日本のメンズリブを批判する
-今後の日本のメンズリブが取るべき途-


1999.12-2000.8 大塚いわお


従来の日本のメンズリブは、今まで男尊女卑の考え方や家父長制的な家族制度、男性による企業・官庁などでの給与をもたらす社会的役職の独占などで、忍従的な役割を強いられて来た、とする女性側の抗議に押されて、男性の従来取って来た性役割をしぶしぶ見直す、言わば、女性に突き上げられた受け身の形で、進展して来たと言ってよい。

もう一つ、日本のメンズリブを特徴づけるのは、女性に対して優位に立っていることを前提として、弱い女性を助けようとする同情心である。劣位の立場に置かれた、解放されるべき女性に対して、自らの優位にある立場を、少し譲ってあげようとする、「強者の余裕」に裏打ちされた親切心がそこには見られる。職業面での役職を女性に明け渡すこと、育児や家事に負われる女性を手伝ってあげること、などが、従来のメンズリブが取って来た方策であった。

日本のメンズリブには、劣位にあるとされる日本女性の解放に自ら歩調を合わせることで、自分は女性に対して優しいんだ、人格者なんだ、と周囲に(特に女性に対して)印象づけるねらいもあると見られる。

しかし、日本のメンズリブを押し進める人々が、こうした男性の優位を前提とした、悠然とした態度を取っていられるのは、彼らが、日本社会の持つ本当の性格に対して無知だからである。

伝統的な日本社会は、実は、ウェット=女性的な性格を持っている。それは、集団主義、周囲との同調指向などといった、対人的な相互牽制、規制から成り立っている。こうした女性的性格は、日本社会における女性の勢力が、男性のそれを上回る、すなわち、女性が優位に立っていることで成立する。

また、日本女性は、社会の中で、家計管理権限の掌握など管理職的な役割を果たし(男性は単に労働力としてこき使われているに過ぎない)、育児・教育面でも子供を支配し(この間、男性は自動的に、蚊帳の外に置かれている)、子供が成長しても、自分に対して甘えや依存心を持ち続けるように絶えず制御することで、強固な「母性社会」を築き上げている。

日本のメンズリブに関わる人々は、こうした、自分の「男性優位」の価値観を根底から突き崩す社会的事実から、無意識のうちに目を背けてきた。日本のメンズリブの弱さは、まさに実質的な女性優位という、日本社会の現実に対応できていない、その点にある。

これからの日本のメンズリブには、その考え方を、従来の「男性優位」から、「女性優位」を前提としたものへと、180度転換させることが必要である。「強者の余裕」など、もはや存在しないのである。

日本のメンズリブは、少なくとも、女性と対等な立場に立つために、従来、ウェット=女性的であった日本社会の性格を、少しでもドライ=真に男性的なものに変えることを目指すべきである。そのためには、ドライな行動様式、すなわち真の個人主義、自由主義などを、少しでも早く、よりよく、身に付けるための「精神のドライ化」運動を起こすべきだろう。

また、従来、「一家の大黒柱」などとおだてられて来たのが、実は、単なる労働力として、母や妻の管理下でこき使われて来ただけ、という真実にも、早く気づき、その現状から一刻も早く脱却すべきである。女性の管理下から脱却するには、例えば、家計管理権限を、女性と共同で持ち合う比率を高める運動を進めることなどが考えられる。あるいは、女性が独占して来た、子育てにも積極的に関わり、自分の価値観を、少しでも子供に伝える努力をすべきだろう。また、女性の持つ家庭内での影響力を少しでも少なくするために、彼女らを積極的に、職場という「外の世界」へと進出させるべきである。家庭の外に出ようとする女性と入れ替わりに、家庭の中に入ればよいのだ。

最大の障害は、日本男性が無意識に持つ、女性への「甘え」、依存心である。日本のメンズリブは、女性を「母性」の権化として、母親や妻などに、精神的に頼ろうとする現状の日本男性の持つ傾向から、男性を何とかして脱却させる方策を練らなければならない。



(c)1999-2000 大塚いわお


ホームページへ戻る