「母性的経営」-日本の会社・官庁組織の母性による把握-

2003.6-2005.09 大塚いわお


1.母性的組織と成員との関係

日本の会社・官庁といった組織は、成員同士の温かな全人格的一体感、包含感を重んじ、組織の「ウチ」「ソト」を厳しく峻別して閉鎖的な態度を取る、成員の組織への依存心(「寄らば大樹の陰」)を育むなど、成員に対して母親のように接する、母性的な性格を色濃く持っている。そうした組織のあり方は、例えば「母性的組織」と呼ぶことができる。(母性的組織について説明したページへのリンクです。)


母性的組織に属するのは、その成員にとっては、あたかも実際の「母の胎内」に抱かれているのと同じような温かい一体感をもって捉えられる。

日本の会社・官庁組織は、それ自体が、一つの大きな「母的存在」として成員の前に現れる。日本人にとって、会社、官庁に就職することは、「母の胎内」に入り込み、その中に抱かれるのと同じ感覚である。

日本の会社・官庁組織の成員は、組織と全人格が完全に一体化しており、自分と会社を、ドライに切り離して考えることができない。日本の会社は、母性的組織なので、成員は全人格を拘束され、捧げなければいけない。成員は、自分の周囲を、母性的組織としての会社・官庁に完全に包囲されており、逃げ場がない。

日本男性は、会社・官庁で全てのエネルギーを使い果たす。会社が、自分の人生にとって100%である。その点、母性的組織は、成員の全てを包み、呑み込み、吸い取る、と言える。

全てのエネルギーを会社で使い果たした男性は、自宅に戻って、母や妻に対して「自分の世話をしろ」と寄っ掛かってくる。母の場合は、自分の子供だからその態度を十分許容できるが、妻の場合は、元は赤の他人なので、男性(夫)の態度に、気遣いが足りないと感じ、不満に思う。

組織で働く男性たちは、そもそも疲れていて気遣いする余裕がない。もともと、「自分のことを世話してくれて当然」と思っているので、思わず横柄な態度に出てしまう。

組織の成員が、組織に全人格を束縛されても、何ら意に介さず、むしろ満足感を得ているようなそぶりを示すのは、成員の持つ、組織に温かく一体感をもって抱かれたいという欲求が根底にある。それは、母親を求める欲求と根が一緒である。母性的組織の持つ温かい一体感が、成員を仕事から抜けにくくさせている。

成員にとっては、会社の組織目標に自己の人生目標が一致している。と言うよりは、会社の目標に自己を没入させている。組織目標に自分を合わせている。合わない面を無意識のうちに殺している。これは、一種のマゾヒズムである。

日本の会社、官庁のような母性的組織は、成員の全人格を呑み込み、掌握・管理し、成員の全エネルギーを吸い取る。成員に全エネルギー、全時間を自分のために費やさせる。

日本では、所属する組織に全時間を費やすことが理想的な男性像とされている。遅くまでサービス残業をして組織に尽くさせるような心理的な仕組みが出来上がっている。所属組織のための労働を最優先に考える「労働至上主義」、自分の所属する組織のことを何をさておいても第一に優先させる「所属組織第一主義」が、母性的組織のイデオロギーである。

成員は、組織の中で、自分の全てを消費・燃焼させる。残りは、もぬけの殻状態である。

一方、成員にとっては、母親に対するのと同じ、周囲との一体感を求める要求を、会社・官庁組織に属することで満たすことができるというメリットがある。会社・官庁組織が、母親の温もりと同じ快感を成員に対して与えている。成員は、自分が心の奥底で求めている温かな相互一体感を満たすために、積極的に、会社・官庁組織に入ろうとする、という側面もあることを忘れてはならない。



2.母性的組織と「専業主婦」

組織のために100%働いた成員は、自分で自分のことを世話する余力、余裕がない。そのため、組織の外側に成員のサポートをする役目の人間、成員の管理・世話役の存在が必須となる。それが、従来「専業主婦」と呼ばれてきた人々である。彼らは、母性的組織の外側にいながら、実は、母性的組織の申し子、協力者なのである。

専業主婦が家を守らずに外に働きに出る(兼業になる)と、組織成員の心理的バックボーンとしての役割がおろそかになる。組織成員のサポートが十分でなくなり、成員が不安を覚えて十分な働きができなくなると、組織で働く側からは見なされ、非難の対象となる。専業主婦がいないと、母性的組織は、成員のサポートが不十分になり、維持ができなくなるのである。

専業主婦は、組織成員を心理的に支えるために「100%専業」でなければならない。日本において女性一般の職場進出を阻んでいる理由が、実は日本の職場組織が母性的だからであって、成員に組織に対して100%の一体化・献身を求めるからだということになる。この現象は、キャリア指向の「女性」と「母性」的組織との対立として捉えられる。

