クッションの性、ショックの性

2008.11 大塚いわお


1.クッションと性差


女性は、相手の主張、攻めをひたすら受け入れ、受け止めて、クッションになって、吸収しまくり、呑み込んでいくタイプの性であると言える。

例えば、セックスで、女性は、男性のペニスの突きや飛び出る精液を、膣で受け入れ、呑み込んで、ひたすら吸収する。

外からやってくる衝撃を、一時的に変形して緩和、吸収して、ほどなく元通りの形に戻る、原状復活することが、クッションの特質である。

女性は、クッションの性、衝撃吸収の性ということができる。

女性は、直接的な物言いを好まず、ワンクッション置いた言い方を好む。また、寝具とかで、身体に心地よい和らいだ感じを与えるクッションを好み、インターネットショッピングとかでは、女性向けのクッションの商品が溢れかえっている。

自らクッションになることや、クッションを好むことは、女性的な証拠であると言える。

これに対して、男性は、クッションの反対で、活発に動き回って相手にぶつかり、衝撃や打撃を与える、相手を突く、相手にショックを与えるショック(付与)の性(あるいは攻撃するアタックの性)ということができる。

(男性からの)全ての攻めを緩和、包含、呑み込み、吸収して、すぐ元の形状に戻り、びくともしない、動じない、巨大クッション、底なし沼となることが、女性の完全型であり、グレートマザー、母権の本質とも言える。


2.日本=クッション社会論


あるいは、こうしたクッションの和らげの特質は、女性の影響力の強い和合指向の日本社会の特質であるとも言え、日本はクッション社会と言える。一方の欧米は、ショック(付与)社会と言える。

すなわち男性的な欧米からやってくる様々な新たな攻撃や衝撃(ショック)を、全て緩和し、呑み込み、吸収して、元からの原型にほどなく復帰するところが、日本社会の特質である。

日本的「和」の精神は、クッションの和らげの精神であるということができる。

従来、日本的な和合とは、周囲との良好な一体感を保ち、衝突、対立しない、分裂しない、仲の良さ、結束力みたいな観点から語られることがほとんどであった。

しかし、このクッション社会論の観点からは、受け止める懐の深さ、大きさや包容力、許容力、衝撃の和らげといったクッション関連の観点も、日本的な和合を説明するのに重要であると言える。



3.ドライな自由、ウェットな自由とクッション


クッションは、ふわふわしていて、自由に変形する。そうした変形への許容力、包容力を持った存在である。いわば、その場のメンバーの動きを包み込む存在である。

このクッションの性質を見ることで、甘えや自由といった、従来社会心理学辺りで触れられてきた概念に、新しい見方を加えることが可能である。

従来、自由といえば、欧米流の互いにドライでバラバラに離散し、自立、独立した個人が、自らの意思で、自分の行きたい方向に進めることといった見方が主流であり、日本的な、ウェットで相互の一体感を重んじ、同調、協調、牽制しあうタイプの社会には見合わないとされてきた。

しかし、実際のところ、こうした日本のようなウェットな社会においても、上記の欧米流のドライな自由とは違う、ウェットな自由みたいなのが成立していることが分かる。

ウェットな自由というのは、個人が、自分を包容する個人(上位者)、所属集団や組織(会社等)の場の備えるクッションの中で、クッションとの一体感を保ちつつ、クッション変形が可能な範囲内で、場のクッションに力を加えてそれなりに変形させながら、自分の好きなように自由に動けることである。


4.甘えとクッション変形

こうしたウェットな自由は、甘えの概念と不可分である。

甘えとは、(母や母代わりの、)その場の支配者である、クッションの主宰者(個人〜所属集団、組織)に対して、場のクッションにもたれたり、寄りかかったり、わがままで動き回って力を加えることで、場のクッションを自分の都合、勝手で、自分の思い通りに変形させること(、場のクッションにある程度迷惑をかけること)である。

クッションの変形が一定の包容、許容範囲内、元の形に復元可能な範囲内であるならば、個人が場のクッションをある程度一時的に変形させても、場のクッションの主宰者に、「しょうがないなあ、まあいいか、あまり勝手するんじゃないよ」みたいな感じでわがままや甘え、迷惑を許してもらえる。

しかし、個人による場のクッションの変形が、クッションの許容範囲を超えると、クッション主宰者に「もう我慢できない。堪忍袋の緒が切れた。出て行け。」みたいな感じで宣告され、クッションの中、所属集団から放り出されてしまう。

ウェットな自由、クッションによる自由を個人が享受するためには、個人が、このクッション変形の許容範囲、どこまで自分の思い通りに力を加えてよいかの力加減を熟知することが必要なことが分かる。


2008 大塚いわお

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