「女らしい」日本人
-日本社会の女性的性格-


2000.7-2008.1  大塚いわお



日本社会、ムラ社会は、以下に述べるように、女々しさにあふれている。社会が女の色に染まっている。
これは、女性の、日本社会に占める勢力、影響力の大きさの現れである。男性の勢力を上回る女性優位の証拠である。
日本社会、日本的ムラ社会は、女流社会、女社会(女性優位社会)と言うことができる。

日本社会の女性的性格は、以下のようにまとめられる。


(1)対人関係を本質的に重視する。無機的な物質よりも、人間の方に興味が行く。人間関係、縁故、人脈の構築に注力し、得意とする。政党とかで、明確な目標論争やビジョンの相違によってグループができるのではなく、「あの時、○○先生に○○でお世話になったから、○○先生の門下に入ろう」といったように、人物、対人関係本位で縁故関係を作り、それが派閥、学閥等となって、社会を動かしている。他人の気持ちに敏感で、人の心の動きを読むこと、心理学やカウンセリングに関心を持つ人が多い。無機的な機械、ロボットをも、ヒューマノイドとして人間化してしまう。小さいときから、男の子のように無機的な機械や物質ではなく、人形や周囲の人間に興味を惹かれて、気に入られるように行動する女の子と、考え方が一緒である。

(2)集団主義である。一人では行動できない、行動するのを好まない。互いにべたべたくっつき合おう、一緒になろうとする。 派閥を作り、互いに主流になろうとしていがみ合う。一人では気が弱くて何もできないくせに、徒党や集団を組むと途端に気が大きくなって、「数の力」を頼りに大声で騒いだり、傍若無人なことを行う。あるいは一人~少数を集団で寄ってたかっていじめるのを許容する(多勢に無勢)。集団内の一体感、愛情を何よりも重んじる。「全社一丸となって取り組もう」みたいに、集団の一体感の強さをやたらと強調する。皆で一斉に集中して何かするのを好む。

(3)所属を重視する。必ずどこかの集団に所属しようとする。どこかに所属していないと不安である。所属する集団から排除されるのを何より恐れる。集団に属さずに、一人で独立、自律するのを根底で嫌う。どこの集団にも所属していない自由な人を、フリーターとか言って軽蔑し、信用しない。どこの集団に入ったか、所属しているかを重視する。入る(った)、所属する(している、した)学校、会社の名前、ブランドを重んじる。

(4)同調性が強い。流行、協調性を重んじる。周囲の流行に振り回される。互いの間の気配り・足の引っ張り合いが得意である。みんな一緒に、横並びでいることを強要される。周囲について行けない「落ちこぼれ」を嫌う。護送船団方式を好む。周囲との協調性や気配りをやたらと重視し、「出る杭は打たれる」みたいに、遅れてお荷物になる人間、周囲に歩調を合わせない独立独歩タイプの人間を、よってたかっていじめる。嫉妬心が強く、誰かが一人だけ上に行こう、いい思いをしようとするのを許さない。人間の成績評価を、周囲との相対評価で決める。


女性は、生まれついての(生得的な)集団主義者=collectivist、同調主義者=conformistである。いずれも、個人主義的な欧米では価値が低い。日本の国民性が集団主義となるのは、女性が強い証拠である。
 
(5)依存心が強い。甘えの心が充満している。官庁や大企業といった、大組織への依頼心、帰属意識、甘えが大きい。一人で自立するのは不安であり、誰かに助けてもらいたがる。「寄らば大樹の陰」ということわざが、この辺の事情を明示している。就職のとき、大きな会社を選びたがるのもこの一例である。ひとりで外部に露出するのが不安であり、アメリカのような強い国に頼ろう、守ってもらおうとする。強いもの、お金のあるものからおこぼれを頂戴しようとする、たかり根性が強い(例えば、政府から公共事業費を少しでも多く分配してもらおうとする等)。

