ドライな経済、ウェットな経済

2004.7 大塚いわお


ドライな社会と、ウェットな社会とでは、経済のメカニズム、経済活動のあり方に大きな差があると考えられる。

従来は、ドライな欧米社会原産の「近代経済学」が広く普遍的に全世界に当てはまると考えられてきたが、実際には、それらの理論は、日本、東アジアのようなウェットな社会には、当てはまらず、ウェットな社会には、それ専用の理論が必要であると、考えられる。

すなわち、ドライな社会とウェットな社会とでは、経済が違った原理で動くので、それぞれ違った理論が必要となると考えられる。

つまり、資本をたくさん蓄積して(お金をたくさん儲けて)、より豊かになろうとする資本主義にも2通りあって、ドライな資本主義と、ウェットな資本主義とがあると言える。

ドライな社会の経済と、ウェットな社会の経済とでは、例えば、以下の点が違うと考えられる。

(1)ドライな社会が、機動力を重視し、持ち運ぶ物資の量をできるだけ軽くして減らそうとし、モノの移動、動きを重視する、「フロー重視」の姿勢を取るのに対して、ウェットな社会は、一カ所に定着して動かず、物資の蓄積を重視する、「ストック重視」の姿勢を取る。

(2)ドライな社会が、企業間の、自由な競争を促進する(自由主義)のに対して、ウェットな社会では、企業間の動きを規制・統制し、談合、横並び、護送船団方式(規制主義)を取ろうとする。

(3)ドライな社会における、企業間の競争が、各企業の独自性、独創性を重んじ、互いにバラバラな違うことを行う、「相互拡散・離散型」になるのに対して、ウェットな社会では、企業間の競争が、互いに同じこと、似たようなことをやって、抜きつ抜かれつの競争をする、「相互同調型」になる。

(4)ドライな社会では、企業組織は、成員にとって、金儲けのための一時的な道具、手段と割り切り、個人の利益を最優先にしたものとなるのに対して、ウェットな社会では、企業組織は、成員にとって、全人的に一体化、没入する対象となり、「組織の永続的繁栄のため、全力を尽くす」ことになる。すなわち、個人よりも組織の利益を最優先にしたものとなる。

(5)ドライな社会では、消費者は、○○会社の製品は、自分に利益を与える手段として優れた機能を持っているので購入するという、「功利的」な価値観で対価を支払うのに対して、ウェットな社会では、消費者は、○○会社が好きだから、という、企業との一体感、ないし、ブランドイメージ優先で製品を購入する。

(6)ドライな社会では、設備投資や株式購入が、互いに周囲に余り影響されず、独自の判断で行われる「独自投資」になるのに対して、ウェットな社会では、周りがやっているから自分もという感じで投資や購入を行う、「同調投資」になる。

従来のドライな社会向けの「近代経済学」では、ウェットな社会の経済の動きに完全にフィットした説明に無理があると考えられ、ウェットな社会の実情に合致した、経済理論が必要なのではないか。

ドライな経済、ウェットな経済の対比は、ドライ=欧米、ウェット=日本、東アジアといった地域差以外にも、ドライ=男性、ウェット=女性、といった性差でも成立すると考えられる。

経済のドライさ、ウェットさには、性差の影響が実際には色濃く反映する。

男性的なドライな経済では、今までにない技術を生み出してそれを元手に儲けようとして、高いリスクのある事業に挑戦しようとする「高リスク、ベンチャー型」になるのに対して、女性的なウェットな経済では、既に安全性が確認された、リスクの少ない、確実性のあることをベースに儲けようとする「低リスク、安定型」になる。


(c)2004 大塚いわお