集団外のよそ者に対して寛容なため、赤の他人にも自分と同じ集団に属する人にも一貫してドライな態度を取ると考えられる。

一般に、心理テストやアンケート調査、心理実験の主催者は、ウェットな社会の被験者から見れば、見知らぬ、心を開くに用心しなければならないよそ者であり(特にインターネット上のテストの場合はその傾向が強いと思われる)、その結果、ウェットな心理傾向を持った被験者は、テストや調査に対して必要以上に他人行儀なドライな態度で臨みやすいと考えられる。

また、テスト~調査において、被験者同士が見知らぬ匿名的な関係にあることが、テストや調査会場の雰囲気を都会的な冷たいドライなものとしがちであり、これがテストや調査結果をドライな方向へと歪める形で影響していることが考えられる。

したがって、日本のようなウェットな社会においては、テストや調査の結果、ドライな結果が出たからと言って、その人がドライだとは必ずしも言えない。ウェットな外向きに閉じた社会集団に属する被験者のドライウェットな度合いを正確に測定するには、従来の方法以外に、

1)テストや調査の被験者を、主催者と同じ小集団に属する、親密でプライバシーの隠し立てをする必要のない者に限定するとか、
2)テスト~調査を、被験者との間で心を開き、お互いに打ち解け合った雰囲気を予め作ってから行う、

といった措置が必要になると考えられる。このような措置を取らないと、テスト~調査で、被験者のウェットな側面を取り損ねる可能性が大きい。

上記の説明について、詳しくは、「ウェットな社会におけるドライな対人関係について」のページを参照されたい。



・ドライな回答が多いのは、態度面での欧米追従が引き起こす、見かけだけの現象である。

欧米のドライな社会規範、例えばアメリカによって戦後導入された日本国憲法などを、「進んでいる」「恰好いい」などと権威主義的に受容したため起きる(権威主義自体は、ウェットな対人感覚をもたらす)。社会をより近代的にして、進んだ欧米社会の仲間入りをするためには、よりドライな態度が必要である。そこで、彼等は、日本的なウェットな態度を、心の底に抑圧しつつ、表面的にドライに振る舞う。彼らは、自分自身のことを、自分ではドライと思い込んでいるが、客観的に見ると、実際はウェットである。そこには、「(ドライな)欧米一流、(ウェットな)アジア二流」という格付け意識と、自ら一流と呼ばれたいという高いプライドが潜んでいる。

日本の「進歩的」と称される文化人、学者の多くに見られる行動様式と根は一緒である。すなわち、彼らは、見かけはドライな社会(欧米)由来の学説を信奉・崇拝するが、実際の行動は、縁故(コネ)や先輩後輩関係を重視する、自分からは独創的な学説を出す力がない、などウェットである。それと同様に、若い人も、近代化を真っ先になしとげた成功例としての、欧米の権威に弱い。権威となる欧米社会では、ドライな態度が主流だから、それに追随する日本の若者も、中身はどうであれ、人目につく振る舞いがドライでないと恥ずかしい、みっともないと考えて、見かけはドライな態度をとる。

上記の現象は、態度の「擬似ドライ化」とでも呼びうる現象である。詳細については、社会のドライ・ウェットさと近代化についてのページを参照されたい。上記の「擬似ドライ化」現象は、ドライな態度が、国際標準である、ないし、国際的に権威ある、とされる場合に起きると考えられる。ちなみに、2000/07のアンケート調査の結果により、「国際標準=ドライ」の図式が確認されている。詳細については、国際標準とドライ・ウェットな態度についてのページを参照されたい。
 

・回答が、インターネットを通じて得られた標本である

回答者が、技術的にコンピュータを駆使することのできる、先進ユーザーであり、「先進的」=ドライの図式に当てはまる人々であったため、自らをドライとする回答が多かった。コンピュータを知らない、技術的に遅れた人々を対象に、紙ベースでテストを行うと、ウェットな方の短文を選択する率が高いかもしれない。

インターネットにおける人間関係は、匿名的なものが主である。 すなわち、人間関係が一時的、短期契約的=ドライである。 今回の回答者は、インターネットの対人感覚で回答したため、現実の対人関係とは感覚面で隔絶している、と考えられる。匿名性のない、学校の教室などで回答させると、ウェットにな結果が得られるかも知れない。
 

・回答者はほとんど若年層(10、20代)に限定されている。

ドライウェットな性格調査においては、若い=ドライな印象が極めて強い、という結果が出ている。若者は、1)社会的しがらみが少ない、2)あちこち動き回る能力が大きい、3)心理的に冒険できる(失敗してもやり直しが効く年代である)、4)旧来のウェットな層が支配する、足の引っ張り合いの多い現実の日本社会にまだ出ていない、といった理由で、自由=ドライな雰囲気が残っている。 老人を対象にテストを行うと、ウェットと答える率が高いかもしれない。今はドライな若い人も、年をとるとウェットになるのではないか?
 

