ゲームに自由を
2005.05 大塚いわお


既存のゲームは、ユーザは、予め、制作者側が決めたプロットや条件、ハードルをクリアしていくだけである。あるいは、制作者が設定した不自由な制約に従ったルートをひたすら進むだけである。制作者側は、ユーザを一方的に規制・束縛しているのである。

例えば、自動車運転ゲームは、決まったコースを走るレースばかりだし、電車運転ゲームにしても、制限時間に決まった位置に電車を止めなければいけないものばかりである。

あるいは、シミュレーションゲームや、アドベンチャーゲーム(恋愛等)は、進むコース毎に、何が起こるか、予め決まっている。制作者側の設定外のことは、決して起きないし、ユーザは起こすことができない。グッドエンドのような「正解」に到達するために、予め決められたイベントを、ゲーム制作側の設定した通りにひたすら黙々とこなすことが求められる。

ユーザは、いくらゲームが上手になっても、ゲーム制作者側の設定した枠内から出ることができない。その点、ユーザは受け身であり、既存事例を踏襲するだけで、クリエイティブでない。ゲームの「正答」「グッドエンド」にたどり着くために攻略本を購入するユーザがたくさんいるが、そもそも、ゲームにとって、予め決められた「正答」やエンディングは必要なものなのだろうか?ゲーム制作者によるユーザに対する単なるお仕着せに終わっているのではないか?

これからは、ゲーム制作者側は、なるべく、枠を設定せず、ユーザが自由に振る舞えるように、余地を設定すべきである。

例えば、フリードライビングゲームのように、どこを、どこまで運転しても、どこでいつ車を止めても自由なゲームを制作すべきではないか?

また、ゲームがどれほど上手かについて、ゲーム制作側によるユーザの点数付け、ランク付け、攻撃力とかのレベル数値、評価からの解放が必要である。これらは、すべて学校のテストや成績評価と同じ発想であり、ゲーム制作者側が「正答」を握り、ユーザを支配していることになる。

これからのゲームは、何が起こるか、予め決まっていない、例えば、同じところを通っても、その時々で起こることや、風景とかの状況が変化するゲームを作るべきである。それによって攻略本が使えなくなり、ユーザは、その時々で未知の空間や出来事を体験する面白さを味わうことができる。

あるいは、自分で好きな地点から出発できる、好きなコースを制約なく自由に進める、好きな時に、好きなだけ休んだり、止まることができるゲーム、ないし成績を一方的に評価されない、点数付けのないゲームがあってもよいと思う。

予め決まったエンディング、コース、シナリオというのがなく、乱数とかで、その時々に発生するイベントやコースが自由に変化したり、新たに合成されたりする、要するに、制作者側の設定枠を超えられる自由、余地、融通性があるゲームがあってもよいのではないか?


(c)2005 大塚いわお

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