日本において、女性に学歴が求められず、会社でも昇進差別があるのは、女性が劣った存在と見なされているからでは全くない。それは、若い女性に対して、「専業主婦」という、母性的組織の維持に非常に重要な役割を果たすことを受け入れる方向へと進路を取るように、「専業主婦」以外の道をわざと魅力なく見せるというやり方で社会的誘導が行われている証拠である。

専業主婦業の内容と学歴とは今のところあまり関係がないので、わざわざ高い学歴を取ってもあまり意味がない。また、母性的組織にとっては、大勢の女性たちに会社に居残られることで、成員の組織外サポート役としての「専業主婦」の供給が不足するのも困る(成員の結婚相手が「専業主婦」でないせいで、成員が組織のために全力投球してくれなくなるから)ので、わざと待遇を悪くしているのである。

ちなみに、専業主婦は、組織成員の全人格的な管理・制御を行う「管理者administrator」として、振るうことのできる実質的な権力は、管理される立場である男性を上回る。それは、特に、専業主婦が成員の母親である場合に言えることである。

母性的組織の成員が女性の場合、組織外のサポート役、世話役に異性の男性を見つけることが難しい。男性は、組織で働くことがデフォルトとして考えられているからである。組織外の世話役は同性の女性が想定されてしまう。そのため、組織で働き続ける、組織内で出世しようとする女性は、結婚出来ず、独身を貫く事になってしまいやすい。

そうかといって、結婚すると、男性に、組織の外でサポート役になることを求められ、組織内で働き続ける事を止めなくてはいけなくなる。これは、江戸時代の御殿女中以来の、母性的組織で働く女性が抱える根本的な課題である。

もちろん、組織外でのサポート・世話役(専業主婦)の役目には、家計管理の元締め、子供の全人格的統制・教育といった重要でうま味のある役得がある。特に、「母」になると、自分の子供(特に息子)を完全に「子分」にして操縦できるようになるため、そのうま味が格段に上昇する。



3.母性的組織と成員の「母親」

従来は、専業主婦というと、妻の立場ばかりがクローズアップされ、関心を集めてきた。しかし、実は、母の立場の方がより重要である。つまり、自分の息子・娘を、組織に送り込む存在としての「母」である。

成員を、母性的組織の一員として、組織内での自己のエネルギーを完全燃焼へと向かわせるのに、成員の母親の果たしている役割が非常に大きい。母親こそが、自分の子供(主に息子、男性)を組織へと没入させ、完全帰属~全エネルギーを燃焼させる心理を生み出している。また、組織を「母性的」たらしめる原動力・エネルギー源となっている。母性的組織を成立・維持させているのが、成員の母親なのである。

母性的組織の主役は男性であり、母性の本来の担い手である女性ではないという、逆説的な現象が起きている。男性が母性的な行動を取っている。彼らは、母なる組織に一体感・甘えを求めて、没入・帰属している。そうした母性的な行動を取らせているのが、男性たちの母親である。彼女たちが母性的組織の本当の生みの親なのである。

母親がなぜ息子を組織に強く一体化させるかと言えば、母親が息子を自分の自己実現の駒、道具として使っているからである。母親は息子を組織へと駆り立て、組織内での出世競争に邁進させる。息子が組織内で偉くなる事が、すなわち、自分にとっての自己実現ということになる。妻も、母親と同じ考えを継承する。

母親は、また、息子以上に「(息子の)会社人間」である、という側面を持つ。彼女らは、息子の勤めている会社の業績や社会的なステータス(どの位、格が高いかなど)の上下に、まるでわがことのように一喜一憂する。母親自身が、息子の所属する組織と心理的に一体化したかのように振る舞うのである。

母親は、息子に組織に全人格的に一体化させて、息子が「自分(息子自身)⊆組織」と見なすように仕向ける。そして、息子に、「会社人間」として、所属組織の中で全エネルギーを出して組織の業績向上・格上げに寄与させ、他の成員との間で昇進競争をさせることで、息子の組織の格上げ=母親自身の格上げ、息子の昇進=母親自身の昇進、のように見なす。組織の社会的格式の上下は、組織成員の母親の社会的格式の上下と連動している。組織成員同士の昇進競争は、実はその背後に、彼らの母親同士の競争という側面を隠し持つと言える。

(注)この場合、上記の官庁・会社に入った息子を昇進に駆り立てる母親の行動は、「教育ママ」の取っている、自分の子供を少しでもいい学校に入学させるために、子供を叱咤激励する行動と共通する。

こうした母親による息子(=組織成員)の私物化やコントロールは、母親と息子が、相互に癒着し、強い絆で結ばれる「母子連合体」を形成しており(「母子連合体」の概念を説明したページへのリンクです)、息子が、程度の差はあれ、自然と母親の意を汲んで自発的に行動するからこそ可能となる。

母親にとって自分の子供、特に息子を活躍させるのに望ましい組織像を実現したのが、母性的組織としての日本の会社、官庁である。息子の組織での活躍が、そのまま母親の自己満足につながる。言わば、母性的組織は、組織成員の母親にとって、主要な自己実現の場なのである。一方、組織にとっては、成員の母親は、成員(自分の息子)に一生懸命組織のために働くように仕向けてくれる、組織活動のエネルギー源として欠かせない存在である。

