対人感覚とドライ・ウェットさ

2005.03-2005.10 大塚いわお


相手との心理的一体感、抱き合う感じは、ウェットな感じとして捉えられる。
例えば、場の共有ということで、互いに同じ会席で宴会・食事をし、盛り上がると、一体感が感じられる。
あるいは、同じ話題(例えば、アニメ、音楽・・・)で意見や興味が合うと、一体感が感じられる。
基本的にな価値観、互いに思っていることが同じだと、一体感を感じ、結婚とかに踏み切りやすくなる。
心理的距離感は、同じ情報、興味、関心、価値観を持っていると近く感じられる。すなわち、相手と同じ神経回路を共有している、相手も持っていると感じられると、距離が近い、一体だと感じられ、ウェットに感じられる。
あるいは、皮膚の色や顔つきの類似性のように、相手と同じ遺伝子を持っている、共有していると感じられると、相手が近く感じられる。

相手と同じ興味、価値観を持とうとする、相手と興味、関心を合わせようとすることで、心理的距離を縮めようと努力することが、相手と心理的にくっつこうとすることにつながり、ウェットに感じられる。

相手と進行方向、ベクトル、内容がが合う、同じであるという、「合同性」が、相手と距離がない、一体であると感じられることにつながり、ウェットに感じられる。



対人感覚、印象においては、
(1)相手と意見が同じ、価値観が共通だと分かると、相手と近くなった、くっついた、一体になった、心理的距離が縮まった、ウェットと感じる。
(2)相手と情報を共有すると、相手と近くなった、ウェットと感じる。


●心理的くっつき感、一体感-心理的対人距離-

○心理的くっつき感、ウェット感はどうやって生まれるか?

互いが心理的に同一であることの知覚は、
(1)まず相手とコミュニケーションを取る、開始する。
(2)互いに自分の心の中の意見を相手に公開する、表出する。
(3)意見交換をする、話し合ったら、同じ意見、考えについて互いに同時に賛成・反対であること、意見が合うこと、価値観が合うことが分かる。互いに同一・類似の神経回路(促進・抑制シナプス=価値シナプス)を持っていることを確認する。
(4)互いに同じであることを前向きに受け入れる。


対象の持つ様々な側面・属性について一つずつ、自分と同一・近いかどうか判定していく。同一、近いならくっついているということになり、ウェットとなる。あるいは、魅力ある相手(異性とか)に引かれ、くっつきたいという場合、身分の違いとか、自分とは共通でない属性の相手に惹かれることもある。

あるいは、自分の欲しいもの、所有したいものが、自分にとってウェットな関係にある。ファン、マニアとその対象(アニメ作品のDVDを所有したいマニアとそのDVDとの関係)がそれに当たる。



○どのような行動が、ウェットさに結びつくか?
(1)物理的に近辺をまとわりつく、学校内とかを一緒に行動する、物理的な一体感があげられる。
(2)口を聞いたり、話す時間や頻度が高い、あるいは、電話を頻繁にかけてきたり、メールを頻繁に送ってくるといったように、互いの心の中の状態や心の動きを相手に伝えるコミュニケーションを頻繁に取ろうとするのがウェットさに結びつく。
その根底には、相手に親近感、一体感、共感を持っている。


コミュニケーション、会話は、相手との、感情や状況のやりとりにより、相手との心理的くっつき感を生じさせる。


以下のような対人関係の進展が、相手と離れない、ウェットと感じられる。
(1)相手が自分に近づいてくる。自分が相手に近づく。物理的接触ないし、電話・メール、直接対面といったコミュニケーションによる。
(2)相手が自分に危害・攻撃を加えない。自分の意思に反することをしない。自分にマイナスになることをしない。

(3)相手が自分と同じ位置に止まろうとする。同じ位置を共有しよう、し続けようとする。物理的にいつまでも一緒のところにいようとする。心理的興味・価値空間内の趣味・意見の多次元分布(鉄道が好き、ジャズが嫌い・・・)の中の心理的位置を共有しようとする。

(4)相手に愛着し、引き離そうとすると抵抗して、いつまでも離れようとしない。


○どういった時、対人関係にウェット感が生じるか?

心理的にベタベタくっついて離れないと感じさせる対人関係がウェットである。
心の動きの相手との共有によって、相手との距離が近く、短くなる。これがウェットに感じられる。相手の心の理解や、相手と同じ信条の共有のように相手と同じ神経回路を持つことが、距離を近くする。

相手との親近感は、相手と自分が同じ、同一である、同じ穴のムジナであると感じられたときに起きる。

親近感は、それとは別に、相手は自分とは違うが、惹き付けられる魅力があると感じられたときにも起きる。相手が有能なリーダーであり、相手の下で働きたいとか、相手に付いていきたいと想ったときに起きる。あるいは、性的な魅力に惹き付けられた恋愛でも起きる。

親近感は、相手と一緒にいると心が落ち着くといったように、相手が「良い」性格の持ち主である場合にも起きる。

いずれも親近感を感じた当人には、ウェットな感情を呼び起こす。



○他者との近さは、どのように分類されるか?

