日本人の「所属」指向、欲求

2006.08 大塚いわお


この国の人たちは、何らかの集団、系列に、自分が属していないと、不安というか、人間扱いされないと思っている。
要は、社会の中で生きていく上で、どこかの集団、系列に「所属」していることが必須だと考えている節がある。

この場合、所属する集団、系列が「内(ウチ)」と呼ばれ、そうでないのは、「外(ソト)」「他所(ヨソ)」と呼ばれている。

所属集団には、学校(学閥)、部活、学会、会社・官庁、家元、地域(町内会、部落・・)、政党派閥等がある。必要に応じて、所属集団の掛け持ちがある。

本人が所属する集団は、いわゆる内集団である。この内集団の中で、人は互いに親密になって一体感を充足させ、気分よくくつろいで休息したり、一緒になって共通の目標達成に励んだりする。

集団の外は寒風吹きすさぶ劣悪な環境であり、身の安全が保証されない。それを避けるためにも、できるだけ集団の中に入っていよう、所属しようとする。所属する集団、系列は、母の胎内のように捉えられている。

自分の所属する集団、系列が有力、大きいのを望ましいと考える。所属する集団、系列が大規模で有力なほど自分の社会的地位も上がると考える。大会社に就職できると親子揃って喜ぶのが、それである。

この国では、自分が、有力、有名な大組織、系列に所属することを、ステータスシンボルと見なしたり、所属組織・系列名称をブランド視したりすることが一般的に生じている。

人々は、自分の所属する集団、系列がより大きくなり、繁栄するようになるために、懸命になって、所属集団、系列の業績向上のために努力する。そうすることで、自分のステータスも上昇するからである。

人のことを、その所属する集団、系列本位で見ようとする。「○○会社の人」、「○○大学出身者」、「○○派閥の人」という見方が優先され、その人個人の性格、特性は、その中に埋没してしまう。

所属集団、系列には、その派生に従って、親集団と子集団(あるいは親の植民地)があり、親集団に属する方が、ステータスがより上であるという見方が一般的である。国の方が県よりも、親会社の方が子会社、下請け会社よりもステータスが上だと考えられている。

どこにも所属しないフリーの人を浪人とか、旅の人とか呼んで差別したり、信用しない、認めようとしない雰囲気がある。あるいは、どこの会社にも就職しないフリーターは不利であると考える。個人が一人ずつバラバラに散る形で活動するのを好ましく思わず、グループを作って一体となって行動することを指向する。その点、考え方がウェットである。

農家、小売りの自営業とかの人は、農村、町内会といった地域集団に所属しており、その点、浪人、フリーではない。

どこか一つの集団、系列に、どっしりと根を下ろして定着することが望まれており、所属集団をあちこち頻繁に変えることを嫌う風潮がある。


2006 大塚いわお

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