母性からの解放を求めて
-「母性依存症」からの脱却に向けた処方箋-

2003.5-6 大塚いわお


従来より、日本社会は、母性が中心となって動く、「母性型社会」であると言われてきた(例えば[河合1976])。筆者としては、その際、母性の担い手である女性だけでなく、男性までもが、母性的態度を取っている、という点に問題があると考えている。

日本の男性たちが、職場などで実際に取る態度は、いわゆる「浪花節的」と称される、互いの一体感や同調性を過度に重んじる、対人関係で温もりや「甘え」を強く求める、内輪だけで固まる閉鎖的な対人関係を好む、など、ウェットで母性的な態度が主流である。(母性的態度、父性的態度についての説明は、このリンクをクリックして下さい。

彼ら日本男性は、一応男性の皮をかぶっているが、実際には、母性的な価値観(それ自体、女性的な価値観の一部である)で行動しているのである。これは、日本社会における母性の支配力の強さを見せつけるものであり、日本社会の最終権力者が、実際には、彼ら男性たちの「母」(姑)ないし「母」役を務めている妻であることを示している。

こうした母性的行動を取る日本男性は、「母性の漬け物」と化している。その点、自分とは反対の性である母性の強い影響のもと、自分たちが本来持つべき父性を失っている。

要するに、日本社会を支配していると表面的には見える男性たちは、実際には、「母」によって背後から操縦、制御される「ロボット」「操り人形」なのであり、「母」に完全に支配されているのである。日本の男性たちは、「母」によって管理・操縦されているため、集団主義、相互規制、閉鎖指向といった、男性本来の個人主義、自由主義、開放指向とは正反対の、ウェットで母性的な振る舞いをするのである。

日本社会は、その全体像が一人の「母」となって立ち現れるのであり、男性は、母性の巨大な渦の中に完全に呑み込まれ、窒息状態にある。

日本男性を、こうした、自分とは反対の性の餌食になっている現状から救うには、「母性からの解放」が必要である。

今までは、日本における「母性」は、男性にとっては、自分たちを温かく一体感をもって包み込んでくれるやさしい存在として、肯定的、望ましいものとして捉えられることが多かった。日本男性がその結婚相手の若い女性に求める理想像も、「自分が仕事から疲れて帰って来た時に温かく迎えてくれる」「自分のことをかいがいしく世話してくれる」といったように、母性的なものになりがちであった。

また、「母性」の行使者である「母」「姑」といった存在が権力者として捉えられることはなかった。日本の女性学においては、権力者は、「家長」としていばっている男性であるという見方がほとんどである。彼ら「家長」たる男性が、その母親と強い一体感で結ばれ、母親の意向を常に汲んで行動する、言わば、「母の出先機関・出張所」みたいな意味合いしか持たない存在であることに言及した書物はほとんどない。

例えば、一家の財産権は、「家長」である男性が持つとされ、それが日本は男性が支配する国であるという見解を生んでいる。しかし、実際のところ、母親との強い癒着・一体感のもと、「母性の漬け物」と化した男性は、実質的にはその母親の「所有物」であり、その母親の配下にある存在である。彼は、独立した男性というよりは、あくまで「母・姑の息子」であり、母親の差し金によって動くのである。

だから、男性が財産権を持つといっても、それは、「母」が息子=自分の子分、自己の延長物に対して、管理の代表権を見かけだけ委託しているに過ぎず、実際の管理は、「母」が行うのである。その点、財産権は、実質的には、息子の母のものである。ただ、母親は、女性として、一家の奥に守られている存在であることを望み、表立って一家を代表する立場に立つことを嫌うので、その役割が息子に回ってくる、というだけのことである。母は、息子に対して、財産の名義を単に持たせているだけであり、実際の管理権限は母(姑)ががっちり握って離さない。