(1)感覚的な近さというのがある。
あの人とは、感覚的にうまが合う、相性がいいというのは、意味カテゴリとは直接結びつかない、感覚的な共通性、距離の近さである。例えば、雰囲気が共通・一緒だとか、同じような服装をしているとかである。そうした感覚的同一性や共感性が、感覚距離の短さに結びつき、ウェットな感じを与える。これは、相手との一体感といった対人感覚の問題である。

(2)意味的な、分類上の近さというのがある。
あの人とは、共通のカテゴリに属する、という場合、例えば、同じ会社で働いているとか、体型が似ているとか、着ている服のデザインが同じであるとかいう場合、それが相手との意味や、概念上の距離の短さに結びつき、ウェットな感じを与える。



○相手とのくっつきを引き起こす誘因にはどのようなのがあるか?
(1)興味、価値観同一型 互いに意見が合うことで相手とくっつく。
(2)フェロモン、魅力振りまき型 性的等の誘引力、誘引物質で、あるいは魅力で、相手を自分のもとに集める、一体化させる、くっつかせる、とりこにする。
(3)利益誘導型 互いに相手が自分にとって利益となる。相手を儲かると言って誘う。
このうち、(2)(3)は、相手との一体感を持つことが、一時的なものであり、また一体感が何らかの利己的な目標を達成するための道具、手段に過ぎず、終了すればさっさと別れてしまうため、本来はウェットな関係とは呼べない。




○現実の対人関係のうち、例えばどういう関係がウェットか?

一卵性クローンの双子は、相手が互いに自分自身であり、究極の一体感を持つ。その点、この双子の対人関係は、究極のウェットな関係である。

いつも一緒に行動する友人同士は、互いにいつもくっついているという点、液体的な行動を取っており、ウェットな感覚をもたらす。彼ら友人同士は、いつも一緒に行動するという点で、物理的に近接しており、相手との距離が短い。また、友人同士は、同一の価値観や神経回路を共有しており、意味的なカテゴリ分けの距離が短く、同一意味カテゴリに属している。そういう点で、心理的に接着している。人と人との距離や仲は、互いの価値観の共有なしにはくっつかない。価値観の共有がウェットな感覚を生み出している。

相思相愛のあつあつのカップルは、相手と同じ価値観を持とうとして、揃いの服や本を持とうとする。互いにべたべたくっつき、抱き合い、手をつなぎ、キスをし、セックスをする。そのように物理的接触を頻繁に行い、心理的にも一体化する。これは、ウェットに感じられる。

嫌がる相手に無理やりまとわりつくストーカーも、相手にどこまでも近づきたいというウェットな心情の持ち主である。無限の親密さを相手に求めるウェットな人は、えてして相手につきまとうストーカーになりやすい。

相手と血縁、地縁関係にあり(コネがあり)、親密である場合も、ウェットである。



○どういうとき、人と人は近づくか?
人間同士が近づいて、ウェットな関係に入るのは、相手と自分が、同類、共通である場合と、相手が互いに自分にない長所を持っているという相補関係にある場合とがある。あるいは、男女関係のように、遺伝的に互いを吸引する関係に入ることが決まっている場合もある。



○どうすれば相手とウェットな親密な関係に入れるか?

相手との価値観、興味、癖等、行動面での同一性は、より根本的には、その相手との神経回路の同一性に基づくと考えられる。

行動の同一性は、生理的身体の同一性(これは、同じ遺伝子を持つ、遺伝的同一性に基づく)と、文化的(後天的)同一性とに分けられる。
相手に自分と同じものを見いだす、見出そうとしたり、相手とベクトルを合わせ、距離を縮める方向に持っていく、すなわち、相手と同一になろう(同一性を実現しよう)とするのは、ウェットである。相手と共通の神経回路を持とうとすることが、行動面でのウェットさにつながる。

他人と同じ神経回路を持とうとするのがウェットであり、他人と違う神経回路を持とうとするのが、ドライである。

互いに、趣味や価値観、意見で同じか似た要素、共通の基盤を持っていると、距離が近く、ウェットであり、恋人、友人になりやすい。逆に、こうした共通の基盤を持っていないと恋人、友人にはなりにくい。

