ドライ・ウェットさの両立について

2006.1-2006.9 大塚いわお


1.ドライな価値とウェットな価値の両立

ドライな価値とウェットな価値の両立を図るのは難しい。その一例として自由と連帯を上げる。

自由と連帯は両立しない。

自由と連帯は、両方とも、人間にとってプラスの望ましい価値であり、人間は、両方欲しいと思う。

羽を思い切り伸ばせて、自分の行きたい方向に行ける自由さは、互いにバラバラに離れて活動することを指向する、心のドライさによって成り立つ。

一方、連帯は、互いに周囲他者との温かな心地よい一体感を生むが、これは、互いに集まりくっつくことを指向する、心のウェットさによって成り立つ。

望ましさの点から言えば、自由も連帯も両方いっぺんに欲しいということになるが、残念ながら、両者は、ドライ・ウェットの軸上では、互いに対立した概念であり、両立しない。

連帯感を持つには、各人が同じ価値観を共有する必要があり、周囲と無関係に自分の好きな道を歩もうとしたり、互いにバラバラでいようとする自由さや個人毎の個性の発露を制限、規制する必要がある。

一方、個人の自由が確保されると、個人が周囲と無関係にバラバラに動くようになり、連帯が欠如する。そうなると、行動の責任を一人で取らなければならないし、他人と自分は所詮違うんだという、孤独感や寂しさにさいなまれることになる。

結局、自由と連帯と両方同時に手に入れることは普通は不可能である。両者をどうしても同時に欲しいのであれば、ある程度自由も連帯も制限しつつ、不満の出ない中間値を探す必要がある。

自由と連帯が両立するのは、「(社会とかの)自由化を求めて連帯する」とか、あるいは各人の自由意思がたまたま複数の人々の間で共通、一緒だった時だけである。

例えば、人間は物価が安いほど、生活のコストが低くて生活しやすいという点では万人が共通しているので、各人の自発的な自由意思で「物価の値下げを求めて連帯する」といったことが可能である。


2.ウェット(ドライ)な価値の2面性

ウェットな価値には、同時にプラスとマイナスの2側面が存在する。

例えば、なつきとまとわりつきは、両方ともウェットな感じをもたらすが、この2つは同時に起こる。

子供が自分になつくのは、子供が自分を好いてくれているからであり、そうした子供によるプラス評価が自分にとって、心地よい、うれしいと感じられ、プラスの感覚をもたらす。

しかし一方、なつかれて、自分の周囲を絶えずくっつかれる、まとわりつかれるのは、特に忙しい時などわずらわしく、うるさいと感じられ、マイナスの感覚をもたらす。

かといって、まとわりつかれるのがわずらわしいとして、子供を邪険に追い返して扱っていると、子供がなついてくれなくなり、寂しくなる。

結局、なつき(プラス価値)を手に入れようと思ったら、まとわりつき(マイナス価値)の方の発生も同時に我慢する必要がある。

上記は、ウェットな価値についての例であるが、ドライな価値についても同様な説明が可能と考えられる。



2006 大塚いわお

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