日本の会社、官庁の性格が母性的なのは、成員がその母親の意を汲んで行動するため、相互の一体感や相互依存を重んじるなどといった、成員の母親の意向・価値観を反映した、母親好みの性格を持つように至ったと言える。その点、日本の会社・官庁の真の主役は、表面的に主役として振る舞っている男性成員ではなく、彼らを自分の自己実現の駒として、より上位の地位を目指して働くようハッパをかけている母親たちであると言える。母性的組織の真の支配者は、成員(社長~平社員)の母親である。

また、母親は、組織のために100%エネルギーを尽くす自分の息子に対して、彼をサポートする次世代の世話役、専業主婦を、自分の嫁として求める。その点、キャリア志向の若い女性を邪魔する「専業主婦」「良妻賢母」イデオロギーは、実は、男性の「母」「姑」の要請に基づくものである、とも言える。要するに、フェミニズトや女性学者によって批判されてきた、女性は専業主婦であれとする「専業主婦」イデオロギーは、実はキャリア志向の女性と同性である、(男性たちの)「母」「姑」=女性によって担われてきた側面があるのである。

また、会社で働く女性の中には、「男性が仕事に専念して、会社の重役とか偉い地位を独占している。自分たちは偉くなれない。」と男性を批判する人たちがいる。実際のところ、そうした、会社の仕事ばかりを一生懸命やって、家事をほとんど手伝わず、会社で昇進することに必死な男性たちを作り出しているのが、彼らの母親や、母親代わりの専業主婦指向の妻たちなのである。彼らの母親たちが、彼らに、もっと仕事をしてもっと偉くなりなさいとハッパをかけているのであり、彼らを必死になって働かせる影の原動力となっている。会社で働いていて、男性たちのせいで昇進できないと不満をもらす女性たちは、自分たちの本当の敵が、実は、自分たちと同性の女性たち=(男性の)母親たち、あるいは(男性の)母親代わりの専業主婦指向の妻たちであることに気づいていないのである。

会社の中で女性たちが昇進するようになるには、男性たちの母親や妻たちが、自分の自己実現の駒として男性たちをあてにするのを止めさせるしかない。つまり、男性たちの母親や妻たちが、自分の自己実現を、男性経由でなく、自分自身で行おうと決心させるしかない。彼女らが、男性を昇進へとせき立てるのを止めれば、男性は、必死になって家庭を省みずに働くのを止めて、自ずと仕事以外にも生きがいはいろいろあることに気づくだろう。そうすれば、従来男性にかかっていた仕事への圧力が弱まり、昇進へせき立てられる気持ちも弱まり、女性に道を譲るようになる。その分、女性が活躍して、昇進する余地がどんどん開けてくる。

要は、男性たちの母親(妻)が、息子(夫)の昇進を自分の生きがいとすることを止めさせるのが、日本の会社・官庁組織において、女性たちが(男性並に)昇進するようになる一番の早道と言える。このことは、今までほとんど誰も言及して来なかった重要事項である。

その他、自分では給与を稼ぐことをせず、息子(夫)の経済的稼ぎをあてにして、少しでも多く稼いでくるように、尻を叩いて働かせ、昇進をせき立て、かく言う自分は、家庭の財布の紐をがっちり掌握しているのをいいことに「三食昼寝付き」の生活を希望し、息子(夫)の稼ぎが悪くて、自分も働かなければならなくなったら、「甲斐性のない息子(夫)だわね」と悪態をつきながら、仕方なく働きますか、というところが本音の、専業主婦指向の女性たちが未だに数多く存在し(というか未だ主流であろう)、彼女たちが、男性を精神的余裕なく、給与稼ぎや昇進目当ての仕事に没頭させるのに多大な貢献をしているのである。こうした女性たちをなくすのも、日本の会社・官庁組織において、従来男性にかかっていた仕事への圧力が弱まり、女性たちが(男性並に)昇進できるようになる上で極めて重要であると言える。

ちなみに、日本において、従来、性別役割分業を支持し、妻に対して、「専業主婦になって欲しい。仕事して欲しくない。」と宣言する夫は、たいがい、上記の母親の欲求を、そのまま汲んで妻に対して反映しているのが実情であると言える。



4.母性的組織の持つ隠れた罠

母性的組織には、母親の視点から見ると、もう一つの隠れた側面がある。それは、息子を嫁から切り離すため、息子を嫁に奪われないようにするため、息子を嫁の待つ家庭に帰らせずに、組織(会社、官庁)に没入させる、という側面である。それは、母親自身と息子との母子連合体(相互癒着関係)を維持するとともに、嫁の世代における母子連合体を再生産する。