(6)権威、ブランドに弱い。媚の文化である。自らの保身のため、少しでも権威ありそうな、主流派を形成している人、大学、病院のような知的権威のある機関に属する教師や医師を、「先生」と呼んで、その後を追従し、ペコペコする。自分も権威ある者の後ろを歩めば、安全であり、威張っていられると考える。あるいは、権威ある人の言う事を聞いていれば、大丈夫、間違いないと考える。自分より強そうな者に対しては、ひたすら媚を売り、ペコペコするが、ちょっと弱そうだと、途端に強気に出て、イヤな仕事の押しつけや、恐喝まがいのことをする。自分を権威付け、高く見せるために、評価の定まったブランド品を進んで身に付けようとする。

(7)独創性が欠如している。前例がないと何もできない。例えば、人文社会科学分野では、欧米学説の後追いばかりやっている。既存の学説を乗り越えて、新たな学説を作ろうとする気概に乏しい。既存学説との、同化・一体化の力が強過ぎる。未知の分野はどんな失敗をするか分からないので、怖い、として、手を出したがらない。欧米の先駆者の後を追う方が安全である。モルモット(実験台)になるのはいやである。
日本の科学技術が欧米より常に遅れる、後進性のくびきは、安全指向、前例指向といった、女性性と関係があり、日本社会で女性が強い証拠である。

(8)年功序列、先輩後輩関係がきつい。新人いじめが当たり前に行われ、いずれの組織においても、新入りの地位が低い。家庭における嫁姑関係(家風習得の度合いの面で、姑が先輩、嫁が後輩、新人)に通じる。これは「姑根性」という言葉で表現できる。前例となる知識や技能を持っている者が、理屈抜きで偉いとされ、一方、若い新人の方が豊富にあると考えられる独創性は、全く評価されない。安全性を第一と考え、未知の危ない道を通ることを避けて済ませるには、取るべき行動の前例となる経験知識を豊富に積んでいることが求められるからであり、そうした前例としての経験知識は、年功の上の人たちがより多く持っている。

(9)自分に対して向けられる他者の視線や評価を非常に気にする「恥の文化」である。自分が周囲にどう思われているか盛んに気にして、周囲によく思われようとして、いろいろ気を遣ったり、演技をしたりする。 八方美人であり、周囲の国にいい印象を与えることに懸命である。周囲から自分がどう思われているか、自分が気に入られているかどうかが気になって仕方がない。自分が周囲に気に入られるように、盛んに媚びたり、いい子ぶったりする。自分の周囲に対する印象をよくするために、やたらと気配りをしたり、外面的な見かけを整えることに忙しい。


R.Benedictが、「菊と刀」の中で唱えた、罪の文化・恥の文化との関連では、

男性は、「罪の性(ジェンダー)」である。誰かに見られていなくても、悪いことをしたとして罪悪感を感じ、償いの行動を起こす。周囲の動向とは独立して、独りだけで罪悪感を感じる点、ドライであり、罪の文化(男らしい文化)の基盤をなす。

女性は、「恥の性(ジェンダー)」である。「赤信号、皆で渡ればこわくない」といったように、罪悪感を感じるかどうかが周囲の視線の有無や動向に左右される点、ウェットであり、恥の文化(女々しい文化)の基盤をなす。他者に「見られている」感が強く、他者の視線を前提にした自己アピールである化粧・服装・ファッションを好む。

日本が「恥の文化」に基づく社会となったのは、「恥のジェンダー=女性」が、社会の根幹を支配しているからである。

(10)責任回避の傾向が強い。自分の取った行動の結果生じる責任を一人で負うのをいやがり、皆で連帯責任にして、一人当たりが負うリスクを軽くしようとする。「赤信号皆で渡れば怖くない」という格言が流行したり、太平洋戦争の敗戦責任を「一億総懺悔」して取ったつもりになっていることがその現れである。そうすることで失敗の責任を取らされて危ない目に会う(社会的生命を失う)ことを避けることができる。あるいは、物事の決定にできるだけあいまいな態度を取ることで、責任の所在を不明確にして、責任逃れができるように逃げ道を作るのが上手である。

