調理された個性
-日本人と個性-

2006.4 大塚いわお


[要旨]

日本社会では、各人の個性がバラバラなことは欧米社会と何ら変わりないが、共同、集団作業の過程で、互いの調和、一体化を図るため、元の個性の味を残しながら、同じ味付けに調理されるのに対して、欧米では、バラバラな各人の個性が、そのまま生のまま、不調和のままで放置されている。



よく日本人は、欧米人から見ると、皆同じに見える、無個性だと言われる。

しかし、実際に、日本社会の中で生活していると、日本人同士は、互いに違った生育環境にあったり、違った価値観の元で暮らしてきたりして、互いに考えていることは結構別々だったりする。そういう点で、各人の個性はバラバラであり、決して、無個性ではないと考えられる。

ではどういう点が、個性に関して、欧米社会と異なるのであろうか?

日本社会においては、本来別々でバラバラな個人の信条、心情を互いに同じになるまで合わせ、近寄らせることで、相互の一体感を持たせることを重視する。皆一緒に、心を合わせて頑張りましょうというスローガンである。

要は、各人の個性をある程度下味として残存させつつ、実際の複数人による共同作業においては、可能な限り、同調、調和、相互一体化、同一化を追い求めるのである。その過程で、各人の個性は、目の前から徐々に目立たなくなっていき、皆同じように見えるようになる。これは、本来バラバラな各人の個性が、共同作業の過程で、同じ味付けに調理されたことを示す。

こうした、相互の心情面での一体化の重視は、母子一体感の延長線上にあり、母性的、甘えやウェットといった感覚と深く結びついている。


一方、欧米においては、互いに信条、心情がバラバラな位置のまま、一時的に相互契約を締結し、最低限合わせるべきこと、守るべきことを明文化して決めてその通りに行動し、契約が終わったら、ハイ、さようならで、またバラバラにさっさと別れていくという感じである。

そこでは、各人は、互いに一体化、同調すべき存在とはほとんど見なされておらず、各人は、バラバラに、思いのままの方向に、不調和なまま進んでいく。

要は、バラバラな各人の個性が調理されずに生のまま放置された状態が、どこまでも続いていくのが、ドライな欧米社会のあり方である。こうした個性を無調理状態のまま保持している欧米人の目から見ると、(もともとバラバラな味である)個性を(同じ味に)調理された日本人は無個性、個性を失ったように映るということになる。


2006 大塚いわお

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