夫は「家族(妻子)のため一生懸命働く」と言う。彼らは収入を得て、家族の経済的な支えとなろうとして、仕事に自分の全時間を注ぎ込む。しかし、そのことが、夫の思いとは裏腹に、家族(妻子)とのコミュニケーション不足をもたらし、家庭内での妻子からの疎外につながっている。

実際のところ、夫の注意・関心は、自分の働く組織に全面的に絡め取られている。と言うのも、夫は、関心・注意を、自分の属する会社・官庁組織に専ら向けるように、母親によって無意識のうちに仕込まれているからである。夫の家族(妻子)とのコミュニケーション不足や、家庭内孤立は、(息子に自己実現の夢を託すとともに、息子と嫁を切り離そうとする)夫の母親によって暗黙のうちに仕組まれた事態である。

そうした、(自分の所属する会社を一次として)自分の家庭(妻子)を二の次にしてしまう後ろめたさが、「自分は家族のために一生懸命自分を犠牲にして働いているんだ」という言い訳になる。そして、家族のために働いているという言説の正当化のために、自分の家庭に対して及ぼす力を最大限に見積もろうとし、それが、自分自身を家父長と強迫的に見なそうとする原動力となる。

単に、夫-妻のラインを見ただけでは、夫妻のコミュニケーション不足、夫によるコミュニケーション能力の欠如としか見えない現象が、実は、母-息子(=夫)のラインに注目する事で見えてくる。なぜ、息子=夫が一生懸命会社勤めをするか、なぜ妻とコミュニケーションしないかが見えてくる。

緊密な母子一体感のうちに、母親が息子(自分の子分)に対して、母親自身の自己実現の手段として、組織で一生懸命働いて出世・昇進するようにハッパをかける。組織で働く息子は、母の自己実現のための手先である。それとともに、母は、息子に組織で全ての力を吐き出させ、妻=嫁との間でコミュニケーションを行うためのエネルギー余力が残らないようにして、夫妻(息子と嫁)間を分離させようとする。息子は、こうした母の戦略に、気づかぬ内にまんまと嵌まっているのである


5.母性的組織と白紙採用・終身雇用

母性的組織は、内部で強固な(成員相互の)一体性・同質性を保持する分、対外的には閉鎖的であり、集団内と外とを厳格に区別し、ヨソ者に対して門戸を閉ざす。

例えば、日本における中央官庁や大企業では、成員の採用の機会は新規学卒一括採用がほとんどで、白紙状態でまだどの社会集団の色(しきたり、組織風土なと)にも染まっていない若者に対してのみ門戸を開く。この慣習は「白紙採用」という言葉で言い表すことができる。そこでは、本格的な中途採用の道は閉ざされている。純血性を保った自集団(「ウチ」)内で他集団に対抗する形で強固に結束し、内部に縁故(コネ)の糸をはりめぐらす。

日本における母性的組織は、強固な閉鎖性、純血指向性を持ち、基本的に新規学卒一括採用の際しか外部に対して採用の門戸を開こうとしない、中途で所属する社会集団を変更することを許さない。学生は事実上一生に一回しか、中央官庁、大企業といった、社会的に大きな影響力を持つ組織に入れるチャンスがないので、そこでうまく希望の組織に入ることができるように、学歴や、学閥のようなコネの獲得に躍起となるのである。

また、いったん集団に入ると、定年やリストラなどで用済みになるまでその中にずっとい続ける(浮気をしない)こと=「終身雇用」が要求される。

白紙採用や終身雇用がなぜ必要か?組織内成員の同質性を確保し、成員間に強固な一体感を持たせることを可能とするために必須である。

いったんある組織に入った成員は、全人格的にその組織固有の色に染まることになる。この場合、「色」とは、その組織固有の規範、しきたり、慣習、心理的風土といったものを表している。

成員は、「白紙」の場合のみ、その組織固有の「色」に染め上げることができる。同じ「色」を持つ成員同士は、互いに同質であり、強固な一体感で結ばれる。こうした組織内の同質・一体性を強く求めるのが、母性的組織の特徴である。そうした点から見ると、組織成員を同一の色で染め上げる上での前提条件となる「白紙採用」は、組織成員の同質性・一体性を確保しようとする母性的組織にとって必須であることが分かる。

成員が既に「他の色付き」の場合には、既に付いている色がじゃまをして、組織本来の色に染め上がらないため、「色」の面で他成員との間の一体性、調和を乱すこととなる。母性的組織では、「他の色付き」は、そうした点で、本質的に忌避されることになる。

白紙状態の若者は、一回ある組織に入ると、その組織固有の色に染まった「色付き」になる。そうなると、他の組織にとっては既に「他の色付き」となり、忌避すべき存在となる。そのため、いったんある組織に入ってその組織固有の色が付いた者は、他の組織に移ることができず、一生、最初に入った組織で過ごさなければならない。