(11)プライドが高い。失敗して、皆の前で自分のプライドが傷つくのを何よりも恐れる。他人が失敗するのを見ると馬鹿にして総攻撃を加えて袋叩きにしたり、陰口を叩いたり、触れ回ったりするが、本当は自分が失敗するのが怖くて仕方がない。失敗を、誰でもする可能性のある日常的なことと許容することができず、失敗者を日頃の鬱憤晴らしの対象として、ひたすら責め立てる。試行錯誤による失敗の繰り返しを避けて、誰か成功した事例はないかとひたすら探し回り、見つかったと見るや、一斉にその真似をする。その成功事例を究極の正解、侵すべからざる信仰対象として、それにひたすら改良の磨きをかけ、そこから少しでも外れた者を、エラー、間違いを犯したとして直ちに叱り飛ばす。

(12)形成する社会集団が閉鎖的、排他的である。集団内と外とを厳格に区別し、ヨソ者に対して門戸を閉ざす。例えば、中央官庁や大企業では、成員の採用の機会は新規学卒一括採用がほとんどで、白紙状態でまだどの社会集団の色(しきたり、組織風土なと)にも染まっていない若者に対してのみ門戸を開き、本格的な中途採用の道は閉ざされている。純血性を保った自集団(「ウチ」)内で他集団に対抗する形で強固に結束し、内部に縁故(コネ)の糸をはりめぐらす。

いったん集団に入ると、定年やリストラなどで用済みになるまでその中にずっとい続ける(浮気をしない)ことが要求される。ヨソ者は自分たちと行動様式が異なり、何を考えているか分からないので安全でない、一緒になると自分の属する集団のしきたりや風紀を乱すことを平気でされるのではないかと不安で、安心できないと考える。中途採用者に対して、いじめを行ったり、新人と同じような屈辱的な扱いを強制したり、あるいは、そもそも外部から入ってくる者を、派遣社員のように、一時的、部分的にしか、自分たちの組織にタッチさせず、締め出そうとする。この場合、ヨソ者の許容が自身の保全に悪影響を与えるという女性的な心配が、閉鎖的な風土を生み出す要因となっている。なお、この閉鎖性は、自分たちの所属する身内集団内部の一体感を保つため、ヨソ者が入るのを防いでいるという点、女性の好きな、他者との一体融合感維持指向に通じるものがある。

(13)取る行動が受動的である。受け身である。自分からは積極的に行動を起こさず、意思決定を先送りし、周囲からの働きかけや外国からの外圧があって初めて「仕方なく」行動を起こし、周りに引きずられる形で意思決定をする。自主性に欠ける。退嬰的である。行動を起こした原因が自分ではないとして、責任逃れをする。男女の恋愛において、結婚のプロポーズやセックスへのアプローチを、ほとんど男性側が行うのと根が同じである。

(14)相互監視が行き届いている。互いに、周囲の他者が何をしているか、チェックするのに忙しい。他人について、噂を広めたり、陰口を叩くのが好きである。あるいは、権威者や当局に対して、密告をするのを好む(学校の教室で「先生、○○さんが隠れて○○しています!」と告げ口するとか)。かつ、自分は、そうした噂や陰口の対象にならないように、絶えず保身に気をつかい、安全地帯にいようとする。

(15)対応が間接的であり、陰湿である。相互の一体感、和合をできるだけ維持するため、他人に対して批判をする際にも、直接的な、明らさまな表現を嫌う。意見を口に出さず、相手に直接直言せず、以心伝心で伝えようとする。表現をソフトにしようとして、間接的な遠回しの表現を好む。そうした遠回しの表現の真意に気づかない他者を、鈍いとして陰口を叩いて批判し、無視したり、陰で他人に分かりにくい形でいろいろ寄ってたかっていじめたり、意地悪する。ソフトだが、真綿で首を閉めるような陰険なやり方をする。

