同期社会について
-女性社会、日本社会の特徴-

2005.8 大塚いわお


[要約]

日本の人々ないし女性たちは、理論、学説、思想自体に興味があるのではなく、思想自体はどうでもいいと心の奥底では思っている。むしろ、同じ思想、理論を周囲の仲間と同時に一斉に共有することで、仲間意識や一体感を得ること、楽しむことが本当の目的であり、思想信仰はそのための単なる手段に過ぎない。この、周囲とのウェットで母性的な一体感を保持するために、同時に一斉に周囲と思想や話題を同期して共有することを指向する日本のような社会を、ここでは「同期社会」と名付けている。


(1)同期社会について

何のために情報を得るかについて、男性と女性とでは、その目的がかなり異なっていると考えられる。男性の場合、何らかの目標達成のための手段として、あるいは正確な情報を得ることに重点が置かれるのに対して、女性の場合、むしろ、他者と情報を共有して、同じ会話の輪の中に加わることが目的となることが多いと考えられる。

女性たちは、テレビを見るのでも、友人たちと同じ番組を見て、友人たちとの会話の輪に一緒に加わることができるようにするため、見るのである。要は、情報を得ること自体が目的ではなく、共通の同じ情報で、仲間たちと盛り上がるため、仲間たちとのウェットな一体感を楽しむために、同じテレビの番組を見るのである。その場合、内容自体は二の次であって、情報は、仲間意識高揚のダシに過ぎない。

これは、情報取得だけでなく、一般的な物品の購買、消費行動にも当てはまることである。彼女らは、周囲に仲間に入れてもらうために、あるいは、友達との会話に参加するために、同じ店に行くとか、同じ物を買うとか、いった、共通の同じ消費経験をする。生活、消費のあり方を周囲に合わせないといけない。そのために、周囲と同じレベルのお金がかかる。

これは、一人で周囲とは違う目新しい体験をしようとする、ドライで男性的な行き方とは対照的である。

これは、思想の信奉においてもそうである。

例えば、父権の強い欧米社会が日本にもたらしたジェンダーフリーの思想は、男らしさでも女らしさでもない「自分らしさ」の確立をモットーにしている。他者との差異、違いを強調し、他者との互いのウェットな一体感、同調感の喪失につながるものであり、各人に、ドライでバラバラな個人主義を押しつけるものとなっている。これは、スタンダードが男性であり、女性を男性化する戦略の一つであり、女性の力を弱くするものである。

日本のインテリ女性はそれに気づかず、性差別を無くして自分たちに有利な社会にしよう、ジェンダーフリーの思想を信奉すればそうなるんだと短絡的に信じて頑張っているのが実情である。

この場合、日本の女性たちは、ジェンダーフリーの思想の中身が、自分たちにとって有害だと気づいていないのであるが、もう一方では、いくら思想を摂取しても、そもそも有害にならないのだという見方も可能である。それはなぜかと言えば、彼女らにとって、母性的な一体感高揚と対極的な、ドライな男性中心の内容の欧米思想は、仲間同士のウェットな一体感を強める、共有するための単なるダシに過ぎないからである。

日本のインテリ女性たちは、、皆共同で、一緒にドライな父権的思想を共有しているのであるが、実は、思想を、互いに同じ考えを共有して、互いの結束を強め、母性的なウェットな一体感に浸ること自体が楽しいというか喜びになっている。思想の中身は実は何でも良いのであって、ではなぜ欧米由来の思想にするかと言えば、それが先進的で何かカッコいいから真似しようと思っているだけであり、それ以上の深い考えは持ち合わせていない。

欧米由来の考えを自分たちに本気で当てはめると自分たちには有害だというのはどうでもいいのである。その思想を、仲間で一緒にマスターして互いの結束を強め、盛り上がろうとするのであり、仲間同士の一体感、同一感が欲しいというのが、そうした思想習得の真の隠れた目的なのである。

日本の女性たちにおいては、仲間とウェットな一体感を共有するために、ドライな思想を一緒に一生懸命共同学習するという、逆説的な現象が起きている。

なぜ欧米由来の思想を習得するかについても、それは、先進的で良好なイメージのある欧米思想を持っていることで、仲間内で優位に立ちたいという皮算用があるからである。要は、彼女たちにとって、欧米思想は、仲間内で権威者として優位に立つためのダシに過ぎない。

ドライな父権思想が、日本女性には、有害ではない(堪えない)のは、彼女たちにとって、思想、学説は、単なる仲間意識高揚とのための道具、手段に過ぎないからであり、思想の中身は実はどうてもよくて、その時々に合ったお題目をでっちあげているだけなのである。

