日本男性はなぜダメか?

2003.6-2007.4 大塚いわお


日本男性は、総じて、世界的に見て魅力に乏しい存在であるとされている。日本男性が、なぜ魅力に欠けるダメな存在なのか、どうした点を改善すべきなのか、以下に考えられる点を列挙してみた。

(1)所属する組織との一体感を追求し、集団主義、安定指向、年功序列(先輩の言うことを何でも聞き、後輩に対して威張る)意識が強い、といったように女性的な性格を持つ。個人主義、自由主義、未知領域への積極的探検といった男性が本来持つべき性格に欠けている。

(2)本当は社会の中では、女性に従属する下位者なのに、上位者と思って、命令口調で威張る。
女性に比べて優遇されるの(男尊女卑)を当然と思い込んでいて、スポイルされている。

自分のことを上位者と思っているだけに、プライドが高く、傷つきやすい。相手が自分に対して失礼かどうかやたらとうるさい。気難しく短気で、すぐ暴れたり怒ったりする。ガサツな乱暴者であり、暴君である。

なぜ、日本の男性がスポイルされるかについては、母親の影響が大きい。

日本の男性=息子は、母親によって甘やかされ、かしずかれ、何でもしてもらえる状態に置かれる。身の回りの世話を全部されている、焼かれている。

息子は、そういう状態が続いているうちに、いつの間にか自分を中心に世界が回っていると思いこむようになり、尊大で、わがままで、それでいて傷つきやすい性格を持つようになると見られる。

しかもその根底には、母親に心理的に頼り切り、甘えきった、依頼心が根強く息づいており、表面的にいくら威張っていても、母親に心理的に支配されきっていると考えられる。


(3)女性に対して、母親代わりに甘えようとする。女性を、観音様、マリア様みたいなと見なす。女性に対して依存的であり、その際、女性に対して当然のごとく寄りかかり、のしかかってきて、それに対してごめんなさいとか、ありがとうとか、一言も言おうとしない。女性に対する思いやりに欠ける。

(4)自活・生活能力に欠ける。身辺の世話を自分で行うことができず、皆、女性にやってもらおうとする。


以上を総括するに、日本の男性は、本来の男性性を失い、女性に頼りきりになっていて、人間的な成熟に乏しい存在であると言える。しかも、そのことを認めようとしない偏狭さを持ち合わせている。

女性からの解放を唱える以前に、こうした欠点をまず改めない限り、日本男性の明日はない。


(2007.4 追記)

しかし、インターネット掲示板の書き込みとかを見る限り、日本の男性は、今まで通り、母親や、母親代わりの女性(妻とか飲食店の女性とか)、女性代わりの組織(会社、学校等)に対して甘えつつ、威張ったり、わがままを通したりして、好き放題したいと考えているようである。

つまり、母の支配の枠内にとどまりつつ、その中で好き放題するのが望みのようである。

同じ女性でも、「お袋」「母」~「姉」「姉御」には甘え、頼り、支配されるのを気にとめることもないが、一方、母以外の女や妻は叩いたり、見下す、低く見る、自分の性欲を満たす道具と見るのが通例である。女叩きをする男性は多いが、母を叩く男性は少ないかほとんどいない。

また、自分の甘ったれた現状に対する批判、耳の痛い言葉を、それが建設的なものであっても、全て自分に対する悪意の攻撃とみなして怒り出し、牙をむく、ひねくれた心を持っている。

少しは、父権の強い、欧米やモンゴルといった遊牧・牧畜系社会の家父長を見習って、母に対する依存心を捨てて、母から解放されて、男性として成熟してはどうなのだろうか?

筆者にとって気がかりなのは、実際のところ、日本における「男性解放」は、母からの解放ではなく、女性が社会的に優遇されている(楽ができる、おいしい思いができる)のを撤廃するための「解放」になっている点である。

女性ばかり優遇されるのは確かに問題であり、そうした状況から男性一般が解放される必要があるのは明らかであるが、その一方で、自分たちを根底で支配する母なる女性の存在や、そこからの解放に鈍感なのは、どうしたものであろうか?



(c)2003-2007 大塚いわお


トップページに戻る