きつい社会、ゆるい社会
-ゆとり嫌い、詰め込み主義の日本人-

2005.8-2008.4 大塚いわお


世界の社会は、大きく分けて、制約、制限や束縛の大きい、成員締め上げのきつい(tight)社会と、ゆるい、リラックスした(loose、relaxed)社会があると考えられる。

日本社会は、どちらかと言えば、明らかに「きつい」タイプの社会であると言える。

日本の学校や、官庁、企業においては、部下や生徒をきつく締め上げるほど、よい成果を出す、よい仕事をすると考える風潮がある。 日本社会では、部下や生徒に対して、制約、制限をきつくするとか、何かとうるさく、うっとうしく命令、干渉を加えるといったような、厳しい規律が支配する組織が幅を利かせている。こうした「軍隊型」の社会は、軍隊以外の学校、企業、官庁で普通に見られる。例えば、生徒の細々とした日常生活まで立ち入って規制するのが日本の学校の校則である。

日本人は、干渉、束縛への指向が強い、「きつい」「軍隊のような厳しい規律が好きな」人が多いと言える。

相手のことを、叱って萎縮させたり、いじめたり、きっちり管理、訓練、叩き上げ、拘束、搾取することが望ましいと考えられている。

相手を遊びや逃げ場がなくなるようにきっちり管理し、行動を制限することが良いことだと考えられ、「自由は悪、規制、制限が善」「余裕、ゆとりは悪、締め上げ、締め付けが善」と考えられている。例えば、文部科学省の唱えた「ゆとり教育」に対して、財界から強い不満が出たのも、きつきつに子供や部下を縛らないと勉強しないとか、子供や部下を遊ばせていては駄目、束縛なくフリーなのは駄目という考えが根底にある。

きつい社会においては、人は、絶えず、統制、統率、制限をしていないと、自由にすると勝手なことをして、遊んで、機能的に有効な働きをしなくなるという考え方が根底にある。それは、外的統率がなくても、各自が自律的に、各自の判断でその都度機能的に有効な行動をするものだという考え方とは、逆である。

部下や生徒に何かをさせるのに、目標だけ設定して、後は本人の自由にやらせる、遊ばせる、本人をできるだけ褒めて、伸ばして、余り介入せず、単独行動を許すという、規制の「ゆるい」タイプの社会とは逆のことが日本で起こっている。

日本では、絶えず、皆集団で、皆一緒に、連帯、統率行動を取るのが好まれる。オフィスの居住空間や、通勤、住居などにおいて、高密度で、ぎっしり居住するのが好まれ、空間的余裕、遊びが存在しない。また、一人だけ、別の行動を取ることが許されず、絶えず行動を周囲の皆と合わせなければいけない息苦しい雰囲気が存在する。また、工場やオフィスで、何かと合理化が叫ばれ、無駄を少しでも無くそうとする考えが行き渡っている。

このように、社会に、「余裕」や「ゆとり」が存在しないのが、「きつい」日本社会の特徴である。



日本人は、常に何かしていないと気が済まない人が多い。会社で休暇を取ることが悪いことであるとする考えが広く行き渡っており、休みを嫌う。

こうした「きつさ」を至上とする考えが広まった理由としては、日本が、フィリピンやベトナムみたいに、寝ていても食に困らない常夏の社会ではないことがあげられる。日本では、秋が過ぎると、寒く凍える冬がやってくる。春夏秋冬の季節の移ろいは1年に1回きりであり、そのため、稲作(や畑作)は、1年に付き1回きりの勝負で必ず結果を出さないといけない。失敗すると飢饉が待っており、その点、確実に成功することが求められ、精神的に余裕がない。また、田植え、除草等、精神的、身体的に負担のかかる作業が連続する。


日本社会が「きつい社会」となっているのは、以下のような余裕やゆとりが、社会から失われているからだと考えられる。

(1)気持ちのゆとりの欠如

日本では、仕事でも、勉強でも、楽することは悪だ、楽しさは悪だという考えが根底にある。楽しくない、辛い、苦痛な作業に耐え続けることが、いつの間にか自己目的化し、良いことだと考えるようになり、作業の苦痛、辛さへの忍耐が、マゾヒスティックな快感へと転化していると言える。「不楽の楽化」が生じている。楽することは悪とする考えとの関連で、仕事を休むことは悪であり、毎日這ってでも出社すること、休日出勤をすることが推奨される。その点、精神的に貧乏性であり、絶えず、何かに追いまくられる感じで過ごす羽目になる。こうした精神的ゆとりの欠如が、皮肉にも、日本人に勤勉さや高い生産性をもたらしているといえる。


