利己主義と社会サービスの向上について

2003.3 大塚いわお



1.はじめに

従来、利己主義(自分のことばかり考える傾向)は、公共心の涵養とは対局にある、望ましくない概念として考えられることが(特に日本では)多かった。

しかし、少し深く考えてみると、実は、利己主義は、社会全体のサービス向上や公共福祉に大きく寄与する、プラスの価値を持つものであることが分かる。

その理屈を以下に示そう。



2.生物としての人間と「利己心」

人間は、生物の一種であるから、基本的に、自分が生物として生き延びていくために利益になることのみに関心を抱く。

こういうことを言うと、そんなことはない、例えば、世の中の宗教人は自己の利益を捨てて「神」のために祈っている、他人のために尽くしている、とか言い出す人がすぐ出てくるだろう。しかし、ちょっと考えてみれば、実はそうした「高潔無比な」宗教人も、死後、天国~極楽浄土というより快適で生き延びやすい環境下で永遠の生命を得ようとする、極めて「利己的」な目的のために、仮の現世を「捨てている」に過ぎないことが判明する。

人間が「利己的」なのは、生物として当然の性質であって、別に、「利己的」ということで、誰にも責められるいわれはない。自分が利己的なことを、生物である証として、別段恥ずかしがることもなく、自信を持って胸を張って生きればよいのである。



3.遺伝的・文化的「製品」と「生存品質」

人間は、生物として、自分の遺伝的、文化的な複製(以後、まとめて「製品(products)」と呼ぶことにする)が、

(1)数の多さ より数多く作られる。ないし、より多くの人々の間に広まること
(2)期間の長さ 子孫として、複数世代にわたって、より長く生き続けること

を望み、その実現に向けて、最大限の「利己的な」努力を払う。

ちなみに、自分の遺伝的複製とは、セックスをしてできる子孫のことであり、文化的複製とは、自分が他人からの学習、ないし自分自身の独創により生み出し、他者に使ってもらう製造物、作物、サービスのことである。各個人の文化的な子孫としての「製品」は、例えば、家電製品のように形がある場合もあれば、菓子職人の作る菓子の「レシピ」とか、コールセンターの「サービスノウハウ」のように、無形の場合もある。

後世への生き残りの対象となるのは、遺伝的な息子、娘だけでなく、自分自身の生きた証となる文化的な作品(文学作品から工業製品に至るまで、人間の神経系が生み出すもの)全てである。それら(彼ら)全てを「製品」とこの場では称している。

上記目標を達成するためには、各自が生成する「製品」の品質がよくないといけない。製品の品質の高さとは、それが、個々人の生存にどれだけ役立つかにかかる。それは「生存品質」という言葉で表すことができる。
個々人への生存に対する役立ちやすさ、すなわち「生存品質」とは、例えば、使いやすさ、長持ちしやすさ、栄養価の高さなどである。

こうした「生存品質」面でにおいて、能力、性能的に劣った自己複製の「製品」を作ると、自分の生きた証として後世に残らず、途絶えてしまう。それは、生存に役立たない「製品」は、例えば「製品」が生活用品の場合は、誰も使ってくれない(ひどい場合は、ごみ箱直行とか)ため、すぐに忘れ去られてしまうし、あるいは「製品」が生ける人間の場合では、誰も彼に対して生存に必要な対価を支払おうとしないため、生き延びることができないからである。

そこで、各個人は、生成する「製品」の品質向上にやっきとなる。
例えば、自分の遺伝的な「製品」としての子供に対して、より高度な教育を受けさせ、生き延びるための手段を得やすくさせる。
あるいは、自分の頭の中のアイデア、ないし、手先の動きの技能の限りを振り絞って、より高品質な文化的「製品」(精密なカメラ、使いやすい歯ブラシ、おいしいと評判の食事)を作り出し、他の既に出回っている製品群を押し退けて、世の中により沢山、より長期間流通するようにさせる。

その結果、個人間で、「製品」品質面での絶え間ない競争が生まれ、品質の向上とコストダウンがどんどん進む。
その結果、公共に流通する「製品」が安価で高性能となり、公共の生活・福祉レベルが向上する。言い換えると、皆がより生き延びやすくなる。

個々人の「自分の製品を沢山、長く生き続けさせたい」という根っからの利己主義に基づく行動が、結果的に社会全体の生活レベル向上、ないし公共福祉の向上に役立っていることになる。

そうした点、各個人の利己主義は、社会の公共性にとって、決して回避すべきものではなく、むしろ歓迎すべき一面を持つのである。言うなれば、個々人の利己主義が社会~公共サービスのレベル向上の原動力となるのである。



4.「利己主義」と社会・組織の生成

こうした「利己主義」は、社会や組織の発達に欠かせないものであることも確かである。なぜならば、一人で全てのことを全部こなそうとするよりも、チームを組んで各自の得意分野を生かして分業する方が、より生存品質の高い「製品」が生み出せるからである。

各自は自分自身のより優れた複製を作りたいとの思いから、積極的にチーム、分業体制作りに励む。そうしたチームの組成が、小さな組織を生み出し、さらにそれらが多数の人々を巻き込む形で互いに組み合わさる形で、大きな社会~国家の構築へとつながっていくのである。

そうしてできた、小さな組織~大きな社会というチームは、メンバーにとっていつの間にか運命共同体communityとして作用し、心理的な一体感を醸成する元となる。メンバーが互いに助け合うことで、チームとして有効に働く状態を維持しようとするのがその一体感の発端である。

結局、元は、個々人の利己主義の産物であった組織~社会が、個々人の心理的なよりどころとして作用するようになる訳である。


(c)2003.3 大塚いわお

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