母性的組織においては、 自分たちとは違う「他の色付き」のヨソ者は、自分たちとは異質な分子であり、自分たちと行動様式が異なり、何を考えているか分からないので安全でない、一緒になると自分の属する集団のしきたりや風紀を乱すことを平気でされるのではないかと不安で、安心できないと考える。「他の色付き」のヨソ者を中に入れることが、組織成員相互の一体感の保持に悪影響を与えるという母性的な心配が、気心の知れた安全な身内だけで身辺を固めようとする、閉鎖的な風土を生み出す要因となっている。

なお、この「他の色」付きの忌避は、身内集団内部の一体感を保つため、ヨソ者が入るのを防いでいるという点、母性が好む互いの一体融合性を維持しようとする働きに通じるものがある。

成員は、ある組織の色に染まると、他の組織には、「既に、他の色付きである(白紙でない)」と見なされ、自分たちとは違う「色」を持つ者=組織の同質性、調和を乱す者として疎んじられ、移ったり入ったりすることができない。そのため、よくも悪くも最初に入った組織に「飼い殺し」になり、一生をその組織で過ごすことになる。これが母性的組織において「終身雇用」現象が起きる真の原因である。

成員の「終身雇用」は、成員の「白紙採用」と表裏一体の関係にある。この両者は共に、母性的組織における成員の出入りを決定する慣習であり(「白紙採用」が組織への「入り」、「終身雇用」が組織からの「出」に関わる)、互いに切り離せないものである。その点、「白紙採用」も「終身雇用」も、両方とも組織の母性性を保つ上での根幹に関わる重大な特徴である。

こうした、「組織内=同一色への染め上げ」へのこだわりが、日本の中央官庁・大企業のような母性的組織において、成員の中途採用を妨げる大きな要因となっている。

また、ある組織にいったん入ってその組織の色に染まると、他組織への転進が効かないという現象は、「どの組織に入るか」という最初の選択で失敗した若者にとって、そのままでは人生のやり直しが効かないことを意味する。最初の組織選択で失敗した者は、一生後悔しながら、その組織に「飼い殺し」になる他ない。組織から出て、「ベンチャー起業家」として自分で一旗上げる途も存在するが、困ったことに、日本のような母性的な(女性優位の)風土の社会では、「ベンチャー」は、冒険的過ぎる、危険すぎるとして嫌われ、十分な社会的サポートが得られないのが現状である。

こうした「組織選択における、やり直し不能性」は、母性的組織の抱える大きな問題点の一つである。

こうした「終身雇用」「中途採用の忌避」といった性質は、成員間の全人的一体感を重んじる閉鎖的な母性的組織において本質的、不変的なものであり、欧米流の父性的組織(成員の出入り流動性、組織の開放性を重んじる)が優勢になった際に一時的になりを潜めるだけで、その本質は変わっていないので、時流の変化に伴い、再び不死鳥の如く生き返ると考えられる。



6.「母性的経営」 -組織分析における「母親中心」視点の重要性-

日本の会社・官庁の組織が母性的となるのは、組織成員が母親の色に強く染まっているためであり、成員の母親たちの力が強く作用している証拠である。組織成員は、母親の意向を汲んで仕事をしている側面が強い。日本の会社・官庁組織は、男性たちが主に活躍しているので、男性中心と一見間違えやすいのであるが、実際は、彼らの母親の強い息がかかった、彼らの母親の意向によって左右される、実質的には母性中心(と言うことはある意味、女性中心とも言える)の組織なのである。

要するに、男性が彼ら自身の母親の支配を受けているため、いくら要職を男性が占めていても、組織は母性的となるのである。

欧米のように、ドライな父性的社会では、父親=男性を、社会の中心に据えて、社会を分析するのが有効である。しかし、それを、今まで日本の学者たちがしてきたように、欧米生まれの「家父長制」社会の理論を、日本のようなウェットな母性的社会にそのまま当てはめようとすると、社会はうまく分析出来ない。

日本のようなウェットな母性的社会では、母親役の女性を、社会の中心に据えて、母親の社会に及ぼす影響を常に念頭に置きながら、社会を分析すべきである。すなわち、母親を分析対象となる社会の中心に据えて考える、「母親中心の視点」が求められるのである。それは、母性的組織の分析においてもそうであって、組織の外にいて、組織とは一見関係ないはずの、組織成員の母親の持つ、組織に対する影響力の巨大さを、今後はもっと重視すべきであろう。

従来言われてきた「日本的経営」は、その経営のあり方が、組織構成員の母親の息のかかった、母性の影響下にある「母性的経営」であり、その特徴(集団主義、年功序列、終身雇用、護送船団、規制と談合・・・)は、総じて女性的・母性的な価値観に基づくものである。一方、バラバラに独立した個人の自由競争に基づく「欧米的経営」は、「父性的経営」と呼ぶことができる。今後は、日本的経営の分析において、その女性的・母性的性格により重点を置くことで、経営組織のあり方をより的確に把握できる、と言える。

日本の官庁・会社のような、成員相互の一体感、対人関係や協調性を重んじるウェットな組織は、もともと、個人主義的で互いにバラバラなのを好む、その本質がドライな男性にはとうてい作れない。こうした日本的経営組織の実現には、ウェットさを備えている女性、母性の強い力が必要なのであって、その点、日本的経営組織の真の作り手、創造者は、成員たちの母親であるということができる。



