父性・母性と子供の養育
2003.5-2004.7 大塚いわお


従来、「子供を産み育てる性」は、専ら女性(母性)である、女性には子どもを養育したいという本能、「母性本能」を持つ、と考えられてきた。しかし、その考えについては、再検討が必要であると筆者は考える。

(1)「子供を産む性」は、従来は、女性(母性)と考えられてきた。しかし、実際には、子供の誕生には、父親側の遺伝子の存在が必須であり、母親だけで産むことはできない。また、母親が子供を産む際に、父親は、母親と子供の安全を外側から守るという機能を果たしている。その点、子供は、男女(父母)共同で産むものと考えるべきである。

(2)「子供を育てる性」は、従来は、女性(母性)であると考えられてきた。確かに、幼児に対する授乳は、母親でないと不可能な面があり、そういう点では、女性の専権事項である。しかし、授乳の期間が終わると、父親の、育児に対する介入が可能となってくる。

子育てについて言えば、例えば、父性の強い欧米社会では、子供が母親から引き離されて、個室で寝かされる慣習が存在する。これは、父性が、母子間の癒着関係の間に介入して、子供を母親から分離・独立させる働きをしていると考えられ、育児に父性が介入していることを示す好例である。ちなみに、母性の強い日本社会では、母親と子供が「川の字」状にくっついて寝る慣習となっている。

また、欧米社会では、子供の身の回りの世話に父親が関わる時間が、日本のように母親が専ら子供の面倒を見る社会に比べて、より長めであるとされる。

子育てにおいて、子供と父親(母親)の結びつきが強いことと、社会が父性的(母性的)であることとの間には、大きな関係があると考えられる。日本のように、子供の面倒を母親が専ら見る社会は、母性的(母権制)であり、一方、欧米のように、子供の養育に父親の介入度が大きい社会は、父性的(家父長制)である、と言える。

そもそも、自分の子供に大きく健康に賢く育ってほしい、そのためにできる限りの支援を子供に対してしたいという子育ての衝動は、父親も母親も、親として共通に持っていると考えられる。あるいは、自分の子供と心の触れ合いを持ちたい、自分の持っている価値観を子供と共有したいという考えは、親なら男女を問わず、同じように内蔵している。

こうした子育て、子供との触れ合いを求める衝動は、「親(としての)本能(parental instinct)」とでも呼べるものであり、それが、親が男性であるか、女性であるかによって、「父性本能」「母性本能」に分類されるものと考えられる。


従来は、子供と近接して触れ合うタイプの接し方をする母性が、傍目からは子供にぴったりくっついているため、子供の世話を、よりかいがいしくしていると見られ、それゆえ、子育ては全世界において母性の専権事項と考えられやすかった。

しかし、欧米社会のように、父性の持つ、子供に対する独立、自立心の涵養を目指した子育てへの積極的介入が、育児における母子分離という形をとって、実際に行われている社会が存在するのも事実である。

欧米社会のような父性的社会の場合は、父親の管理、主導下で、母親が、子供の世話を家事雑事の一環として、父親(夫)に従属する形で行っているというのが実情であると考えられる。その点では、子育ては、少なくとも父性的社会においては、必ずしも母親の専権事項とは言えず、むしろ、子育てに対して父親の心理的な影響力が大きく働いていると言える。

日本のように母親と子供が癒着するタイプの、母性の力が(父性に比べて)優勢な社会では、もともと子育ては母親が独占するもので、父親は関係ないとされてきた。それゆえ、子育ては母親の専権事項であるとする「母性本能」イデオロギーがより受け入れられやすかったと言える。

しかし、子育ては母親が行うものだと言っても、父性の支配下で家事労働の一環として行う欧米社会(父性的)と、母親が子育て上の意思決定を独占する日本社会(母性的)とでは、同じ母親による子育てといっても、「母性」の子育てに影響する度合い、濃密さに、相当の格差、違いがあることは否めない事実である。

日本における女性の地位保全という観点からは、母親は、従来通り子育ての権限を手放さないのが得策と言える。そのことに、無頓着なまま、欧米流の、母性の薄い社会、ないし、母性が子育てにおいて主導権を握れない社会の「母親は子育ての雑事から解放されるべきだ」とする論調を機械的に日本社会に当てはめようとする人たちが多すぎるのではないか。

ただし、日本においては、従来は、子育てのためいったん会社を辞めると、満足な形での再就職が難しいという問題があり、それが、会社での仕事に生きがいを見出してきた女性たちには不満となっており、それが女性の子育て回避(例えば出生率の低下)につながっているのは事実である。

今後は、日本社会においては、「子育てか、会社の仕事か」という二者択一ではなく、一定期間は子育てに集中し、その後、会社の仕事に全面的に復帰するという、「子育ても、会社の仕事も両方追求する」という生き方が、母親にとって望ましいものとして求められると考えられる。そのためにも、会社における母親の育児休業期間の延長とか、母親の再就職における育児退職前のキャリアの正当な評価とかがよりなされやすい労働環境を作り上げることが必要と思われる。

もっとも、これは、日本社会において今後も、従来通り子育てを母親が独占するという仮定での話である。日本社会における父性と母性との影響力の均衡という点からは、日本の父親はもっと積極的に子育てに参加するのが望ましいということも一見言えそうである。

しかし、そもそも日本の父親には父性が欠如しており、母親と子供との癒着構造の間に割って入れないため、例え子育てに参加したとしても、母親(妻)の主導下で、便利な労働力提供者としてこき使われるだけに終わる可能性が大きいのが実情であろう。それを避けるには、日本の父親には、何らかの形で、外部から父性の注入(輸入)が必要であり、例えば、父性的な欧米社会の父親をモデルにするということが考えられる。


2004-2005 大塚いわお

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