○社会的合意は、個人の心理を超えているか?

よく駅構内の禁煙コーナーとかは、社会的合意に基づいて設置されたものであり、その社会的合意は、個人に還元し得ない集団的なものだという言い方がよくなされる。

しかしこの伝統的な社会学的考え方では、駅ホームでの禁煙マナーは、駅を所有する鉄道会社の駅環境整備担当部署の社員たち個々人の「駅構内は禁煙にしよう」という意思決定などとは無関係に、より超越的な存在の「集団」「社会」がどこからともなく自ら生み出したものということになる。

これについては、そもそも、禁煙ルールでも、最初「喫煙は有害だ」と唱えた少数の医療関係者個々人の説得力のある主張があったから、その主張が有効なアイデアとして、人々の心理に感染して、大多数の人々の心理が受け入れてあまねく広まることで、ルールとして定着したと考えられる。

その点、「喫煙はいけない」というルールは、「社会」が作ったのではなくて、喫煙は有害だという説得力のあるデータを用意した医療関係者個々人がルーツだと言えるのではないか。

ルールは、個人から乖離した「社会」がどこからともなく作るものではなく、個々人の心理を変える、説得力ある主張(これは個人が発想したアイデア)が作るものである。

個々人の心理を説得できなくても、警察とかの強制力で従わせるというのもあるが、これも、警察官僚や巡査まで、警察職員個々人の意思決定へとバラせるはずである。

駅構内での禁煙への集団的合意についても、各個人が、「~して下さい」という鉄道会社側からの依頼内容を、鉄道会社の担当者が作った掲示物を見たり、人から教えてもらって、それに対して個別に了解、賛成、納得しないと合意にならない。

合意とは、個人的な物であり、個人の合意、賛成の合計が、社会的、集団的合意と言える。それが人々全員の何パーセント以上だと合意がなされているということになる。ほとんど、たいていの人が合意、賛成、納得している場合、それが社会的合意となる。

だから、禁煙にしても、人によって、合意していたり、合意していなかったりする。その点、個人の賛成、合意の合計を超えた、超越的な社会的合意があるわけではない。

80%の人が禁煙に合意していると、残り20%の喫煙派の人は、自分は合意していなくても、他の多数の人たちは、禁煙に賛成しているから、人数の面で負ける、不利だと考え、仕方なく従うというのが、この場合の「禁煙について社会的合意がもたらされた」ことの現実であろう。要は、賛成/反対する個別の人間の数の多少とそれがもたらす勝ち負けの問題へと帰着するのであり、各人による、その場での賛成/反対の人数の多さの確認と、それに対する個人レベルでの有利、不利判断へとバラすことができるのである。

だから、社会を支配、コントロールするとされる政府が、上から法律を作っても、多数の人々が、個別に賛成、合意しないと、機能しないし、社会的合意とは言えない。「何かよく分からないが、余所の気に食わない奴らが、変な法律作ってきたぞ。皆で無視、反対しよう。」みたいに捉えられてしまう。これは、企業組織でも同様であり、上部組織が作った規則は必ずしも守られないことが多いのである。

喫煙は体に有害であり、なくした方がいいという考え方が、各個人が絶えず賛成、共有していないと、いくら駅員とかが言っても、駅スペースでの禁煙は成り立たない。



2005-2006 大塚いわお

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