7.会社マザコン

日本の男性は、所属する会社(や官庁)に、心理的に強力に帰着、癒着している。そこには、会社との強力な一体化、会社への甘えが見られ、会社に対して、強い紐帯を感じていると言える。というか、所属する会社無しには、何もできない、自我が成り立たない感覚がある。

例えば、日本男性では、定時後に彼女とデートの約束をしている時に、会社から追加の仕事を命じられると、デートをキャンセルして会社の仕事をこなすということが、まだ多く見られる。この場合、男性は、彼女よりも、会社を、心理的に優先させており、会社が最終的な心理的帰着の対象となっていると言える。

日本男性が、会社で働くことをひたすら優先し、家庭を省みない、育児に参加しないのも、彼が、会社に心、魂を完全に奪われ、支配されているからだと言える。

この場合、一体化、甘えの対象である会社は、当の男性にとって、母親と同じ役割を果たしていると言える。対象との一体化、甘えは、父性ではなく母性につながるものであり、マザコン男性における母親の役割を、会社が果たしているのである。こういう日本男性の会社に対する、会社を母親代わりとしてその中に帰属しようとする、根本的な心理的依存は、「会社マザコン」といった言葉で呼ぶ事ができる。


8.会社母艦説

日本男性は、会社で働く、給与を稼ぐことに専ら心を奪われ、家庭を省みない、重んじない。それは、彼にとって、家庭ではなく、会社が「母艦」だからである。

専業主婦の妻とかからの見方だと、会社は、自分の運営する家庭から会社に出かけ、仕事をして、また自分の家庭に帰ってくる存在だと考えられている。これは、夫を、家庭という「母艦」から、飛行機として飛び立って、また舞い戻ってきて、休息する存在と捉えるものであり、こうした考え方は「家庭母艦説」と呼べる。

しかし、日本男性の会社への癒着ぶりを見ていると、上記の「家庭母艦説」は、彼には当てはまらないと考える方が理に適っている。この場合、日本男性が実際に取っているのは、「会社母艦説」(ないし職場母艦説)であると考えるべきである。

「会社母艦説」とは、会社こそが、自分の本質的に帰着、癒着する対象であり、家庭は、仮の帰着場所、立ち寄り場所に過ぎないとするものである。要は、自分が、会社という母艦に直接つながっている一級の主要構成員であり、一方、自分の家族は、そこに依存的にぶら下がる、厄介になっている二級の、劣った構成員と見なす考え方である。自分が主である家庭を、自分が所属する会社という母艦に結びつけ、その配給管、パイプ役を担い、会社という主要な幹から、家庭という従属的な枝に、養分を供給する元締めの役割を担っている、という高いプライドが、そこには存在する。

まず会社があって初めて自分がある、という「まず会社ありき」という見方を取ると共に、自分の家庭は、自分という会社からの養分を供給するパイプ役無しには成り立たないんだという強い自負、自分の家庭に対する優越感が、日本男性には見られる。

生きていくための養分をくれる会社を最も重要な存在と考えて、そこにしがみつくと共に、自分の家族をそのおまけと考え、自分の役割を、会社から配給される養分を家族に与える主要なパイプ役と捉える「会社母艦説」こそが、日本男性が、会社に対してやたらとヘコヘコすると共に、自分の家族に対して、何事も会社優先で、高圧的に接し、尊大な態度を取る理由である。

この場合、日本男性とその家庭に対して、生きていくための養分をくれる会社は、ちょうど、胎児にへその緒を通じて養分を与えてくれる母親と同じ存在であると言える。この点、日本男性とその家族にとって、「会社=母」なのである、と言える。会社のために我を忘れて一生懸命に会社の発展のために尽くそうとする、何事も会社、職場第一の日本男性は、「母なる会社」にどっぷり浸って生きているのである。


9.母性的組織からの男性解放

以上見てきたように、日本の男性がよりどころとしてきた会社・官庁の組織のあり方は、実は、彼らの母親(や母親代わりの妻)の意向に沿うものとなっている。日本の会社・官庁は「母性」によって牛耳られている面が強い。男性たちが、そうした会社組織の「母性による支配」を終わらせ、会社組織からの自立を図るには、根本的には、組織成員である男性自身が、自分の母親との間の強力な癒着を何とか断ち切って、「母子連合体」を解消させることで、母親によって所有され、母親によってもっと働け、先へ進めと尻を叩かれる「ダービー馬」のような立場から自由になるしかない。


10.母性的組織への女性進出

従来の日本では、女性は、自らは組織の内部に止まらずに外に出て、「専業主婦」として、男性(息子、夫)を組織に送り込んで業務に邁進するように仕向け、管理することに専念してきた。

