○宗教思想の一種のしての現行社会学

結局、既存の社会学は、個々人の頭、心の中のコンテンツを無視しているため、説得力がないのである。やはり、社会の把握には、個々人にバラして見ないとダメなのではないか?

例えば、会社は、個々の社員がより集まって動かしているのだというのが実感であり、仮に、会社は、個々の社員を超越した「組織」が動かしているのだと言ったら、実感が沸かないと言うか、聞いた人は、そんなの間違っていると思うだろう。ところが、なぜか、同じ個々人の寄せ集めから成る社会については、個々の成員を超越した「社会」自身が自律的に、成員にとって外在的に動いているのだといった言説がまかり通るのである。この場合の「社会」は、宗教の信仰対象となる超越者、神のような存在であり、その点、こうした言説を信じる社会学は、科学というよりは、宗教思想の一種と言える。

なぜ、このような言説がまかり通るかと言えば、それだけ、社会が各成員にとって、思い通りにならない存在であり、かつ、自らの情報処理能力の限界から、その全体像を掴みにくい存在だからだと言える。社会は、複数のバラバラな構成員からなり、互いに他の成員が、自分の意のままにならない存在である。かつ、その意のままにならない存在同士が、複数人で互いに協力して、変転する自然環境下で生き延びるため「団結する」「うまく動く」「機能する」ことが求められるのである。この困難な課題にぶち当たった成員たちは、いつのまにか、各自をうまくまとめてくれる超越者のような存在を想定したくなり、それが「外部社会」という蜃気楼のような実体のない存在だったという落ちが想定されるのである。


2005-2006 大塚いわお

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