恋愛においては、片思いでは、実質的にウェットな関係には入れない。相手が逃げていては、互いにくっつけないからである。片思いしている方は、相手との距離を縮めようとしている分ウェットであるが、想われている方は何とも思っていないので、ドライなままである。
両思いとなることで、互いにくっつくので、初めてウェットになる。




●感動・情動

相手との心理的一体感は、感動とか情緒で感じられる。
対人関係でウェットさを感じるのは(対人的な湿り気の知覚は)、神経系ではどのような仕組みで感じられているか、神経系の機能地図の中のどの部位で感じるか、を明らかにする必要がある。ウェット感を感じると活性化される神経系の部位は、皮膚でウェットと感じる時活性化するのと共通の部位だと考えられる。

対人関係におけるウェット感の発生には、恐らく情動系が絡んでいる。
涙が出るとか、感動するとか、心を動かされるといった感覚は、ウェットである。情動、感情を表出すると、ウェットと感じられる(のではないか)。
涙もろい、同情・共感しやすい人は、ウェットであると感じられる。同情、共感すると涙が出る。
感動しない、心を動かさない、涙を流さないのは、冷たいと同時に、ドライである。


感動には、虹や滝のような美しい自然物や景色、物体を見て感動する場合(対物感動)と、実写映画やアニメなどに登場する人間の行動に感動する場合(対人感動)とに分けられる。
このうち対人感動が、ウェットな感覚を生み出す。一方、対物感動は、すっとした、爽やかなドライな感覚を伴う場合もあり、対人感動とは異質である。

対人感動は、対人関係(実際に人と会うだけでなく、人物が活躍する映像記録を見る場合も含む)で生まれる。
対人的に、他人とくっつく、一体感を感じるときに、感情、情動が生じる。また、親密だった他人から関係を切られてショックを受けたとき(失恋等、他人との一体感の喪失時)にも、(主にネガティブな)感情、情動が生じる。
心の奥底で感動すると、心を揺り動かされると、他人と心理的に一体感を持ったときと同じ感覚が起きる。
他人の言動に感動すると、目頭が、心が熱くなり、涙が出る。対象に心の底から「共感」したとき、感動する。思いがけず、予想外に共感したとき、意外性が、心の動き(動揺)を生み出す。


共感できたというウェットな感じを持つのは、対象に、強い一体感、自分と同じだという感じ、同質感を持ったときである。
共感、一体感を感じる器官、神経系内の受容器が、対人乾湿感覚器である。

感動は、共感+動揺である。
動揺は、意外感(斬新性)+振幅の大きさ(刺激の強さ)からなる。

意外性のない、定石どおりの展開でも、感情面に与える振幅が大きいと、それなりに感動する。
感動で、ウェットな感じの起きる原因は、共感にある。

相手との心理的接触、コミュニケーションは、
(1)単にビジネス上の情報を交換するだけでは、表面的な付き合いに過ぎず、ウェットではない(ドライである)。
(2)心の表層の当たり障りのない知識を伝えるだけでなく、深層の心の奥深くの感情や情動を相手に包み隠さず伝えるのがウェットである。


心の奥底で感動する、感情を出すのが、ウェットであり、感情がない、感動しない、冷静であるのがドライである。
アニメとかの登場人物へ共感する、一体感を持つ、感心するのがウェットであり、そうしたものがないのが、ドライである。



●好き嫌い

情動的・感情的な好き嫌いは、相手に関心があることを示す。「嫌い」というのは、相手とは離れる関係にあるにも関わらず、実際にはウェットな感情を呼び起こす。例えば、ネチネチしつこく嫌がらせをするとか、悪意をもってつきまとうとかいったように、相手を突き放して冷静になって見ることができず、視点の接近や関心の一体性が見られる点、ウェットである。ドロドロとした愛憎劇といった表現をする場合、それは、相手を憎む気持ちが、相手とすっきり離れたドライな関係とは対極のウェットな感じをもたらすことを示している。相手とプラスの一体感を持つ「愛」と、マイナスの一体感を持つ「憎悪」とは、相手を突き放して客観的に見ることができない点、両方ともウェットである。

対象を、客観的に、自分から突き放して冷静に見ることは、対象から離れることにつながり、ドライである。
一方、対象を、主情的・主観的にしか見ることができない、心の奥底の情動が働いて気持ちが動転して対象を突き放して捉えることができない場合は、対象を突き放せずくっつくことになり、ウェットである。

対象を突き放して客観的に捉えられない場合には、対象が嫌いな場合も含まれる。嫌いという感情も、対象に関心が向いている、のめり込んでいる点では、好きな感情と共通であり、ウェットである。ドライなのは、無関心な、冷淡な場合である。


2005-2006 大塚いわお

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