(2)空間的ゆとりの欠如

日本では、空間的に空きがあることは好ましくなく、少しでも詰めようとする考え方がある。首都圏での生活では、通勤において、満員電車に長時間揺られることを何とも思わなかったり、高密度に密集した住宅(「ウサギ小屋」と欧米から揶揄されている)に住むことが平気である。過密都市が好きであり、空間の空き、ゆとりを嫌う。広域分散型社会に反対する。

(3)時間的ゆとりの欠如

日本では、会社業務スケジュールや教育スケジュールにおいて、スケジュールを詰め込みできつきつにするのが好まれる。少しでもスケジュールに空いているところがあれば、すぐにぎゅうぎゅうに詰め込む。計画で予定をがんじがらめにすることが好まれる。あるいは、予定がスケジュールで一杯で忙しいことが良いことだと考える風潮がある。

(4)個人的ゆとりの欠如

日本では、個人が一人で単独でいることが悪とされ、絶えず周囲の皆と歩調を合わせて一緒に行動することが善とされる。その点、日本人は、周囲とのきつきつの相互牽制の中で生きている。周囲との間で、抜きつ抜かれつの追い抜き競争が起きており、周囲から一人置いて行かれないように、必死になって付いていくしかない。また、大部屋で皆と隔てなく一緒にいるのが望ましいとされ、個人のプライバシーの確保は、きつく規制される。そうした点で、個人的なゆとりの確保が困難である。

(5)教育のゆとりの欠如

日本の教育は、とかく、なるべく多くの知識をぎゅうぎゅうに生徒や学生の頭に詰め込む方向へと傾きがちである。いわゆる「詰め込み主義教育」が、表面的には批判されながらも、日本人の心の奥底では肯定的に受け入れられている。学力とは身につけた知識の量や細かさで決まるみたいな考えがあり、高所に立った、幅広い見方ができるゆとりある思考判断力とかが軽んじられやすい。

上記のような意味では、日本社会は、教育に限らず、とかく物事全般において、空きや隙間を嫌い、詰め込みが好きな、「詰め込み主義の社会」であるとも言える。日本人は皆揃って「詰め込み主義者crammer」なのである。この詰め込み好きが、例えば、高い部品精度、実装密度を誇る、半導体製品、精密機器を生産する高い能力を、日本人に与えているとも言える。


それでは、日本とは対照的な、個人主義、自由主義といったドライなしくみを持つ欧米社会は、きつくないかと言うと、そうとは言えない。

欧米社会は、成員個々人が、自律的にバラバラに自由に動ける、広域分散型の社会であり、そういう点では、日本に比べ、ゆるく、リラックスした感じがある。しかし、各人が、仕事で、成果や儲けを、素早くきっちり出すことが絶えず求められ、成果を出せないと、会社とかから即刻解雇されてしまう。また、成員間での自由競争が激しく、少しでも気をゆるめるとたちまち弱肉強食の餌食となって、敗者となってしまう。

これは、日本みたいな隙間ないぎゅうぎゅう詰めを好む、窒息感、閉塞感のある「ウェットなきつさ」とは異なり、隙間や開放感はあるが、自分の能力を絶えず限界まで伸ばしきらないと生きていけない点、余裕がなく、また、互いにバラバラで冷淡で、自助が基本の(他者に助けを求めるのが難しい)「ドライなきつさ」と言える。こうしたドライなきつさは、遊牧、牧畜民族が生きる砂漠的、草原的厳しさとも言える。



社会がきついということは、生きていく上でストレスが多く、自殺が多いことにつながる。日本で自殺が多いのもこの点と関連していると言える。

日本の会社の上司、学校の教師は、部下や生徒をきつく絞る、縛るのを好む。あるいは、会社や学校は、鍛練の場、精神修養や根性を叩き直す場として捉えられ、きつさ、しんどさを肯定し、前提として動かされている。