このように、母親に依存し、女性一般を母親代わりに見立てて甘えようとする、「母性依存症」とも呼ぶべき症状を起こしている日本男性に対しては、母性支配からの脱却を目指した新たな処方箋が必要である。日本男性にとっては、本来母性は、決して望ましいものではなく、脱却、克服の対象となる存在となるべきなのであるが、それをわかっていない、母性に対する依頼心の強い男性が余りにも多すぎるのが現状である。

筆者の主張する、「母性依存症」への対処方法は以下の通りである。

(1)まずは手始めに、取る態度を、本来男性が持つべき、個人主義的で自由や個性を重んじる、ドライな「父性的」態度に改めるべきである。言わば、自らの心の中に欠如していた父性を取り戻すのである。これについては、例えば「家父長制」社会=遊牧・牧畜中心社会の立役者である、父性を豊富に備えている、欧米の男性が適切なモデルとなると考えられる。欧米のような家父長制社会を実現しようとなると極端になってしまうが、今まで母性偏重だったのを、母性と父性が対等な価値を持つところまで、父性の位置づけを向上させることは必要であろう。

(付記)なお、従来も「父性の復権」が言われたことがあった(例えば[林道義1996])が、その際言われた「父性」とは、全体を見渡す視点、指導力、権威といったことを指しており、筆者が、上で述べた、個人主義、自由主義、対人面での相互分離、独創性の発揮といった、ドライさを備えた父性への言及が全くない。その点、従来述べられてきた復権の対象としての「父性」は、今までの母子癒着状態をそのまま生かしながら、従来の母性で足りない点を補完する「母性肯定・補完型」の父性であって、筆者の主張する、母性に反逆して、母性の延長線とは正反対の父性を築こうとする「母性否定・対抗型」の父性の復権とは異なると考えられる。


(2)また、「母」的価値からの逃走、ないし反逆を試みるべきである。今まで、自分が一体感をもって依存してきた母親に対して反抗とか独立を試みるのは、非常に難しいことであるのは確かだが、これを実行しない限り、永遠に母性の支配下に置かれることになる。そのためにも、相手との一体感や甘え感覚がなくても自我を平静に保てるように、相手からのスムーズな分離や独立を目指す、「母性からの脱却」「父性の回復」訓練を、自ら進んで実践することが必要である。女性一般に対しても、心の奥深くにある彼女たちへの依存心(自分の母親みたいに、温かく世話して欲しいなど)を克服し、「自分のことは自分で世話する」という自立の精神を持つ必要がある。

(3)子育てに父親として積極的に参加し、母子の絆の中に割り込んで、彼らを引き離すことが必要である。従来、日本の男性は、「仕事が重要である」として、子供との心理的な交流をほとんどしてこなかった。それが、男性が子供と自分とを切り離し、子供から無意識のうちに遠ざけられるようにすることで、母親と子供の間にできる、強固な、誰も割って入ることのできない絆を生み出し、それが、母性による子供の全人格的支配を生み出してきた。(この状態にある母子を、筆者は、「母子連合体」と仮に名付けています。詳細な説明はこのリンクをクリックして下さい。)

男性が子供との交流をしないのは、自分自身の子供時代に、父親との満足な交流の経験がないというのも影響している。一つ前の世代の父親が子供と心理的に隔離された状態に置かれることが、「母子連合体」の再生産を許してきたのである。

従って、子供が母親と完全に癒着した、母性による子供の支配が完成した状態である「母子連合体」の再生産を阻止するには、父親が、母と子供の間に割って入って、自ら主体的に子供との心理的交流を図る作業を実行することが大切である。今まで日本男性が子育てを避ける口実としてきた「仕事が忙しいから」というのは、子供と父とを近づけまいとする、母による無意識の差し金によるものであることを自覚し、それを克服すべきである。外回りの仕事を女性により任せるようにして、その分、自分は家庭に積極的に入るべきなのである。

[参考文献]
河合隼雄、母性社会日本の病理、1976、中央公論社
林道義、父性の復権、1996、中央公論社


(c)2003 大塚いわお

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