ドライ・ウェットな行動様式を知る意義について


2003.12-2004.10 大塚いわお



ドライ・ウェットな行動様式を知ることことがなぜ重要なのか、その意義について、以下にまとめた。


(1)世界各国の国民性や社会的性格を心理的側面から分析していく場合、ドライ・ウェットさの次元が重要な役割を果たしている。例えば、各文化を取り巻く自然環境との関連では、「乾燥環境= 遊牧・牧畜文化(欧米など)=ドライな行動様式が主流、湿潤環境=農耕文化(日本、東アジアなど)=ウェットな行動様式が主流」という相関が成立すること で、ドライ・ウェットさの次元が、世界の文化の分類把握をより容易にする効果を持つ。

例えば、従来の日本・欧米文化比較論においては、「日本文化=ウェット、欧米文化=ドライ」とする説明がしばしばなされてきた(例えば、松山幸雄 (1978)、西尾幹二(1969)など)。

今まで日本(欧米)的行動様式としてあげられてきたものは、集団主義(個人主義)、周囲への同調(非同調)、情緒・非合理性(科学・合理性)、対外閉鎖性(開放性)、年功序列・前例やしきたりの重視(独創性の重視)、規制好き(自由主義)、外圧がないと動かない(能動的)といったものであり、いずれも、ドライ・ウェットさの持つ守備範囲内に収まっている。要するに、日本(欧米)的行動様式は、現状ではそのほとんどがドライ・ウェットさの観点で網羅的に説明可能である。

日本=ウェット、欧米=ドライとする印象が本当に正しいかどうかは、杉本・マオア(1982)のような「日本がドライで、欧米がウェットである」という反論もあり、別途確認が必要であるが、日本・欧米文化を比較する際に、その視点をドライ・ウェットの軸で捉えることについて、現在まで特に異論 は出ていない。



(2)男性、女性の持つ社会心理的な行動様式を一通り説明可能である。それぞれ男性=ドライ、女性=ウェットとして捉えられる。

・女性がグループを作ってグループ単位で行動したがる(トイレまで一緒に付いていくのを好む)のに対して、男性は単独行動をより好む(集団主義-個人主義)。
・女性が周囲の流行に敏感で、ファッション雑誌を読むのを好む、周囲に自分の行動を同調させる(調和させる)のを好むのに対して、男性は特に周囲に合わせず、独自の道を歩もうとする(同調指向-非同調指向)。
・女性が人間に興味を強く持ち、周囲の他者との関係を構築・維持することに心を砕くのに対して、男性は、非人間的な物質やメカに興味を持ち、他者との関係は、あくまで何か目的を達成するための手段として構築する(人間関係指向-非人間関係指向)。
・女性は、自らは未知の領域に進むのを好まず、前例・しきたりの世界に生きようとするのに対して、男性は、未知の危険が潜むかも知れない領域に、自らモルモットして積極的に挑み、独創的な成果をあげる(前例指向-独創指向)。
・女性が親しい他者に対して、積極的に自己開示をしてプライバシーをさらけ出すのに対して、男性は、自己開示をしない(プライバシーの欠如-尊重)。
・女性が取る行動が受け身である(自分からは動かない)のに対して、男性は自分から進んで動く(静的指向-動的指向)。

など、今まで男女の社会的行動の性差として考えられてきた行動様式は、ドライ-ウェットの軸上に一通り乗っており、ドライ、ウェットさの視点から網羅的に説明可能である。



要するに、ドライ-ウェットな行動を知るメリットは、今まで個別、バラバラにあげられてきた、欧米(遊牧・牧畜系)文化-日本・東アジア(農耕系)文化、男性文化-女性文化の様々な特徴を、「ドライ-ウェット」の一言で要約、説明可能であるということに尽きる。

今までは、集団主義-個人主義、規制主義-自由主義・・・・といった、雑多な分析視点がバラバラに個別に取り上げられてきた。それらを一つに束ねる概念が、これまでは存在しなかった。

こうした多様なバラバラな分析視点を、「ドライ-ウェット」という一言で総括して一まとめに縛って、まとめて、束ねて持ち運びが可能になる。その点、「ドライ-ウェット」の概念は、今までの集団主義-個人主義、規制主義-自由主義・・・・といったバラバラな概念を一まとめにして運ぶことを可能とするコンテナの役目を果たす。

ドライ・ウェットさは、従来の、男女差、東洋と西洋の文化差を説明する上での主要概念であった個人主義、自由主義・・・といった概念を一通り網羅、総括、包含する、より上位の概念であると言える。

