「集中」好きの日本人
-「日本人=台風」図式の提案-

2006.06 大塚いわお


日本の人は、集中が好きだと考えられる。

東京への行政、経済機能の極端な一極集中がその好例である。都市機能や居住スペースを一カ所に集中させて、ギュウギュウに詰め込むのが好きである。

要は、周囲の皆の住んでいるところ、集まっているところに、自分もいたい、行きたいという気持ちが非常に強いのではないかと考えられる。周囲から離れて、隔てられて、一人でいるのは悪だ、よくない、皆で一緒がよい、という考え方が広く行き渡っているように思われる。


この国の人たちは、他人の噂話を流すこと、陰口を叩くこと、他人をじろじろ好奇の目で見ることが好きであり、絶えず、注目、噂話の対象、ターゲットを探し求めて、ワッと一斉に集中砲火を浴びせる癖がある。要は、皆の関心のあるところに、自分も行こう、集まろうとする人々が多いということであり、それが、注目、噂話の対象の一極集中を生み出す。

人々の関心のエネルギーが、どこに行けばよいか分からずに、無方向に、行き場を求めてさまよい、見つかるや否や、ターゲットとなる一カ所に殺到する傾向がある。ターゲットは、一挙に注目を浴び、ブーム、流行の対象となる。注目、噂の「集中」が起きるのである。

この場合、注目を浴びせたり噂話を流す当人たちは、自分自身は、注目の対象から外れるように、目立たない格好をして、安全地帯に逃げて、保身を計るのが一般的である。当事者になるのを巧みに避けて、高見の見物を決め込むのである。

噂話、注目の対象は、一種のスケープゴートであり、血祭り、いじめの対象であるとも言える。噂話、注目の対象となった人や組織は、周囲に集まった人々によって、よってたかってもみくちゃにされ、プライバシーをズタズタにされる等、酷い目に会うことが通例である。特に、それが、スキャンダルや後ろめたい事が発端である場合、容赦のない集中攻撃を浴びる、寄ってたかっていじめられる、叩かれることが多い。

日本人がウェットなのは、単に、周囲との一体感、つながりを持つのが好きなだけでなく、立場の悪い人を皆で寄ってたかっていじめたり、ひそひそ陰口を叩くのが好きな、「陰湿さ」もその大きな要因であると考えられる。

人々の欲求不満、ストレスのエネルギーがはけ口を求めてさまよい、たまたま失敗をするなどして目立った人を嗅ぎつけて、そこに集中的に流れ込むと考えられる。

いったん注目や噂話の集中砲火の対象となったら、嵐が過ぎるのをじっと首をすくめてひたすら待つしかない。

ただ、人々がその対象に集中砲火を浴びせるのに飽きて、他の対象を探しに行くようになるまでに、それほど時間がかからないのも事実である。集中砲火を浴びせるのに夢中だった人々は、別の新たな対象が見つかると、今まで攻撃していた対象のことをケロリと忘れて、次の対象に向かうのが通例である。嵐が過ぎるのを耐え忍べば、台風一過の晴天同様、元の平穏な生活に戻れるという面もある。

日本の会社は、スキャンダルや事故等を起こしたことで攻撃を受けている間はひたすら頭を下げ続け、嵐が過ぎて、人々の関心が別のところに向かったところで、こっそり自粛していたCM等の原状回復を行うことが多いのではないかと考えられる。

皆で寄ってたかって集中砲火を浴びせていた人々が、別の目立った対象を見つけるや否や、今まで砲火を浴びせていた対象のことをコロッと忘れて、飽きて、代わりに別の対象へと集中的に猛烈に突進することが、一般的に見られる。

こうした、日本人の集中砲火好きと、それに両立する忘れっぽさ、飽きやすさは、一極にエネルギーを集中させ、次々と風雨、嵐による集中砲火の対象を場当たり的に変えて移動していく、過ぎ去った後は(集中砲火の被害の爪痕の残存は別として)対象には何事もなかったかのような平穏さが戻ってくる「台風」「熱帯低気圧」とよく似ている。これは、「日本人=台風」図式、モデルとでも呼ぶことができる。要は、日本人は台風みたいな性格の人々が多いということである。

この辺、和辻哲郎「風土」での日本人の熱しやすく冷めやすいとする台風的性格の説明と関連があるが、筆者は、和辻の説明とは異なり、日本人の、一人一人のエネルギーを、集団、団体を形成して、一極に集中させて、その場その場のターゲットに殺到、集中砲火を浴びせながら、場当たり的、無方向的に、その場の雰囲気に流されて進んでいく性質を、「台風的」と呼んでいる。

こうした、集中砲火、集中攻撃といった「集中」が頻繁に起きるのが、この国の人々の特徴であると考えられる。要は、「野次馬根性」が強く、人が集まっている所に自分も行きたい、好奇の目で「何で人が集まっているんだろう」「何やっているんだろう」「面白そう」と、対象のプライバシーの尊重などは二の次で、一目見ようと、群がったり、たかったりするのである。

人の集まるところに自分も行こうとする傾向の強さが、日本人の「集中」指向、集中好きを支えている。


皆のいるところに集まりたい、群れをなしたいという日本人の指向は、その中で目立ちたい、注目を浴びたい、有名人になりたいという指向とも強く結びついている。要は、自ら積極的に「集中」の対象となりたいという人が少なからずいるということである。

欧米社会とかのように、他人とは違う独立した個人でいるために、個性的であろうとする、他人と距離を置く「遠隔、分離指向の個性」、「ドライな個性」の重視が見られる社会と異なり、日本社会では、皆のいる中で、埋没しないために、注目を集めて目立つために、個性的であろうとする人が多いのではないか。

要は、目立って、人々を自分の周りに引き付けよう、集めようとするために個性的であろうとするのであり、自分への関心の集中、視線の集中を狙った個性重視なのである。こうした視線、注目集めのための個性重視は、同じ個性でも、欧米流のドライな個性重視と区別して、「集中指向の個性」、「ウェットな個性」と呼ぶことができる。


2006 大塚いわお

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