まとめると、彼女たちは、他者と一緒に動くこと、他者との同期を取ることに夢中であり、その時々で、他者と一体感を共有できる先進思想に次々と乗り換えるのである。その際、思想自体はどうでもよい、思想は何でもよいのであって、その時々で、周囲と一緒の思想を持っていること自体が大事なのである。周囲と思想の同期を取ることが本当の目的なのである。この点、日本のインテリ女性は、周囲との同期を取ることを重んじる「同期社会」(synchronous society)の一員として行動しているのである。こうした成員間の同期を重んじる考え方は、「同期主義」(synchronism)と呼べる。

そして、この「同期社会」は、ウェットな母性的な日本社会の特徴でもある。

日本のようなウェットな人々は、理論、学説、思想自体に興味があるのではなく、思想自体はどうでもいいと心の奥底では思っている。むしろ、同じ思想、理論を周囲の仲間と共有することで、仲間意識や一体感を得ること、楽しむことが本当の目的であり、思想信仰はそのための単なる手段に過ぎない。同じ思想を共有することで、一体感や縁故感といった、ウェットで母性的な感覚を享受するのが、本来客観的なドライな学説検証を旨としているはずの、日本の科学者、研究者や彼らの作る学界の真の隠れた目的となっている。

要は、同じ学説を信じる仲間同士になることが最終目的なのであり、学説は、「共同信仰」の対象なのである。そして、同じ学説を信じる者同士(これは、師弟関係にある者同士が多い)が、徒党を組んで、派閥を形成し、相互の一体感や縁故感を楽しむのが、真の隠れた目的と化している。要は、日本人の科学者、研究者にとって、学説や科学的理論は、相互の一体感を得る、同じ学説信仰集団に所属することを楽しむという最終目的実現のためのダシに過ぎないのである。

また、この場合、自分が同じ学説や科学的理論を信奉するかどうかで、学説信仰集団に受け入れてもらえるかどうか決まる。そういう点では、客観的な分析対象となるべき学説や科学的理論が、信仰の踏み絵として、本来から想定外の使われ方をしている。自分の入りたい有力派閥に継続的に受け入れてもらうために、その派閥御用達の学説や科学的理論を自分も信奉するという、本末転倒の事態が起きている。

これが、日本の学界が、ドライな欧米に比べて、理論的に劣る真の理由である。

あるいは、日本のキリスト教信者においても、ドライなキリスト教思想それ自体を信じているというよりは、思想を「仲間と、周囲の皆と一緒に信じる」ことが重要なのである。「皆と一緒」の方に強調のアクセントが来る。



「同期社会」とは、皆が一斉に同じ行動をとる社会、皆が一斉に同じ思想を信奉して、互いの一体感を高揚させること自体を目的とする社会であるといえる。要は、自分たち仲良し集団維持のために、その時々で同一の思想を皆で共有することで、思想を仲良し集団維持の手段として用いる社会である。

その際、互いに、周囲と一体感を持とうとして、同じ話題、思想信条に一斉に皆が集まって、ワッとブームになる。その話題、思想信条の中身は、あまり問われることがない。同じ思想信条を皆が一斉に同時に持ち合って、相互のウェットな一体感を高めて盛り上がろうというのが最終目的だからである。この点は、日本のような同期社会が基本的に無思想で、その場その場で行き当たりばったりの施策を取りがちな理由にもなっている。

皆が集まってブームになった話題にそのうち飽きてくると、次の話題に皆一斉に、集中豪雨的に乗り換えて、それがまたブームになる、ということの繰り返しである。そういう点では、皆が一斉に信奉する思想の内容は、一つに固定されることがなく、絶えず捉えどころなく変化し続けると言える。

皆一斉の同期行動が、ウェットな相互一体感を好む人々にとっては、互いの一体感を保持し続けるために必須である。

一つの話題ないし思想への皆の一斉の一極集中と、それに飽きたら、別の話題、思想へと次々と一斉に乗り換えていくことが、同期社会の成員の特徴である。

その際、ウェットな同期社会の面々は、皆、今どこに人が集まっているか、集まりかけているかに敏感であり、自分も話題に乗り遅れないために、皆と一緒になるために、そこに行こうとする。そして、ひとたび人が集まり出すと、雪だるま式に、同じ話題の共有者、同調者が増えていくのである。

「その時々における話題の共有」とそれに基づく「相互一体感の獲得、維持」が、ウェットな同期社会の最終目的である。話題については、共有それ自体が目的であり、話題の細かい中身はどうでもよい。 話題のイメージというか、見た目のかっこよさ、先進性が重要なのである。要は、その話題を自分が身につけた、まとった時の他者に与える印象の善し悪しを計算高く算出しているのであり、他者に与える印象をよくして、より優位に立つことが重要なのである。

