日本女性の経済的自立について


(c)1999.8  大塚いわお

日本において、女性の経済的自立が達成されていないと言われてきた。収入を得るのが専ら男性で、女性は収入を自ら得る機会が閉ざされており、その点女性は差別されている、とされてきた。 。

しかし、実際には、必ずしも収入を得ることが、経済的自立につながらないと言えるのではないか?いくら、収入を得る力があっても、その最終的な使い道を自分で決められず、管理者を他において、使い道の決定をその管理者にゆだねているのであれば、彼は、管理者に経済的に従属しており、自立していない、と考えられないであろうか?

日本の女性は、自分は収入を得なくても、収入供給源となる男性の動作をコントロールする主体として現れることにより、家庭における経済活動の主体であることで、自立を果たしているのではないか?

日本の女性は、収入供給者たる男性に対するコントロールを、隅々まで行き届かせている、と考えられる。日本の女性は、収入供給者のメンテナンス(世話)~収入供給者への指示(よく働いてきなさいと命令)を行う管理者(収入管理者、家庭内管理職)としての役割を果たしている。男性は自分が稼いできた収入を管理する権限を持ち合わせていない。給料袋の中身は手を付けずに女性のもとに直行する。そういう意味では、家庭における経済行為の主体は、決定権を持つ女性であり、その主体たる女性こそが、経済的に自立しているといえる。

女性(妻)から小遣いを配給される(家計上の最終決定権を持たない)男性(夫)は、経済的には女性の従属者(女性の配分決定に従うだけ)であり、自立しているとは言えない。

以上の女性と男性との関係は、大工道具(男性に当たる)と棟梁(女性に当たる)との関係と同じである。 経済的主体は、管理者たる棟梁であり、大工道具はその従属物(自らは経済的に主体性を持てない)に過ぎない。これを男女の関係に当てはめて考えると、経済的主体は、管理者である女性であり、男性はその従属物(主体性がない)ということになる。 ただし、大工道具がないと棟梁は生活の手段を奪われるため、生活できなくなる恐れがあり、その意味で、道具に頼りきることはリスキーである。 それと同様に、収入を生み出す打出の小槌である男性がいなくなると、女性は、収入をもたらしてくれる生活の手段がなくなるため、管理者としての手腕がいくらあったとしても、そのままでは自活できなくなる。

収入供給者たる男性が都合で(死別、離婚など)いなくなったときに自活できるようにすることを求めるのが、日本における女性のいわゆる「経済的自立」への動機である。

こうした、女性の「経済的自立」は、あくまで、収入保険としての意味合いが強い。たいていの場合は、男性は定年までは生きつづけるので、収入は確保されることがほとんどであり、女性の収入管理者としての地位は安泰である。家庭に収入を入れる者がいる限り、女性は、収入の使い道を最終的に決定する家計管理者としての地位を確保できるので、自ら収入を得ることの必要ないしプレッシャーは弱い。収入供給者側の世界への進出は進みにくい。これが、日本で女性のいわゆる社会進出が遅れる一つの理由であると考えられる。

収入供給者(男性)のたまり場たる官庁・企業における生存環境が厳しいのは、家庭における管理者(女性)による収奪(給与を男性から取り上げて自分の配下に置くとともに、よりよい収入高を求めてのプレッシャーを男性に対してかけつづける)が激しいから、と考えられる。男性は、稼いでこないと、もっと稼いでこいという批判やプレッシャーを女性から受ける。男性は、生活面で女性に全面的に依存している(一人で生活して行けない、自分自身の生活の面倒を見ることができない、生殺与奪を握られている)ので、働くのがいやと断れない。男性は、その結果、全力投球で働かざるを得ない 。そのことが、男性の家庭内での不在をもたらし、家庭内の居場所がなくなり、存在感がますます薄くなるという悪循環に陥る。

女性が、男性に比べて、パートタイマーのような補助的な仕事にしかつかない(つけない)というのも、家庭における、収入・支出額のコントロールを含めた、総合的な「管理職」の仕事が女性の本分であり、最も重要な主たる任務であり、それをおろそかにしてもらっては困る、という社会の要請があったからである、と考えられる。家庭が、社会全体の「(航空)母艦」としての役割を果たしている(いた)ことと関係がある。

現代日本の女性が、自ら収入を得る立場につこうとするのは、

(1)男性と一緒でなく、一人で生活する自由を確保したい(ないし、一人で生活することになっても困らないようにしたい)、という傾向による。従来の、収入管理者としての職務を遂行するには、生活面で、男性との二人三脚が必須(男性と一緒に生活することが必須)であったのを、忌避する。すなわち、男性がいなくても、収入面で困ることがないようにしたい、と考えるためである。なぜ、そのような考えが生まれるのであろうか?

日本の男性は、(農耕社会においては、弱者の立場にあるため)女性に対して生活面で依存的であり、食事、入浴など生活上のさまざまな面で、いろいろ女性に世話をしてもらうことを要求するのを当然とする気風があるため、それが(生活面で自立を果たしている)女性には、うっとうしく、煩わしく感じられる。そこで、男性と一緒でなくて、一人でいる場合でも、十分な収入を得られるようになる状況を予め確保することで、心理的に男性から自由になること、を望む。これは、社会における待遇面での男女平等、すなわち社会的負担の大きさにおける男女格差(女性の方が、社会的に強い分、負担も大きい)をなくそう、という考えにもつながっている。

(2)「家庭内管理職」の職務が、電化製品やコンピュータの普及、ないし子育ての保育園~学校への委託、すなわち、家事・育児の「アウトソーシング」化、により簡易化され、時間的な余裕が生まれたので、その分を、自らの生きがいとなることをしたり、探したりすることに充当したい、という考えによる。収入を得る仕事自体が、自分自身にとって、生きがいを生み出す、積極的な意味合いを持つものとして感じられるから、仕事をしたい(その結果として、収入を得たい)と考える。

今後、女性の、自ら収入を得たいという傾向は、一層強まると考えられるので、その点、今まで主婦が担ってきた、社会の「母艦」的役割(食事、洗濯、育児..など家族の面倒を見る機能の負担)を、公共的な役割を担う機関に「アウトソーシング」(外部委託)することが普通になるようにする体制を整えることが、より必要となる。



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