(16)対応が、近視眼的、場当たり的である。自分にとって身近な目先の場所や、時間的に目の前の事柄に注意が専ら行き届き、ずっと先の未来や、世界全体規模をコントロールしようとする長期的、遠大な計画性や視点に欠けている。自分のいる周囲の動向のみに注意を払う。

(17)取る対応が、ヒステリックで感情的、情緒的である。相手からの刺激に対して、冷静に分析する事ができず、思わずキーッとなって集団全体で感情的に激昂し、前後の見境がなくなって、予想外の飛んでもない行動に出る(太平洋戦争時の真珠湾攻撃とか)。相手との一体感の有無、好き嫌いを目安にして行動する。相手に対して、客観的に突き放す形で向き合う事ができず、感情的な好き嫌いをむき出しにして対応する(太平洋戦争時の米英への鬼畜米英呼ばわりとか)。

(18)やることのスケールが小さい。小さな精密部品の設計、組み立てのような、微調整や、神経の細やかさが必要な、高精細、高い正確性を要求される事項に、世界で並ぶ者のない強みを発揮する。重箱の隅をつつくような、細かい視点が、大学の入学試験とかで要求され、それに適応した若者を次々と生み出している。小さくか弱い柔らかい「かわいい」、それでいて色気のある「萌える」存在を、アニメやコミック等で次々生み出すのが得意である。


日本社会と女社会の相関、類似性は、日本的パーソナリティと女性的パーソナリティが、以下のリンクにおける説明のように、双方共通して液体分子運動パターンに当てはまっていることに示されている。

「アメリカ的、日本的パーソナリティと気体・液体分子運動パターン」へのリンクです。
「男性的、女性的パーソナリティと気体・液体分子運動パターン」へのリンクです。

この液体分子運動パターン(リキッドタイプ)で、従来日本的とされてきた社会の特徴の大半を説明可能である。

「ガスタイプ、リキッドタイプ」の特性一覧表へのリンクです。

(参考)女社会、男社会のあり方をまとめた表へのリンクです。


日本の人々がこうした行動を取る背景として、日本の人々が自分の保身に敏感であることがあげられる。
生物学的に貴重な性である女性の取りがちな行動は、根源的には、安全第一、危険回避、失敗が怖い、という点に尽きる。
女性は、言わば、生ける宝石のような、貴重品として、護衛(の男性)に守られる形で、自分の保身を最優先にして行動するのである。

女性の持つ「貴重な、守られる性」としての性格についての説明へのリンクです。

こうした、生物学的に貴重な性=女性的行動が、社会全体に及んでいるのが、日本社会の特徴である。つまり日本人は、自分の保身に敏感であり、安全第一、危険・失敗の回避を最優先にして行動する点、女性的である。 自らは危ない橋を渡らず、ベンチャーとか冒険を嫌がる。日本の銀行のベンチャー企業への貸し渋りがこの典型である。

上記のリストとの関連では、
(2)(3)のいずれも、貴重な性としての女性に支持されるのは、みんな一緒に、集団でいれば、孤立して、他者の助けが得られなくなる、という事態から逃れることができて安全だからである。集団を作って相互牽制し合う方が、ひとりぼっちの孤立無援状態になりにくい。生物学的に貴重な性として、安全な群れの中心部にとどまる女性に向いている。

(4)(5)いずれも、女性の持つ、自分の身を守ろう、安全第一で、危険を回避しよう、誰かに保護してもらおうとする自己保身傾向に合致している。



以上で見てきたように、日本社会は、女性に都合よくできている、女性的価値観で動く社会であると言える。日本は、母親の力の強い母性社会であり、欧米は、父親の力の強い父性社会である、と見ることもできる。

日本と欧米とで権力者の行動様式が違うのも、日本で主流を占める女性の権力行使パターン(ボスとしてのあり方)が、欧米で主流を占める男性のそれと違うからではないだろうか?

