比較好きな日本人
-相対評価蔓延の根源にあるもの-

2006.07 大塚いわお


日本人は、自分と他人とを比較するのが好きであり、上下、優劣のランクを付けたがる。自分が周囲に比べて、上か下か、しきりに比べたがる。

それは、例えば教育現場での成績評価が、偏差値による、自分は周囲の他者に比べて、成績面でどの位置にいるか、上か下かを知ることを重んじることに現れている。大学入試とかは、この評価の全国版である。

あるいは、会社において成果主義が導入された際の、従業員の成績評価が、他のグループ員と比べた相対評価によってなされることに現れている。

要は、絶対的な評価基準が持ちにくく、常に周囲の他者と比べて、自分は上だ下だと評価することになる。

他人と自分とを、とかく比べたがり、それも、学校の学科のように、同じ共通の土俵上で、同じ領域に属する他者と能力の優劣を比べたがる傾向があるように思われる。

こうした、自分の近しい周囲の他者と何かにつけて、上下、優劣を付けたがる、比較したがる「他者相対比較指向」の社会は、何でも、上下、優劣関係で捉える、目上と目下をうるさく区別する傾向に陥りやすい。

日本が、上下方向の人間関係が発達した、いわゆる「タテ社会」になるのも、その根底に、周囲の他人との上下、優劣比較をうるさく行おうとする心理が働いているからだと言える。

相手と、同じ土俵上で能力比較を行おうとするのは、自分と他人が共通の同じ領域にいる、互いに同質であるのを好むことと関係している。

要は、一人だけ皆と別な領域でひとりぼっちになるのが不安で嫌いであり、皆と絶えず一緒にいたがる、他者との一体感、つながり、まとまりを好む性向がその根底にある。

互いに他者と同じ領域を仲良く共有して、互いにひとまとまりに一体化しつつ、その一体となったグループの中で、だれが相対的に優位に立つか、上位に立つかを、絶えず互いにうるさくチェックし合う。また、同じ領域内の他者と比較して、自分が少しでも上位に立てるように、絶えず、相互牽制し、競争し合おうとするのである。

これは、欧米のように、個人が互いに、別々の異質の独自の世界を構築し、互いにバラバラな方向に、共通の物差しなしに、自分の優位性を各自勝手にアピールする方向に向くドライな社会とは、大きく異なっていると言える。

要は、日本人は、他者との共通性、同質性の確保をまず行って、相互のウェットな一体感、まとまりを得ることを指向する。その上で、その同質集団の中で、だれが一番よくできるか、上に立つかを、共通分野における互いの成績競争で決めるのである。

その点、周囲の他者が自分をどう評価しているか、あるいは、他者は自分より成績が上か下か、絶えず気になることになる。自分が他者より上であれば誇らしいし、下であれば恥ずかしい、みっともないと感じる。いわゆる「恥の文化」は、自分と周囲の近しい他者との、共通の分野における絶えざる相互成績比較によって生じていると言える。

また、自分と共通の集団に属する狭い範囲内での相互の出し抜き競争に終始するため、興味の幅が自分の所属する集団内に限定されてしまい、とかく視野、見識の狭い、スケールの小さい人間を生み出しやすい欠点がある。

日本社会における成績評価が、相対評価になりがちなのは、互いに同質な集団に属することを好み、その同質集団内での自分の相対的な上下位置関係を把握することに神経が行きがちだからである。

その根底には、相互の同質性、一体性への強い指向があり、その点、ウェットで母性的な雰囲気に占められていると言える。この雰囲気が変わらない限り、日本社会における成績評価のあり方も変わらないであろう。


2006 大塚いわお

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