高精度・正確さと日本人
-「手本」のあくなき追求と国際競争力-

2005.5-2006.10 大塚いわお


日本人は、半導体製造装置や小型デジタルカメラに見られるような、高精度を誇るプロダクトを作るのが得意である。また、微小なところまで正確さを重んじる。それは例えば、鉄道会社が列車時刻を秒単位できっちり守るところに現れている。

こうした高精度、正確さ、正解、間違いのなさを重んじる気風は、例えば、人前で英語をいつまでもしゃべれないことにつながっている。周囲との強力なつながり、一体感を重んじ、周囲の目を気にする日本人は、皆の前で間違ったり失敗することで、笑われたり、恥をかいたり、体面を失うことを、周囲からつまはじきにされるとして、何より恐れる。それが、間違いなく、失敗なく、「正しく」行動したいという強烈な要求を生み出している。その姿勢は、女性的な安全第一で、権威主義的であって、著名な学者や中央官庁等、権威筋が認めた、既にある(既存の)正答へ近づくこと、模倣することを極限まで追い求める傾向がある。

要は、何もない状態から何か新しい考えを生み出す独創的な思考が苦手であり、無から有を作り出すことができない。誰か権威筋の書いた教本、教科書、手本といった、「正しさ」を保証する前例がないと、何もできない。そうした「正しい」手本をできるだけ正確にまねることが望ましいとされ、現に得意である。

日本の学校での学習は、大学入試対策とかに見られるように、「お上」、権威筋の定めた絶対的な正答に当たる教科書の内容を、重箱の隅をつつくように、微細なところまで正確に暗記する必要がある。このことが、日本人に、精細さ、正確さの感覚が身につくことと大きく関連していると言える。

こうした精密さ、正確さへの指向が強いことは、はっきりした正解や追いつくべき目標が既にある分野を制覇する際には、大きな追い風となる。正しい手本を、誤差なく微細な点に至るまできっちり正確に模倣し、磨きをかけることができる能力は、例えば、電化製品や自動車の製造技術を、欧米からキャッチアップして追いつき、無比の精密さで国際的な競争力のある製品を作り上げて、日本を豊かな経済大国に押し上げるのに貢献してきた。

現在、迷走気味の日本社会が再び活力を取り戻して繁栄するには、この、長年培ってきた高精度・正確さを重んじる気質を大切に維持・発展させて、様々な分野の製品の生産に生かしていくことが何より重要であると考える。高度な精密さや正しさを要求される分野を重点的に攻めていくのがよいと思われる。一方、欧米並みの独創性を発揮することは、多分あきらめた方がいいかも知れない。

ただし、学校での学習にしても、どうせ高いコストをかけて、手本の内容を細かいところまで正確無比に覚えさせるなら、覚えても役に立たない年号とかでなく、企業の生産~研究開発現場に直結するような、人間の環境適応に直接役立つ、実践的で機能的な内容を覚えさせるべきである。

また、権威筋の説というのは、そのルーツが往々にして欧米の学者の説であることが多いのであるが、その中には、個人主義や独創性の重視のように、ドライな欧米社会には向いていても、ウェットな日本社会にとってはなじみにくい、手本としてそのまま真似しても有効性が薄い内容も含まれていることが多い。日本人が、欧米の学説を真似するに当たっては、そのドライな部分を、予めウェットなものへと変換してから真似るようにするという、「ドライ→ウェット変換」が必須であると考えられる。しかし、実際には、こうした変換は行われず、欧米学者の説を「鵜呑み」にして「お上の説」として信仰しているのが実態である。

こうした「正しさ」への指向は、正解通りに「正しく」動くことを守ろうとし、そこから外れることを、「エラー」「間違い」「失敗」と一律に見なして、非難、批判、嘲笑の対象とする。失敗すること、間違うことを極端に忌み嫌う。エラーが人間に付きものである(人間は間違うものである)、という考えを受け入れにくい。ヒューマン・エラーを、エラーを起こした当人の個人的な責任、能力不足、注意不足と見なし、背後の組織やシステムの抱える問題に考えが及びにくい。

結局、日本人は、人間は正解、手本通り「正しく」動くべきものだ、という信念がことの他強く、それが日本人に社会システムを、微細なところまで正確に運用、構築する能力を与え、社会、経済の発展に大きく寄与する一方、「正解」への強迫的な遵守を人々にもたらし、社会の余裕の無さやヒューマン・エラーへの不寛容、独創性の欠如につながっている、と言えよう。



2005-2006 大塚いわお

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