また、会社の経営層において、社員の会社への貢献度を、彼が会社のために払った犠牲の大きさで計ることが行われている。休日出勤の回数のように、当人が本来したいことを我慢した度合いが評価の尺度となっている。社員個人への制約、束縛の大きさが、その社員の会社への貢献度の向上と比例する形でつながると考える風潮がある。

このように、人をきつく絞ることと、人をいじめることとは関連がある。きつい社会では、いじめが多い、あるいは人をいじめるのが好きな人が多いと考えられる。この場合、まず、人をきつく縛り上げること自体がすなわち、いじめにつながるというように考えられる。また、成員がきつく縛られることで生じるストレスを発散するため、他者をうっぷん晴らしの標的とすることが新たないじめの発生につながっている。


また、日本のようなきつい社会では、性格のきつい人が多いと考えられる。きつい性格の人は、以下のような特徴を持っていると考えられる。

[1.束縛、規制]
人をきつく束縛し、自由やゆとりを与えない。
遊びを嫌う。
人を締め上げる、締め付けるのを好む。
規則、規制、制限が好きである。


[2.無理の強制]
人に無理をさせる。
人を厳しく責め立てる。
人をぎりぎりまで追い詰める。
人をしごくのを好む。


[3.要求水準の高さ]
要求が多い。要求水準が高い。なかなか満足しない。


[4.緊張、厳格]
厳格すぎる。真面目すぎる。
いつも緊張している。しかめっ面をしている。


[5.いじめ、攻撃]
人をいじめるのを好む。
攻撃的である。


[6.高圧的]
人に命令する、人を支配するのを好む。人に自分の言うことを聞かせたがる。
人に対して譲らない。自分の都合を最優先で、相手を押し退ける。
人に対して謝らない。自分が常に正しいと思う。
気が強い。押し出しが強い。高圧的である。強制的である。


[7.禁止、否定]
禁止するのが好きである。なかなか許可しない。人を封じるのが好きである。
物の見方が否定的である。物事を悪い方に考える。悲観的である。
人のことを否定する、拒絶する。人を認めない。


[8.無配慮]
人の気持ちを配慮しない。思ったことをずけずけ言って、人を傷つける。人を辛辣に批判する。


こうしたきつい性格や言動をする人が、日本社会には、他のよりゆるい社会に比べてより多く存在すると考えられる。また、こうしたきつい性格や言動の人が、日本社会では、会社や官庁、学校の上層部に、そうでない人よりもより昇進しやすい傾向があると考えられる。


以上、まとめると、日本社会は、精神的ゆとりの欠如した、きつい社会、あるいはそうしたきつさを肯定的に受け入れている社会であると言える。

従来の日本人論によく見られるような、「日本人が和合を好む穏やかな民族である」という言説は、今まで述べてきた、一見した穏やかさの背後に潜む日本人の持つ精神的きつさを押し隠すための策略なのかも知れない。

あるいは、先の太平洋戦争で、数々の残虐な行動を引き起こした日本軍の行動様式も、上記のような「きつさ」「精神的余裕の無さ」をもとに分析できると考えられる。そして、そうした「きつさ」は、時を超えて、現在の日本の学校や企業、官庁に脈々と受け継がれているとも考えられる。現在でも、日本の学校、企業、官庁はきつい組織であり、成員はそうしたきつさがもたらすストレスに絶えず苦しめられつつ、一方ではそれを「自己鍛練に結びつく」として、肯定的に受け入れている。

こうしたきつさの肯定の背後には、「人間は、そのまま自由に放任させておくと、サボって、自分勝手なことをして、社会的に何ら有効な貢献をしない」「人間は、厳格に規制しないと、駄目になる」という、自由への恐怖、リラックスすることを否定するウェットな規制指向の気持ちが存在すると考えられる。

無論、社会は、ある程度きつくないと、人々に勤勉さとかが生まれず、高い生産性を持てないため、大国になれないというのはある。しかし、それも程度問題で、余りにきつい社会というのはやはり考えものである。

今後は、社会でストレスがもたらすいじめや自殺への対策のために、こうした日本社会のきつさをいくらかでも低減していく「社会をリラックスさせる運動」が必要になるのではないか?


2005.8 大塚いわお

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