ドライ-ウェットという一つの軸へと要約することで、視点がバラバラでまとまりに欠けていた農耕(日本・東アジア)-遊牧・牧畜(欧米)、女性-男性(ないし母性-父性)についての文化把握が、いとも容易になる効果がある。

つまり、ドライ-ウェットという分析軸を用意することで、集団主義-個人主義、規制主義-自由主義・・・・といったバラバラに提唱されていた諸概念が、

ウェット ドライ
集団主義 個人主義
規制主義 自由主義
反プライバシー プライバシー尊重
・・・ ・・・


といった形で、ワンセットで取り扱うことができる。その点、分析視点が、「ドライ-ウェット」という一つの軸へと焦点がまとまって、より社会文化の分析がしやすくなる。

かつ、
・集団主義-規制主義-反プライバシー・・・・が、それぞれウェット軸で互いに連動し、ワンセットで同時に成立、生起する、
・個人主義-自由主義-プライバシー尊重・・・・が、それぞれドライ軸で互いに連動し、ワンセットで同時に成立、生起する、
といったように、ドライな軸に属する諸概念(個人主義、自由主義・・・)同士、ウェットな軸に属する諸概念(集団主義、規制主義・・・)同士が、互いに一まとまりに連動しており、共時的に成立することを明示できる。

この点から、上記のドライ軸、ウェット軸の各ワンセットは同時に揃って成立すること、例えば、個人主義の社会は、必ず自由主義であること(共にドライ)、集団主義の社会は必ず反プライバシーであること(共にウェット)を、説明することができる。

あるいは、上記のドライ軸、ウェット軸の各ワンセットに矛盾する組み合わせの概念を持つ社会、例えば、集団主義的(ウェット)かつ自由主義的(ドライ)である社会が成立しないことや、プライバシーを尊重する(ドライ)集団主義(ウェット)社会が存在し得ないことを説明することができる。



以上のように、ドライ・ウェットさの視点は、世界の文化を大きく二分する、「農耕文化(ウェット)-遊牧・牧畜文化(ドライ)」、および「女性文化(ウェット)-男性文化(ドライ)」の次元をそれぞれ説明することができ、その点、世界の文化を分析する上で大きな分析力を発揮すると言える。


この場合、ドライ・ウェットさの視点は、単に、世界の社会文化の分析を容易にする効果だけでなく、今までほとんど接点のなかった、人々の社会行動と、分子や物体運動に関する物理学とを結びつける効果をもたらす。

要するに、ドライ・ウェットな人~物体~分子といったサイズの異なる各粒子は、粒子のサイズが違っていても、共通の行動・運動様式を持っていることを示すことができるのである。

日本、東アジアの人たちがウェットで、欧米の人たちがドライだというのは、農耕、女性主体の、日本、東アジア社会の人たちの行動様式が、本質的に液体分子運動に似ており、一方、遊牧・牧畜、男性主体の、欧米社会の人たちの行動様式が、気体分子運動に似ていることを示している。

すなわち、気体、液体分子運動は、それぞれ、

液体分子(ウェット) 気体分子(ドライ)
集団主義 個人主義
規制主義 自由主義
反プライバシー プライバシー尊重
・・・ ・・・

的であり、このことから、気体・液体分子運動シミュレーションと相似の方法によって、ドライな社会、ウェットな社会の人々の行動を、コンピュータでシミュレートできる、と言える。

すなわち、遊牧・牧畜、男性中心の欧米社会は、気体分子運動でシミュレートでき、農耕、女性中心の日本、東アジア社会は、液体分子運動でシミュレートできる。

気体・液体分子運動シミュレーションの実例へのリンクです(プログラムは、筆者ではなく、他の人の作品です)。

このように、ドライ・ウェットさの視点を世界の社会文化の分析へと導入することは、物理学で発達している物体の動きをコンピュータでシミュレートするノウハウを、そのまま社会学、心理学で生かせるようになる効果をもたらし、社会学、心理学の発展に寄与する度合いが大きいと言える。


参考文献

松山幸雄(1978) 「勉縮」のすすめ 朝日新聞社
西尾幹二(1969) ヨーロッパの個人主義 講談社
杉本良夫,ロス・マオア(1982) 日本人は「日本的」か-特殊論を超え多元的分析へ- 東洋経済新報社


(c)2003-2004 大塚いわお

トップページに戻る