近代的自我と父性・母性
2003.5-2004.7 大塚いわお



欧米における自由主義、個人とプライバシーの尊重といったドライな近代的自我に合致しているのが父性であり、逆に、相互の一体・融合感を重んじて、個人を集団に従属させるのを好むウェットな母性は、西欧近代的自我に反する、ないし近代的自我を殺す存在である。

自立したバラバラな個人が自由に動くのを理想とする近代以降の西欧やアメリカは父性の強さが確立された社会であると言える。一方、西欧近代に見られるような自我が確立しておらず、個人の自立の程度が未成熟、弱いと言われる日本、中国、ロシアといった社会は、個人を集団の中に一体化・埋没させ、全体が一丸となって動くようにするのを得意とする母性が優位であると言える。

そういう意味では、西欧における近代的自我の確立は、母性の抹殺と女性の弱体化につながるものであったと言える。

女性解放を目指す欧米フェミニズムは、本来なら、母性の回復、強化を求めて、近代的自我が、所属集団の中へと融解し溶けてなくなり、個々人が集団の中に心地よく一体感をもって融合することを目指すべきだったのではないか。要するに、欧米フェミニストたちは、母性の強い、ウェットな集団主義社会である東アジアやロシアなどを模範とすべきだったのである。

現在の欧米フェミニズムのように、西欧近代的な確固とした自我を維持しつつ、女性性や母性を強めることを主張するのは、互いに矛盾しており、本来不可能なことである。そうした矛盾に気がついていないところが、西欧フェミニストの弱いところであろう。

例えば、リベラル・フェミニズムのように、個人の自由を唱えながら、一方で女性の力の拡大を主張するのは、明らかに間違っている。本来、母性は、個人の自由よりもその所属する集団への奉仕、調和を優先するものだからである。個人の自由を重んじるというのであれば、従来通り、ドライな父性の下で、女性たちは抑圧されたままくすぶり続ける他ないのである。

欧米フェミニストたちは、男尊女卑で女性が差別されていると言われながら、実際には、妻=母が家庭の財布や子供の教育の実権を握って、夫を「濡れ落ち葉」扱いし、姑が息子と嫁を強権的に支配する日本のような母性支配社会の実態をもっとよく知るべきなのではなかろうか。

本来、それを助ける役目を果たすのが日本の女性学者、フェミニストたちであるべきなのに、彼ら自身が、欧米フェミニストの作った理論をそのまま日本に直輸入してして当てはめるのに忙しく、日本社会の母性優位の実態に疎いというのは皮肉な現実である。

何はともあれ、個人の自立を目指す西欧的近代性=父性中心の価値観と、個我の集団への融解、一体化を目指す母性的価値観とは互いに相反する存在であり、そのままでは共存はあり得ない。この難しい共存の道を何とか考え出すことこそが、性差心理学・社会学の研究者に今後求められる課題であると言える。


2004-2005 大塚いわお

ホームページに戻る