(2)日本社会のドライ化が進んでいる。第二次大戦後50年経過して、日本人の国民性が大きな変動の節目を迎えている。従来のウェットとする説は当てはまらなくなりつつある。

・日本社会は、第二次大戦後、ある程度民主化および近代化を達成しつつあり、その結果、社会のあり方がドライに徐々に変わりつつある。

・戦後アメリカによって導入された日本国憲法は、個人の尊重、表現、結社等の自由の尊重といったように、ドライな性質を持っている。日本における最高レベルの法律がこのようにドライな性質を持っているため、日本人の意識は、知らず知らずのうちに除湿されて、半分ドライ化している。要は、ドライな日本国憲法による「社会的除湿」が起きている。


・戦後の育児様式の欧米化(ベビーベッドの導入など)により、育児中に母親と子供が密着、一体化する機会が減少した。日本社会におけるウェットさをもたらす源であった、育児中の母子癒着の度合いが、以前に比べて減少した。母子分離の度合いがより強まった状態で育てられた日本人の若者は、以前の世代に比べて、母親やそれ以外の他者とのウェットな一体感をそれほど望まなくなり、ドライな態度を取るようになった。

・日本社会は、工業化、サービス化が大幅に進んだ。従来の農業(稲作農耕)中心の生活様式という、ウェットな行動パターンを生み出す源泉が徐々に薄まって(弱まって)来ている。稲作農耕を直接知らない割合が圧倒的に多い世代の回答であったため、ドライな結果が得られた。工業・サービス化は、ドライな態度を生み出すのかも知れない。工業化・サービス化が進んだ社会は、どこでも同じように普遍的にドライになるのではないか。

・日本社会全体が、都市化しつつある。そのため、都市的=ドライな生活様式の人が増えた。農村人口が減少し、ウェットさの源となる、農村生活を知らない、純正都会人の割合が増えたため、ドライな回答が多数を占めた。

・生活の遊牧民化が進んだ。これは、交通・通信の発達によるものである。一カ所にとどまることなく、絶えず高速で移動したり、遠く離れた地点の他者とコミュニケートしたりする人の割合が増えたため、非定着的=ドライという傾向が進んだ。

ドライな欧米社会との技術開発面などでの競争の激化したのが原因である。社会がウェットなままでは、いつも独創性に富む=ドライな欧米の後塵を拝するのみである。これを改めるために、組織のあり方を、能力主義的(従来の悪平等ではなく、自由な能力発揮をしてもらう)にして、年功序列などを廃止する動きが、企業の間に広まっている。日本社会が、組織のドライ化に迫られ、それをまさに実行中である、といえる。考え方がある程度ドライでないと、企業などの組織の中で生き残っていけないので、回答した若者たちは、人格がドライに作りかえようとしている。

・社会の景気悪化などにより、リストラを積極的に押し進められている。そのため、終身雇用のような、組織内定住=定着=ウェットが不可能となり、あちこち飛び歩く渡り鳥のような生活をしなければならない人が増えている。この状況に適応するため、個々人の性格が自然とドライ化する方向にある。

ちなみに、2000/10のアンケート調査の結果により、「よりよい(好ましい、望ましい)=ドライ」の図式が確認されている。詳細については、よりよさ・好ましさ・望ましさとドライ・ウェットな態度についてのページを参照されたい。

なお、上記の、「日本人=対人関係がウェットである」という結びつきが立証されなかった理由は、従来の社会心理学で、「日本人=集団主義」が、立証されない〔高野他1997〕のと理由が一緒であると考えられる。集団主義は、ウェットさの一範疇に含めて考えられるからである。

