日本人の定型指向について

2006.07-2006.10 大塚いわお



日本人は、考え方が型にはまっている、というか、一般常識という名の「型」通りに行動しようとすることが多い。

何事も外型から入ろうとする。例えば、何か習い事を始める際に、まず必要な道具を買い揃えることに夢中になる。まずは、外から見える範囲で、型を忠実に踏襲していることを、周囲に向けてアピールしようとするのである。

こうした人たちは、一般常識とされる型や作法から外れること、知らないこと(不作法)を、みっともない、恥をかくとして、何よりも恐れる。

作法とか、権威者の作った型通りに動こうとする。型を忠実に正しく模倣しようとする余り、覚えるべき、注意すべきことを、逐一、先生、師範役に手取り足取り教えてもらい、その通りに厳格に「正しく」動こうとする。そのため、身動きや心構えが知らず知らずのうちに固くなり、思考の柔軟性に欠ける面が出てくる。

あるいは、高校の数学等で、公式を丸暗記し、予め正答の決まった問題に対して機械的に当てはめるのを好む。この場合、公式が、守るべき「型」の役割を果たしている。

日本の人たちは、予め学校の先生とか、家元とかの権威者の定めた「正解」を、その通りに、忠実に模倣、暗記、学習しようとする。「正解」から外れないように細心の注意を払う。

「習い事」「学習」とは、予め権威筋の決めた、かくあるべきという「定型」「正解」「正しい道」を、決まった道具を使って、決まったやり方で、一挙手一挙動毎に、正確に真似することである。そこから少しでも外れると、「間違った」「いけません」として非難され、嘲笑され、「やり直し」させられる。

権威筋の定めた「正解」から外れた結果ばかり出していると、権威筋とその集団から追い出され、居場所がなくなる。どこかの集団に必ず所属しなければならないと考える日本人にとっては、最も避けるべき事態である。

そのため、予め決まった型、道筋や定められた範囲から「外れる」「逸脱する」ことを忌み嫌う。自分から定型を外れて新境地を開く試みをすることを恐れ、そうして失敗した人のことを嘲笑して助けようとしない。

定型通りに「正しく」動くことを守ろうとし、そこから外れることを、「エラー」「間違い」「失敗」と一律に見なして、非難、批判、嘲笑の対象とする。失敗すること、間違うことを極端に忌み嫌う。エラーが人間に付きものである(人間は間違うものである)、という考えを受け入れにくい。ヒューマン・エラーを、エラーを起こした当人の個人的な責任、能力不足、注意不足と見なし、背後の組織やシステムの抱える問題に考えが及びにくい。



なぜ、行動が定型的となるのか?

(1)他人の目を気にする。変に一般常識から外れたことをして、笑われたくない。パターンに合わないことをすると、目立って、外れて、周囲の好奇のまなざし、覗き、注目を浴びてしまい、恥ずかしい。そうすると、周囲の人々の自分に対する印象を悪化させ、自分は社会の中で爪弾きされて生きていけなくなると考える。

あるいは、皆の守っている一定の型から「外れた」ことをすると、周囲、社会の調和、和合、合意を乱し、騒がせ、迷惑を掛けることになる、それが自分にマイナスの価値を与え、社会から追い出されることにつながるので、避けたいと考える。変な波風を立てたくない、目立ちたくないという思いがある。これは、周囲との調和、和合を守ることへの指向や、一定の型への同調、同質化につながり、無個性化に通じる。

また、周囲に自分を、一般常識によく通じている、権威の裏付けのある定型をきちんと習得し、守る能力があるとして、よく見せたい、よく思われたいという、印象操作のための計算高さ、自己宣伝、プライドの高さが根底に存在する。


(2)根底に安全第一の、退嬰的考え方がある。既に先人によって確立された、その通りに動けば間違いのない、失敗や危険のない行動様式に従うことで身の安全を図ろうとする意図がある。未知のどんな危険があるか分からない分野には近づかない。前例のない行動はできるだけ取らない。リスクを取らない、冒険しない。

こうした考え方は、型を既に体得した先生・師範の人の言うことが絶対であるとする、権威主義につながる。型を破ることは、既にその型を保持している権威筋を批判し、顔を潰すことになり、その権威筋の機嫌を損ねて、権威筋の集団から追い出されることを意味するので、保身のためにも、できるだけ型を守ろうとする。

また、既存の型から外れた新境地を目指すことを自分からは行わず、誰かが外れたことをやって苦闘しているのを、高見の見物を決め込み、眉をひそめて陰口を叩き、嘲笑する。そうした点で、定型指向は、独創的、創造的な思考とは相いれない、それらを殺すものである。

しかし、そもそも「外道」であるとして単なる嘲笑の対象だった人が、いざ(欧米等の権威筋から認められるなどして)成功して、新境地を確立すると、それを新たな、理想的な「型」として見出し、一転して、彼のことを「先生」「師匠」と呼んで、彼のもとに競って入門し、彼が新たに確立した型通りに動こうとする。

その点では、「新型」の誕生に敏感であり、新しい型に対する学習、適応力に優れていると言える。要は、「外道の変人」を「先生」と新たに呼ぶことへの方針転換が素早くさっと鮮やかに行われ、その手際が見事なことが、この国の人々の一つの特徴である。

この場合、「新型」とは、礼儀作法とかだけでなく、新たにその操作、デザインを学ぶべき新製品のことも含んでいると考えられる。


2006 大塚いわお

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