しかし、専業主婦の仕事は、家事の省力化や、教育機能の学校への委託が進むにつれて「空洞化」が進み、女性たちにとって、次第に「やりがい」が薄れた魅力のない仕事となりつつある。また、専業主婦たちは、彼女たちの居場所が「家庭内」という、外界から遮断された密閉空間となっていることに息苦しさを感じている。

日本の女性たちは、息子や夫を自らの操りロボットとして操縦して組織で活躍させる、従来の「専業主婦」になることによる「間接的な自己実現」のやり方よりも、自分自身が直接会社や官庁に乗り込んで、そこで自ら活躍し、自分の手で業績をあげる、「直接的な自己実現」に、より生きがいを感じるようになっているのは確かである。女性たちは、その生涯を、男性たち同様、組織人として過ごすことを求めている。

彼女たちは、子育てで主導権を握ることにより、従来の専業主婦同様、自分の子供を自らの操りロボットとして出世競争に邁進させて自己実現を図るとともに、自分自身も組織で働いて業績をあげることで自己実現を行うという、「二重の自己実現」を狙おうとしている。

しかるに、従来の日本の官庁・会社組織で活躍しているのは専ら男性であり、女性は男性の補助的作業に回ることが多かった。それは、女性は「専業主婦」になることを求められていたからであり、女性の業務は、女性が「専業主婦」になって退職するまでの間の短期間の腰掛け業務と捉えられていたため、重要視されなかったのである。

日本の女性たちは、既に本腰を入れて、官庁・会社業務への進出を始めているが、官庁・企業組織のあり方は、依然として旧来の「専業主婦コース」を推奨するものとなっている。このミスマッチを是正するため、ごく近い将来、日本の経営組織のあり方を、女性が一生組織人として働き続けることができるように根本的に見直すことが必要となる。

母性的性格・風土を持つ「母性的経営体」である日本の官庁・会社組織は、本来、男性よりも女性により適した組織であり、現在組織の中で大きな顔をしている男性が働くよりも、女性が働いた方がより優れた業績をあげることができると考えられる。

今まで、日本の会社・官庁の風土を、「ムラ社会(日本の伝統的な農耕村落共同体)的」として、不愉快だとして批判をしてきたのは、ほとんど男性であり、女性は批判していない。これは、女性にとって、「ムラ社会」が、女性にとって居心地のよい、女性、母性向きの社会であることを意味している。

従来男性が仕切ってきた日本の官庁・会社組織で、スムーズに女性が主導権を握り、男性を凌ぐようになるには、女性が単に組織内で男性に負けない業績をあげるだけでなく、女性が、組織の中で「母親」「姑」「姐御」的存在になることで、男性たち(上司も部下も)を、母親代わりに心理的に依存させ、自分の言うことを聞かせるように仕向ける、精神的・心理的戦略が重要である。

母性による支配下で成長してきた日本男性は、年配、年下を問わず、「母親」「お袋」「姐御」的な、自分たちを強い一体感で包み込んで依存させてくれる存在に弱い。そこで、女性たちが男性たちを、自分たちの「大きな子供」扱いすることで、男性たちは簡単に女性の軍門に下り、組織上の重要ポストを女性たちに譲ると予想される。これは、女性の年齢が男性よりも年下である場合にも当てはまり、彼女たちは、母性的態度を男性たちに対して取ることで、「リトルマザー」「小さな姐御」として自分よりも年上の男性を精神的に支配可能である。

こうした、組織における、女性による男性の「母性」を通じた支配は、女性が専業主婦を止めることで、男性が感じる心理的バックアップ感の不足を補う効果を持っている。要するに、男性が従来専業主婦である自分の母親や妻に潜在的に求めていた心理的依存、甘えの感情を、職場の(特に上司の)女性に向けるように仕向けることで、女性たちが専業主婦でなくなっても、男性たちが心理的支えを得て困らなくなるようにすることができる。

従来、会社・官庁組織で自己実現を図ろうとする女性たちにとってネックだったのが、出産・育児に忙しくて、いったん退職・休職せざるを得ないことであった。

女性が生涯を組織人として業績をあげることに注力できるようにするには、この退職・休職がもたらすハンディをなくすことが必要である。それには、女性に中途採用、再雇用の道を幅広く用意することが、会社・官庁の経営上メリットとなることを本格的に実証する必要がある。つまりいったん出産・育児のために退職した女性たちも、社員・職員として組織中枢部で再雇用すれば、従来の男性同様の重要な業績をあげ得るのだ、ということを実例で示す必要がある。

女性たちは、いったん出産・育児で退職した女性を経験者待遇で再雇用した方が、一から新卒採用者に業務を覚え込ませるよりも、即戦力の正社員として使えることを、自ら示すことが必要である。あるいは、同じフルタイムで働いてもらうなら、男性社員より、女性社員を雇った方がより有能であり、より会社・官庁の業績向上に役立つことを示す必要がある。