ちなみに、従来の社会心理学で、「日本人=集団主義」が立証されない理由は、もしも、日本人の国民性が本当はウェットだと仮定した場合、
1)被験者が若い大学生であることが、若さ=ドライ個人主義=ドライ、といった傾向にに結びついて、振る舞いのドライさにつながったと考えられる
2)被験者が、互いに対人的にバラバラで無関係なまま、匿名性を保ったまま実験室に集められたため、行動が他人行儀になり、都会的な、冷たいドライな態度を取らせるに至った
といったものが考えられる。


3.心理テスト回答結果(2006.3)の分析


上記2.で行った心理テストでは、テスト項目の表現は、日本・欧米文化比較論から取ってきたのとほとんど変わらない状態になっていた。そのため、テスト項目の内容は、例えば、ドライな方の項目については、欧米文化や、アメリカが作った日本国憲法の内容とほとんどそっくりになっており、欧米追従、欧米好みの普通の日本人は、欧米寄りのドライな回答をしがちであった考えられる。

そこで趣向を変えて、ドライウェット知覚のより基本法則に即した、行動パターンD(ドライな知覚をもたらすパターン)、パターンW(ウェットな知覚をもたらすパターン)から直接、テスト項目を持ってくることを考えた。

ドライ・ウェットな知覚法則(パターンD、パターンW)についてのページへのリンクです。
ドライ・ウェットな対人行動と気体・液体分子運動との関連についてのページへのリンクです。

ドライな感覚を生み出すパターンDウェットな感覚を生み出すパターンWをそれぞれ表すテスト項目内容を作成し、それぞれの生み出す感覚について、どの程度「好き」かを質問した。

[調査方法]「あなたの性格が、ドライウェットか心理テストで診断します」とする、アンケートページを、インターネットのWebページ検索エンジンに登録し、回答者を募った。

心理テストの項目は、パターンDパターンWの内容を表す項目から、16程度の項目を、分類毎にまんべんなく抜き出したものを採用した。

回答期間は、2006.3.下旬であった。


[結果]

回答者総数は約220名であった。男女比はほぼ35:65で女性の方が多かった。年令は、10~20代だけで、全体のほぼ70%を占め、圧倒的に若いといえる。

回答結果まとめ表のページへのリンクです。

回答結果を分析したところ、パターンDパターンWの区別の根幹をなす、「近づく(Wet)」-「離れる(Dry)」、「つながる(W)」-「切る(D)」といった項目で、いずれもウェットな方=パターンWに合致する方が、より好みであるとされた。

つまり、「近づく」「つながる」といったウェットな、パターンWに合致する感覚は好きとされ、「離れる」「切る」というドライな、パターンDに合致する感覚は「好きでない」とされた。

項目数の面でも、16項目中12項目で、ウェットな方の選択がより多かった。この点、日本人が、根本的なところでは、ウェットな価値を支持していることが明らかであると言える。

ドライウェットの差がなかったのは、
・「付く(W)」(ゴミなどのよくない言葉を連想するため、あまり好きと選択されなかったと考えられる)、
・「同じである(W)」、「違う(D)」(他人と同じだと、集団の中に完全埋没して自己の存在が目立たなくなるのが嫌なため、「違う」を目指して選択がなされたと考えられる)
3項目であった。

ちなみに、ドライな方の回答が多かったのは、
・「速い(D)」(新幹線等速くて便利な存在が頭の中にあり、その点、速いのが好まれたと考えられる)。
1項目であったが、この場合、同時に、「ゆっくりである(W)」方も、好ましい(環境にやさしいスローライフ思想の影響などか)と考えられて、回答が多くなっており、その点、速い-ゆっくりの次元では、互いに矛盾したどちらとも好まれるという、両面価値現象が起きていると言える。

今回の結果から、社会の学校教科書や日本国憲法に出てくるようなドライな欧米的価値を露に出さない形で、よりドライウェットさの知覚の根幹をなす法則(パターンDパターンWの法則)に沿って質問すれば、従来言われていた「日本人=ウェット」の関連が、質問紙調査でも確認できることが明らかとなったと言える。


〔参考文献〕

高野陽太郎、纓坂英子 "日本人の集団主義"と"アメリカ人の個人主義"-通説の再検討- 心理学研究 vol.68 No.4,pp312-327,1997
山口勧(編) "社会心理学-アジアからのアプローチ",東京大学出版会,2003



 

(C)1999.7 -2006.4  大塚 いわお

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