視聴覚等の知覚とドライ・ウェットさ
-同類・異類、連続・離散、低速・高速の視点より-

2005.03-2008.08 大塚いわお


皮膚以外の感覚でも、対象との心理的距離の知覚とそれに基づくドライ・ウェットさの知覚が存在する。

例えば、同じ色の玉同士は、違う色の玉同士よりも、互いに心理的に近い存在と認知される。

視聴覚や嗅覚、味覚において、互いに違う色、形状、音、位置、匂い、味の物同士は、心理的に遠く、それゆえドライに感じられ、同じ物同士は、近く、それゆ えウェットに感じられる。

要は、人間の知覚で、互いに同類にカテゴライズされる物同士、互いに共通性、同質性が高い物同士は、距離が近く、湿った、ウェットな感覚を引き起こすと考 えられる。
あるいは、同じ属性を持った物体~人間同士は、互いに、同じカテゴリ、内集団に属するとして、心理的距離が近く、一体化して捉えられ、それゆえ、ウェット に感じられる。
一方、違う、異なる属性を持った物体~人間同士、異類の物同士は、心理的距離が遠く、ドライに感じられる。

同種の玉同士(例えば50円玉硬貨)で、場所が互いに近接した位置にある玉同士は、よりウェットに、互いに離れた位置にある玉同士は、よりドライに感じら れると考えられる。

同じ~似通った色の玉同士は、ウェットに、大きく違う色の玉同士はドライに感じられると考えられる。

同じ~似通ったサイズの玉同士は、ウェットに、大きく違うサイズの玉同士はドライに感じられると考えられる。


また、互いに連続した、つながったものとして捉えられる物同士(連続物)は、ウェットに感じられ、互いに切り離された物同士(離散物)は、ドライに感じら れる。

例えば、色が虹のように連続して変化して見える場合は、ウェットに感じられ、段階的に違う色に途切れる感じで一気にガタッと変わる場合はドライに感じられ ると考えられる。

あるいは、聴覚の音で、連続音(チャイコフスキーの弦楽セレナードの流麗な弦楽合奏みたいな曲)、連続音程の曲はウェットに感じられ、離散音(プップッ プッの時報や弦楽器のピチカート演奏とかのように、途切れ途切れの音)はドライに感じると考えられる。

同様に、音で、連続、隣接した音程で次第に流れる場合、あるいは同一音程が続く場合=連続、同一音程はウェットに感じられ、音程が大きくバラバラに変わる 場合=離散音程はドライに感じると考えられる。例えば、ショスタコーヴィチの「黄金時代」組曲の第3曲目(ポルカ)が、離散音程の曲に当たる。

これは、音の強さでも同様である。強さが少しずつ、前の強さとの連続性を保持しながら変化する場合は、ウェットに、急に大きくなったり、小さくなったりす る場合は、ドライに感じると考えられる。

人間によるカテゴリ分けの心理において、「共通・同類=連続=近い、くっついた=ウェット」、「相違、無関連、異類=離散=遠い、離れた、バラバラの=ド ライ」という関係が、人間の感覚一般、対象となる物体~人間一般について生じていると考えられる。

なぜ、そのように感じるかは、人間の神経系において、共通のニューロンの発火をもたらす物体~人間同士は互いに近く、くっついて、ウェットに感じられ、共 通のニューロンの発火をもたらさない物体~人間同士は遠く離れて、ドライに感じられるしくみがあるためと推定される。

これを人間に当てはめて考えると、互いに似た行動を取る、同じ神経回路、価値観、思考、体験を共有する者同士は、共有しない者よりも、相手と相互作用、コ ミュニケーションを取った場合に、相手のことがより近く、ウェットに感じられる。

あるいは、思考上、近い概念や意味同士は、互いにウェットな関係にあると考えられる。すなわち、ニューロンの発火伝播上、互いに近い伝播位置上にある ニューロンに対応する概念、意味同士はウェットな関係にある。あるいは、複数のニューロンが同時に発火することで、互いの間に結合関係を作る場合も、それ ぞれのニューロンに対応する概念、意味同士がウェットな関係にある。この場合、ニューロン同士が、発火伝播上、互いに密接に関係・連絡し合うウェットな関 係にあると言える。

上記の他、視聴覚(視覚的な位置、音程等)において、

(1)上、高い物はドライ。 下、低い物はウェット。
(2)淡い、低密度の物はドライ。濃 い、高密度の物はウェット。
(3)離散量、ディジタルな物は ドライ、連続量、アナログな物はウェット。

等の関係が成り立つと考えられる。


これと関連して、ターゲットがはっきり明瞭に、輪郭がくっきりして見える、聞こえるとドライに、ぼんやり不明瞭に霞んで見える、聞こえるとウェッ トに感じられると考えられる。

知覚面で、ターゲットが、周囲から明確に切り離されて見える、聞こえる場合、ドライと感じられ、切れ目が曖昧で連続してつながっているように見える、聞こ える場合、ウェットと感じられると考えられる。

空に見える月が、冬の晴天とかではっきり明瞭に見えるとドライに、春霞とか曇天でおぼろげに霞んで見えるとウェットに感じられる。

一方、目に見えたり、耳で聞こえたりするターゲットの速度が気体分子同様に高速だとドライに、液体分子同様に低速だとウェットに感じられると考えら れる。

高速で飛ぶ弾丸はドライに、低速でゆっくり動くかたつむりはウェットに感じられる。
あるいは、速い曲や演奏はドライに、ゆっくり遅い曲や演奏はウェットに感じられる。



2005-2008 大塚いわお

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