義理・人情とドライ・ウェットさ

2005.7 大塚いわお


従来、義理・人情は、ウェットな感覚をもたらすと捉えられてきた。本文では、なぜ義理・人情がウェットと感じられるかについて、説明する。

要約すれば、義理は相手に対する心理的束縛感、不自由さ、人情は、相手に対する純粋な近接として捉えられ、共にウェットな感覚をもたらすと言える。

まず、義理の方から説明する。
義理は、社会的互酬がもたらす束縛として捉えることができる。

義理には、以下の3つの側面がある。
義理を持つ相手に対して、
(1)本当は、相手とは、ふだん意見が合わない等で、あまり関わりたくない、相手との心理的距離が遠い。本当は、相手とはドライな関係でいたい。本当は、相手とは自由で、無関係でいたい。
(2)以前、相手に助けてもらった、わがままを聞いてもらった等で、相手に借りがある。相手に返礼をしないといけないが、何らかの理由でできていないか、今後も返礼ができる当てがない。
(3)相手と付き合い続けないといけない。相手の前では、本当は、相手と付き合いたくなくても、相手に親密な振りをしないといけない。

本心ではドライに付き合いたい相手との間で、相手に借りがある等で、相手に対して自分が下手に出る必要があり、かつ相手に対して見かけ上親密な(疑似親密の)ウェットな人間関係を、やむを得ず築く必要がある場合、その人間関係が束縛となって感じられる。

義理がウェットに感じられる所以は、
(1)表面的であれ、相手に対して少なくとも見かけ上、心理的に親密になって近づくこと
(2)相手との人間関係が、束縛、不自由に感じられること
に集約される。

この場合、相手に対して借りがあるということは、相手の思うままに合わせないといけない面があり、それが往々にして自分の本意に合わないため、不自由、不本意に感じられる。これが、義理の持つマイナス面である。

かといって、借りのある相手に対して、それを無視するような態度を取ることは、自身の社会的信用を失い、生きていけなくなることを意味する。
この場合を、義理を断ち切って、自由になるには、相手に対して、全ての借りを返すしかない。

こうした「義理」は、相手から助けてもらった、相手から何かを受け取った側、借りのある側の心理であり、その点、相手を助ける、相手に何かをあげる、与える側(貸しを作る側)の心理である「人情」とは、同じウェットであっても、対極的な心理である。

人情は、相手を、(相手からの)返礼無しに助けたい、相手に、純粋に近づき、思いやりを与えたいという心理である。相手からの見返りを期待せずに、純粋に好意で、相手に援助を与えようとする。相手から利益、返礼を得ようという下心がないのが特徴である。
これは、相手に、他意なく近づこう、助けようとする心理であり、その点、人情は、相手への心理的距離を短くする、相手に近づこうとするウェットな心理の産物と言える。

こうした人情に基づく無償の援助行為が、助けを受け取った側からは、往々にして義理に感じられるというのが、義理・人情の持つ矛盾した側面であると言えると共に、義理と人情が相互に裏返しの、ペアにして一体として捉えられる関係にあることも示していると言える。


2005 大塚いわお

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