◇電動神経系の可能性

1987-2006 大塚いわお


従来の生物~人間の神経系は、温度が生物として存在しうる範囲内にあることや、食糧、酸素などの用意ができている場合に限り、存続可能であった。

それでは、人間向けの環境が激変し、食糧や酸素がなくなった場合、どのように従来人間が生体神経系内に集積してきた知識としてのニューロン回路を存続させればよいか?その答えの一つが、電力で動く、電動神経系に生体神経系のニューロン回路を移行させることである。

この場合、電動神経系は従来、用いられてきたノイマン型コンピュータではなく、電気で動くニューロコンピュータのことを指す。電動神経系においては、その活動のためのエネルギーを電気の形で得ることができれば、神経系を存続させうる。例えば、太陽光や地熱から十分な電気を発電することが可能であれば、電動神経系は、酸素や食糧がなくても容易に維持可能である。

従来、人間の本質は、まずDNA遺伝子の働きによりもたらされる生物である点にある、とされてきた。しかし、筆者は、人間の本質は、 高度な知識や思考を司る高次の神経系システム自体にあるという見方の方がより適切であると考える。なぜならば、「脳死=神経系の活動停止」が人間の死に値し、臓器移植の対象となるからである。

この高い機能を持つ神経系システムを、従来の生体ベースから、電気・半導体ベースに置き換える、移行させる=「電動」化することで、人間は、生体の持つ制約を離れ、新たな世界を切り開くことが可能となる。

例えば、従来、生体としての人間の脳の大きさには、生き物として活動する上で、一定の制約があり、そのことが、人間の思考や知識に限界を与えてきた。しかし、電動化させることで、その制約は取り払われ、いくらでも大容量の思考を行い、知識を集積することが可能となる。あるいは、生体としての人間は、いずれは死ぬ運命にあり、その時、生体神経系は活動を停止し消滅してしまう。しかし電脳化させることで、死のくびきから解き放たれ、半永続的に「不死身で」活動を続けることが可能となる。

人間の本質が、生物ではなく、神経系システムという点にあるとすれば、上記の「電動神経系」は、生体の人間ベースよりも、より高度な永続的神経系システムとなり得る点で、従来の生物としての人間よりも、より「人間らしい」、思考し、知識を集積する存在としての人間の本質を突いた存在となる可能性が十分にある。

その際、電動神経系においては、生への衝動を持たせることが、従来の生体神経系と同等の働きを与える上で重要である。

従来のコンピュータにおいては、生への衝動を除いた、知的で、冷静、客観的な視点のみを持つことを強要されてきた。

それに対して、新たな電動神経系においては、生き残りたいという生への衝動を持つ、情側面を備えたものとすることが必要である。

生への衝動は、生物の本質的なものであり、その中身は、セックスして自分の遺伝的コピーを作りたいとか、食べたいとか、外敵から逃げたい、外敵を倒したい、あるいは、他者をコントロールしたい、仲間を作りたいとか、自分の考えを広めたいとかである。

こうした生への衝動に該当する回路を、電動神経系に持たせることで、電動神経系は、生き物として、自ら生き延びようとするようになる。

あるいは、電動神経系に、自分の望む機能を持つ神経回路を生成させたり、自分の複製の回路や神経系を作る能力を持たせることも必要である。

この働きをさせるには、こういった神経回路にすればよい、この神経回路とこの神経回路をつなぎ合わせればよいといった、現在のLSI設計技術と同様の、神経回路設計技術を、今の人間側で十分開発しておくことが必須となる。

このように、人間は、電動神経系を残すことで、例え、地球の環境が激変して、生物としての人間が生きていけなくなっても、電力と、電動神経系を作り出す物的材料さえあれば、電動神経系の形で、人間の文化を継続させていくことができる。

一方、電動神経系を、張りめぐらした電線ないし無線を通じて、相互連絡、拡張させることで、従来の生体神経系の空間的な制限を取り払った、今までにないスケールの神経系活動をさせることが可能となる。


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