「同期社会」では、皆が同期する話題で皆に先んじる、話題を先人を切って出すのが、同期社会の上位者、リーダー役であり、その地位が高い。

彼ら、リーダー役は、他の皆よりも、一歩だけ新しい話題を知っている。その際、あまり話題の内容が先走ったものだと、他の皆が付いてこれない。皆が付いてこれて、なおかつ皆がまだ知らない内容を出せるのが、同期社会の理想的なリーダーである。

この場合、「先進的な」新しい話題は、日本のようなウェットな社会では出にくく、欧米のようなドライな社会での新発見、新潮流を、先進的な話題として取り入れることになり、そうした先進的な話題に詳しいことが、日本のような同期社会のリーダーに求められる。


何をするにも皆一緒の「同期社会」での話題消費は次のような順序で行われていると考えられる。

(1)リーダーが次の新しい話題を振る。
(2)皆が一斉に新しい話題に食いつく。つい先ほどの以前の話題を捨て去る。
(3)しばらく、その話題で、皆で集中豪雨的に盛り上がる。ブーム、流行に乗った形で、話題の消費が行われる。
(4)皆、その話題に飽きてくる。→(1)へ。


同期社会の立役者は、相互の親密な一体感を重んじる女性や、その影響力が大きい日本のような農耕社会の成員である。相互の一体感を重んじる点、同期社会は、ウェットな社会であるとも言える。


(2)同期意識について

日本のような同期社会においては、同じタイミングで組織に加入した者同士は、例え無関係な他人同士であっても、同じタイミングで組織の中に生まれた、家族同様の仲間であり、互いに仲良く連帯して、行動を合わせるべきであり、同一の格差ない待遇をずっと受けるべきであるという考え方が根強い。これは、「同期意識」(conciousness of synchronicity)という言葉で呼べる。

そこには、毎年4月の時期的に同時に同じタイミングで、皆一斉に学校、官庁、企業といった組織に「新入り」することが想定されている。「時期・時間的同期性」が重要である。

同じタイミングで組織に新たに加入した「同期者」同士には、画一的、同一で横並びのウェットな処遇をすることが心の奥底で求められている。なので、同期者同士の間で、給料や昇進で差が付くと、遅れた者はショックを受け、差を縮める、埋めるべく、努力し競争をする。これは、自由競争ではなく、画一化に向かう、「同調競争」である。

同期者同士は、もともと、赤の他人である、非血縁者であるにも関わらず、互いに、親密で一体感があり、慣れ慣れしく、互いに一致団結し、同調する。こうしたウェットな一体感は、同時期に同一の内集団(ウチ)に入った者同士の間のみに芽生えるものである。


内集団は、通常は、学校、官庁、企業などが想定されるが、場合によっては、家族・親戚ネットワークや、集落のような地域コミュニティも想定される。あるいは、日本社会全体を、巨大な内集団と捉えた場合、同じ生年、同じ学年の(だった)者同士は、ある程度強い同期意識を持っていると言える。

この同期意識は、一緒に所属する内集団以外のヨソ者との間には生じない。同じ集団に一緒に同時に加入したという点が、同期意識の発生にとって重要である。

また、加入する集団に対して、互いに白紙状態であること、他集団の色に染まっていないことが、同期意識を生み出す上での条件である。要は、互いに同じタイミングで、加入組織の色に段々と同じように染まっていくこと、色の同期を取ることが、同じ内集団に同時に加入したことを表す印として重要である。

なお、この同期意識は、先輩・後輩関係ないし年功序列関係と深い結びつきがある。

要は、後のタイミングで組織に入った者(後輩)は、前のタイミングで入った者(先輩)よりも、下の待遇をずっと受けるべきとする考え方である。あるいは、後輩が、処遇(組織内の地位とか)で、先輩を追い抜くことがないというものである。これは、日本の官庁で典型的に見られる。

同期処遇が、同じ時期に内集団に加入した者同士の間で、処遇が横並びになると共に、その横並びのスライスが、平行状態を保ったまま、加入年度順に、下から順々に地層のように平行に積み上がっていき、上の層の先輩は、下の層の後輩よりも互いに同期して横並びでより上の待遇を得るというのが、同期社会における成員処遇のあり方の特徴である。

こうした同期意識は、稲作農耕との関連で、稲穂とか毎年一斉に発芽、成長し、同じ時期に刈り取られる、収穫されるのと同じである。要は、農作物は、一年単位で管理、成長していくものであり、それが人間関係になぞられられているのが、同期意識であると考えられる。

同期意識のもう一つの源は、社会における前例、しきたり重視の指向である。前例をより豊富に持つ先輩が、そうでない後輩よりもいつも上位であるという考えに基づいている。また、毎年同じタイミングで、学校に入り、同じ授業を一斉に受けることで、前例、しきたりの頭の中への蓄積が、各学年ごとに揃っている、同期しているという考え方に基づいているとも言える。


2005.8 大塚いわお

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