ドライ・ウェットさと愛

2005.03-2005.05 大塚いわお


愛とは、一般に、人間愛とか、男女愛、同性愛などを示す。

愛は、
(1)人を好きになる。その人に「近づきたい」。好きな人と、いつまでも「一緒に」いたい。好きな人を「独占したい」。

(2)好きな人のために何でもする(援助・奉仕)。好きな人のために全てを捧げる、投げ出す(犠牲)。

(3)好きな人と、気持ちの「つながり」を持ちたい。

(4)好きな人と、いつまでも一緒にいて、離れたくない(愛着)。周囲が引き離そうとすると、必死になって抵抗する。


こうした愛は、全て、相手との一体・融合感、くっつき感、癒着・接続感を与えるものである。その点、「愛はウェットである」、と言える。

一方、愛情は、ウェットなものばかりでなく、ドライな愛情もあると考えられる。

ドライな愛情は、相手のプライバシーや自由意思を尊重し、相手に対して干渉したり、束縛せず、相手の好きなようにさせてあげる、という相手に対する思いやりとして表される。

ウェットな愛情は、ともすれば、相手との一体感(相手と一緒にいること)を望む分、相手を自分の元へと引き寄せようとするあまり、相手を束縛し、不自由な思いをさせることにもつながる。その対極として、相手に自分の世界を大切に持たせ、自由に、自分の意思を貫徹させようとする、相手に意思決定の自由を与え、思い通りにさせてあげよう、相手の思いをかなえてあげようとするのが、ドライな愛情である。


[注]この稿は、2004年度末に放送されたアニメ「神無月の巫女」最終話を見た感想を土台にしています。


(c)2005 大塚いわお

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