こうしたことを実証するには、実際の官庁・企業の組織を使った「実験」が必要である。実際にいったん出産・育児のために退職した女性社員・職員を再雇用して組織の中枢で数多く働かせる官庁・企業を「パイロットケース」として数多く用意して、そうした「パイロットケース」組織の中で彼女たちがあげる業績が、従来の男性中心組織があげる業績に見劣りしないことを、実証データとして示せれば良い。こうした実験には、行政による費用・制度両面での援助もある程度必要となって来よう。

あるいは、女性たちがそもそも出産・育児に伴って退職・休職をしなくて済むようにする手も考えられる。そのためには、働く女性たちが、組織人、会社人間として組織で働きながら、なおかつ子育てができる環境を、女性主導で用意する必要がある。例えば、各職場とインターネットでつながった、24時間利用可能な保育所、幼稚園、小中学校を設け、そこに自分の子供を通わせ、インターネットを介して子供たちとコミュニケーションを取ることで、女性たちが職場にいながらにして、我が子へのフォローを可能にすることが考えられる。そうすることで、女性たちは、従来我が子との間形成してきた「母子連合体」を維持したまま、組織人として仕事に打ち込むことができる。

女性たちが、育児にも、仕事にも両方打ち込める環境を作り、女性の自己実現を支援することで女性の力を引き出すことが、日本の経営組織の体質強化には必要である。日本の「母性的」な経営組織には、従来の男性よりも、母性の担い手である女性の方がより組織の体質にマッチしており、女性主導で組織運営が進む方がより生産性が上がることが予想されるからである。母性的体質を持つ日本の官庁・会社では、いったん女性の組織中枢への進出が進めば、男性が女性たちに経営権限を譲らざるを得ない事態は、比較的短期で訪れると考えられる。

そのためにも、女性たちは、従来のように、単に結婚しない、子供を産まないなどといった消極的・受動的な抵抗ばかりするのでなく、自ら積極的に、官庁・会社に対して、「保育所の充実、24時間保育の実現」「組織中枢での再雇用」などを、社会運動の形で働きかけると共に、「自分たち女性を組織で使えば、確実に業績が向上しますよ」という証拠を見せる必要があると言える。

社会運動をするに当たっては、従来、家庭の中でくすぶっている専業主婦たちを取り込めるかどうかが鍵となる。「組織人として働き続けることで、今までのように家庭の中にとどまるだけよりも、こんなに、よりよい生活と自己実現が得られますよ。」という明るい青写真を、彼女たち専業主婦に対して、実例を示して説得する必要がある。

また、日本の女性学には、従来のように「性差別はいけません」といった、男性たちを責め続けるネガティブなキャンペーンを張るばかりでなく、「自分たち女性は、組織の中で、男性に負けないor男性にできない高い業績をあげる能力がありますよ。それは、出産・育児による退職後の再雇用時にも有効ですよ。私たちを、組織の中で積極的に利用しないと損しますよ。」ということを実証するポジティプな姿勢が、今後求められると言えよう。

なお、女性の負担となっていた食事作りや掃除、洗濯のような家事についても、例えば、栄養士の監修による弁当をコンビニで安価で販売するようにしてそれを購入すればよいようにしたり、洗濯・掃除ロボットを導入することで、家事雑用をできるだけなくすようにする必要がある。そのためには、「家事雑用をしない主婦は主婦にあらず」という考え方をなくし、主婦の仕事を、家計管理、子供の教育といった根本的に重要なものへと集約することが必要である。

この場合、男性は今まで専業主婦をデフォルトとして育ってきているので、家事をしない女性(妻)に対して違和感を感じて「もっと家事をしろ」と文句を言うことが考えられる。それについては、男性の母親である姑の世代の女性が、積極的に外に働きに出て、家事をアウトソーシングする姿勢を見せれば、母親の子分である男性たちも従うようになると考えられる。このためには、姑が、専業主婦がメインだった世代から、職業人、組織人がメインである世代へと、世代交代をする必要がある。姑が外働きをすることが当たり前となっている状態への世代交代には、あと10~20年位かかるかも知れない。

日本の男性にとって、女性たちが上記のような戦略に出て、どんどん組織内で昇進して、自分たちを追い抜くようになっていった場合、どういう対応をしたらよいであろうか?これは、難しい課題と言えよう。一つ言えることは、日本男性は、従来のような「お母さんの手下」的存在でいるままでは、いつまで経っても社会的に浮かばれないということである。「母との精神的決別」こそが、日本男性を新たな精神的段階へとステップアップさせるための鍵なのではないか?要は、母への親孝行のために働くのではなく、自分自身のために働くのである。そうしたドライな風を心にまとうことが、日本男性が働き手として真に成熟して、女性に対抗していくために必要である。それは、「浪花節的」「ムラ的」と言われた従来の日本の会社組織風土を、ドライに塗り替えることにつながっていく。男性たちによる「会社組織風土のドライ化」こそが、真に日本男性を会社組織の中で、女性と互角に渡り合っていくことを可能にするための条件と言える。


(c)2003-2005 大塚いわお

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