日本における家父長像の誤解について


真の家父長となる条件は何か?
日本における家父長像は、本来のものとはずれており、誤解されている。

(1)日本の父親のように、自分からは何もしないで、「○○しろ」「○○持って来い」というように、自分は座ったままで何もしないで、妻に、身の回りのことを、威張って命令口調でやらせる(やってもらう)のは、家父長とは言えない。皆妻にやってもらわないと、自分の力では、何一つできない。本来、家父長は、動的に、自ら進んで体を動かす、家族の手本となる行動様式を示す指導者でなくてはならない。能動性が必要である。単なる怠け者や快楽主義者では、家族は、自分の事を家父長とは見なさず、厄介な「お荷物」としてしか、見ないであろう。

(2)日本の父親が持つ、浪花節的な、ベタベタした親分子分のような関係は、男性的ではない。メンタルな面で母性の支配下にあり、家父長とは言えない。家父長たるには、ドライな合理性、個人主義、自由主義などを、身につける必要がある。

(3)日本の父親は、どっしりとして(どっしり座って)、てこでも動かない、重い存在であることが、理想的であるとされてきた。
一カ所から動かないのは、定着指向であり、静的(ウェット)であり、母性的である。本来、家父長というものは、積極的に、あちこち動き回る、ドライな存在なのではないか?


(c)2000.7-2006.2  大塚いわお


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