日本では、
権力の行使のあり方が、
(1)集団主義的である。同調・同質性の確保を優先する
(2)人格そのものを重視する(上位者に可愛がられることが重要。上位者への甘え・なつきを重視する。)
(3)(流行への)同調競争に勝ち得た者が、上位へと昇進する
(4)前例を多く蓄えた年長者が威張る
(5)上位者への権威主義的な服従を好む
(6)一人の犯した失敗も周囲との連帯責任とする
というように、ウェットであり、女性的である。
 
なぜ、日本社会が女性的性格を持つに至ったか?それは、日本が典型的な稲作農耕社会であることと関係する。

稲作農耕社会を構築する過程で、集団による田植え・刈り取りなどの一斉行動、一カ所への定住・定着、農業水利面での周囲他者との緊密な相互依存関係の樹立、集約的農業による高密度人口分布、といったウェットな行動様式が求められた。

ドライ・ウェットな行動様式についての説明へのリンクです。

ウェットな行動様式を生まれながらにして身につけているのは女性であり(男性が生得的に身につけているのは、個人主義、自由主義といったドライな行動様式)、社会のウェット化には、女性の力が強く求められた。

女性の強い影響下で社会のウェット化を推し進めた結果、その副作用として、ウェットさに直接関係しない、自己保身や安全第一といった女性的な行動様式が、男性にも強く感染して男性の「女性化」を引き起こした。このようにして、女性的行動様式が日本社会全体を包み込むような形で、支配的になり、「日本=女性的性格を持つ社会」という構図が成立した。

日本社会全体、ないし国全体を1人の人格として擬人化して捉えるならば、それは1人の女性、女の子として捉えることができると考えられる。国全体としての意思決定や外交交渉のあり方などにおいて、

(1)自ら明確な意思決定をせず、あいまいな態度を取り続け、決定をずるずる先送りする
(2)自分からは行動を起こさず、受動的、退嬰的である
(3)その時々の雰囲気に流されて、周囲のメジャーな流れに追従する
(4)ヒステリーを起こす(太平洋戦争などで、思わずカーッとなって、残虐行為を繰り返すなど)
(5)意思決定のあり方が情緒的で、非合理・非科学的、精神主義的である(根性論を振り回すなど)
(6)身内だけで固まり、外国人や難民などのヨソ者に対して門戸を閉ざす(閉鎖的、排他的)
(7)周囲の国々に自分がどう思われているか、やたらと気にする、八方美人的態度を取る
(8)先進国に追いつき追い越せというように、自らは先頭に立たず、二番手として絶えず先進諸国を後追いする
(9)アメリカなどの外圧がかかって、初めて重い腰をあげる(外圧がないと、動かない)
(10)長期的視点を持たず、目先の短期的な動向に関心が行って、場当たり的な対応に終始する

など、日本の国ないし社会全体が、ウェットな女性的人格をもって行動していると言える。 日本の国家・社会は、「女社会」「女流社会」「女性優位社会」、「大和撫子国家、社会」と呼べる。

(これに対して、欧米各国は、男性として捉えることができると考えられる。)

日本では男性も、女性の色に染まっている。日本の男性は、親分子分関係や浪花節といった、ベタベタ・ジメジメしたウェットな人間関係を好む、女性的な中身を持っている。さらに、それに加えて、女性を守る役割を取らせるため、女性によって植えつけられた、表面上の専制君主的な「強さ」「強がり」とが、一緒に同居していると考えられる。

以上をまとめると、日本社会は女性的な性格が強く、女性のペースで動く社会であり、「(日本的)ムラ社会=女社会」と捉えることが可能である。


(c)2000-2008  大塚いわお


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