反対色としての黒と白と人種差別

2006.02 大塚いわお


[要旨]

今まで、白人による黒人差別と支配が続き、問題となってきた。人種差別をなくそうという声が多く聞かれる。

しかし、人間の視覚においては、黒と白とは互いに反対色であり、対立する、違和感の大きい概念である。この違和感、対立感が、相手の肌を見る度に黒人と白人との間に強く生まれており、それゆえ人種差別はなくすのは無理なのではないか。

むしろ黒人、白人間の互いの対立、差別感情の発生を前提としながら、黒人も白人も互いに不当に損をしない社会システムを組むべきだと考える。


黒人と白人は仲が悪い。

歴史上、あるいは現在に至るまで、白人による黒人差別が続き、批判されている。

白人による黒人差別が問題なのは、白人たちが、自分たちの社会的、技術的優位を使って、黒人を支配下に置いて、人間扱いせず、奴隷としてこき使ってきた歴史があるからである。

ただ、白人が黒人を人間扱いしなかったのは、白人が、黒人を知覚する際に、非常に大きな違和感、異質感(自分たちとは違う、異質だ)を感じているというのもあると考えられる。

というのも、人間の知覚において、黒と白は、反対色である。囲碁やオセロといったゲームでは、黒と白が互いに戦うようになっている。

黒と白は、人間の知覚では、互いに大きく異質であり、相反する。対立する。

人間の肌の色の違いは、人間の知覚において、他の背丈などの違いよりも、大きな比重を占めていると考えられる。

黒人と白人は、肌の色が互いに反対で、対立しているため、人間の知覚においても、互いに相反する、仲の悪いものとして捉えられているのである。

白人が黒人を差別することが専らクローズアップされてきたが、本当は、黒人も白人のことを、肌の色の違いから、同じくらい気持ち悪い、異質だと思い、差別していると考えられる。

黒人が、今の白人と同じ地位にあったら、多分白人を、肌の色についての違和感から、今まで白人が黒人にしているのと同じ位、人間扱いしなかったと考えられる。

白人が黒人に違和感を感じ、差別するのは当然である。反対に、黒人が白人に違和感を感じ、差別するのも当然である。黒と白は、人間にとって、反対の概念だからである。

黒と白が人間にとって反対色と知覚される限りは、黒人と白人も互いに対立したものとして捉えられ続け、人種問題は解決しないのではないか。

(ついでに言えば、黄色と黒も、反対に近い。例えば、鉄道踏み切り警報機の棒が、黄色と黒色の縞模様で表されているが、これを見ると、黄色と黒も対立感が強い。)



しかし、黒人と白人とは、皮膚の色が違うからといって、遺伝的に実はそれほど離れていないのではないかとも考えられる。

人間の知覚においては、視覚が大きな比重を占めており、色の違いについての比重が重い。そこでの反対色が、白人と黒人を、まるで、正反対の人種であるかのように、思わせているのである。

しかし、同じ皮膚色の同士よりも互いに遺伝的に近い、黒人と白人同士も結構いるのではないか。

例えば、背丈の小さい白人と背丈の大きい白人との間よりも、背丈の同じ小さい同士の白人と黒人の方が、遺伝的に近いかも知れない。皮膚の色は、目立つけど、遺伝的にはそれほどの違いをもたらさず、むしろ、背丈とか、筋肉質である度合いとか、性格の温和さなどの方が、遺伝的に大きな役割を果たしているのかも知れない。

あるいは、考えが進歩的な白人は、保守的な白人の相手より、進歩的な黒人と一緒にいた方が互いに話が合って、楽しいということもあるのではないか。

農耕民の白人と黒人同士の方が、農耕民の白人と遊牧民の白人との間よりも、生活様式が近く、互いに共感しやすいとも考えられる。

その点、白人、黒人といった皮膚の色で差をやたらと設けることは、あまり意味がない、賢くないのかも知れない。

ただ、人間の知覚において、視覚が大きな比重を占めている限り、肌の色が反対であることが、黒人と白人との双方に、相手について大きな違和感、不快感をもたらす状況は変わりないと思われる。白人の黒人に対する、あるいは黒人の白人に対する差別感情は、黒と白が反対色である限り、なくならないと考えられる。

肌の色での人種差別をなくそうというのは、理想論としては、きれいだが、多分実現は不可能で、今後も、白人と黒人の両者は、互いに相手に対して知覚上の違和感を抱いたまま、対立し続けるのではあるまいか。むしろ、互いに対立する、仲が悪いままであることを前提として、人権等に関する社会システムを組むべきであろう。


2006 大塚いわお

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